風のブックマーク2004-2005
「音楽」編

 

小沼純一『武満徹 その音楽地図』


2005.4.2.

■小沼純一『武満徹 その音楽地図』
 (PHP新書339/2005.3.30.発行)
 
武満徹をはじめて知ったのはいつだったろう。
おそらく子供の頃、テレビ番組などの最後に
「音楽 武満徹」とナレーションされるのを
半ば無意識に聞いていてそれを覚えていたのではないだろうかと思う。
実際、武満徹は、テレビドラマや映画などで数多く音楽を担当していた。
だから、武満徹の音楽だとは意識していなくても、
その音楽にふれることは多くの人が思いのほか多かったはずである。
 
しかしぼくが意識的な形で、「武満徹の音楽」として
その音楽作品を聞いたのはかなり後になってからのことだし、
現在のように、その音楽に頻繁にふれるようになったのは、
そんなに昔のことではない。
ここ10年ほどのことではないだろうか。
手元にあるCDにしてもほとんどがその間に購入したものである。
 
とはいえ、今では武満徹の音楽は、ぼくにとっては、
おそらくバッハに次いで重要な位置を占めているといってもいい。
そしてその重要さは年々ぼくのなかで深まってきているともいえる。
武満徹の文章もすばらしく、全集を読んだり、
武満徹について書かれてあるものを読んだりもしている。
 
この新書を見つけて読み始めてふと気づいたのは、
そういえば、ぼくは無手勝流にその音楽を聴いてきたけれど、
その「音楽地図」のようなものをあまり意識したことがなかった、
ということだった。
 
そういわれてみればそうだな、と気づくことができるし、
半ば無意識にそうして聴いていたりもしたわけだが、
たとえば「水」というテーマ、
「庭」「夢」「海」「風」といったテーマから
武満徹の音楽を聴き直してみるというのは、いいかもしれない。
聴き方はさまざまだし、
もちろん聴き始めるためのさまざまな入り口もあったほうがいい。
 
他のすぐれた音楽のなかにもそういうのが確かにあるが、
武満徹の音楽というのは、聴くときがいつもはじめてだという感じがすることが多い。
それはおそらく、たとえば樹々のそよぎや水の流れなどを感じるとき、
「はじめて」それを体験するように感じられるのとも似ているかもしれない。
武満徹の音楽がますますぼくのなかで特別になっていくのも
そのことと関係しているといえるのかもしれない。
 
ぼくのなかで、その「はじめて」と
そしてある意味で「いつもあるもの」とがふしぎな共振をする。
だからそのメロディにもその「はじめて」と「いつもあるもの」とが
不思議なまでの出会い方をする。
 
本書に書かれてあるエピソードにこういうのがあった。
(*引用文中、<SONGS>とあるのは、武満の「うた」のほとんどを集めて
 イラスト入りで楽譜にしたもの)
 
	<SONGS>といって想いだすのは、友人の作曲家・パフォーマーの
	桜井真樹子の話だ。
	 桜井は児童虐待支援施設で音楽を教えているが、ふだん生徒たちは何
	かといちゃもんをつけて言うことをきかない。どうして歌なんかうたう
	んだ、勝手に好きなものを聞いているだけでどうしていけないんだ。浜
	崎あゆみのような「現代音楽」(!)が好きなのに、何で古いものなん
	かやるんだ。かくして授業はスムーズに進まない。
	 あるとき、<SONGS>から<小さな空>を教材としてみんなにう
	たわせようと思い、まず、ひとりでうたってみせた。うたい終わっても
	しばらくしんとしている。どうしたことかと眺めてみると、一斉に目に
	涙をうかべているのだ。
	 桜井はEメールでこんなふうに書いてきたーー子どもにとって「どん
	な親」でも、「自分にとって愛情を示してくれた一瞬」があり、後生大
	事にその一瞬だけを「記憶」としてたずさえて生きている子が多いです。
	武満さんの「小さな空」には、そういう「一瞬の幸福」(小沼さん、わ
	かりますか?彼らは、生きてきた人生の九五パーセント以上が、地獄だ
	った子が多い。虐待に虐待を重ねる親でも運動会の時、最初で最後、子
	どもに弁当を作ったとか、そういうこと)を大事にする心がある、とも
	いえるでしょう。だから、涙が溢れるんですね(あくまでも当人でない
	ので、「私が考えるに」ですが)。
	 この話を聞いて以来、<小さな空>はわたしにとっても特別な曲にな
	った。あの三拍子の、さりげないメロディを想い浮かべるだけで、施設
	で桜井の声に耳をかたむけていた子たちのことを想ってしまう。
	 そう、そしてその子たちは、いまも「武満徹」のことを「タケ・マン
	テツ」と親しみをこめていっているのである。
	(P31-32)
 
武満徹の生前、その「うた」を石川セリが歌ったアルバムが出たが
その最初にもこの「小さな空」が収められていいたし、
そういえば、波多野睦美+つのだたかしの『アルフォンシーナの海』の最後にも
「小さな空」と「三月の空」が収められている。
そしてそれはいつも「はじめて」のように「なつかしい」。
ずっとかぎりなく親しいのだけれど、いつも初めての出会いなのだ。
そんな特別なメロディ。
 
一見というか一聴、近づきにくいと感じられる武満徹の音楽世界も、
ある意味で、すべてが「はじめて」のように「なつかしい」ようにも感じられる。
そんな特別な世界への入り口を案内してくれるのが、本書である。
さりげなく手にとってみるのもいいかもしれない。
 
ちなみに、本書を読みながら、
あらためて武満徹の音楽をI-Podに入れて
いつでも聴きたいときに聴けるようにしておきたいと思いついた。
結局、その「音楽地図」をガイドにしながら作業し始め、
やはりこれは外せない・・・とかやっているうちに、
15枚分のCDを入れることになってしまった。
 
そして久しぶりに聴いたのは、そのギター音楽集成というアルバム。
その音楽にもぼくの「タケ・マンテツ」は響き渡っていて、
涙が溢れてきたりもする。
ほんとうに、不思議なまでに、「はじめて」のように「なつかしい」。
 
 

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