風のブックマーク2004-2005
「音楽」編

 

波多野睦美・つのだたかし『ふたりの音楽』


2005.1.17

■波多野睦美・つのだたかし『ふたりの音楽』
 (音楽之友社/2004.12.5発行)
 
波多野睦美とつのだたかしのコンサートには思い出がある。
悲しいことに、演奏についての思い出ではなく、
演奏を聴けなかったという思い出である。
 
もう10年近く前のことになるが、
ほんとうは行きたかったコンサートに仕事の都合で間に合わないので、
yuccaとその友人(声楽家)がそのコンサートに出かけているのを
終わった頃ロビーに迎えにいくということになった。
 
コンサートがほぼ終わりかけた頃、会場のロビーに着いて、
そこでアンコールらしきものが演奏されているのを
ちょっと切ないような気持ちで洩れ聞いていた。
やがてコンサートが終了して、yuccaと友人が出てきて、
ロビーでは波多野睦美とつのだたかしがCDの販売&サインをはじめた。
 
せっかくだからと、コンサートは聴けなかったが、
CDにサインくらいはしてもらえることに気づいたぼくは、
せこせことCDを物色して、結局、ダウランドの『悲しみよ。とどまれ』を選び、
サインの列に並び、お二人にサインしてもらうことができた。
それはぼくが生まれてはじめてもらったこの種のサインだったのである。
今もいつも手元にある思い出深いCDである。
 
その思い出深いダウランドのCDの続編『優しい森よ』がつい先頃発売された。
『悲しみよ、とどまれ』が1992年発売ということだから、12年ぶりになる。
それをそろそろ購入して聴いてみようと思っていた矢先、
この『ふたりの音楽』という著書を見つけた。
 
ホームページ「音楽之友社オンライン」に毎月連載されたエッセイに、
二人へのインタビューを加えたもの。
表紙の装画は、『悲しみよ。とどまれ』や今回の『優しい森よ』のCDの
ボックスの装画も提供されている、ぼくも大好きな望月通陽である。
この望月通陽はつのだたかしの親友でもあるそうだ。
 
とにかく理屈抜きで、ぼくには楽しい一冊だった。
ぼくの知らなかったお二人のエピソードなどが満載されている。
 
ぼくもそうなのだけれど、とくに「古楽ファン」というのではない。
この二人の演奏が好きということで聴いている。
インタビューのなかでも、つのだたかしが次のように話している。
 
	いわゆる古楽趣味ではなくて、古楽ファンというよりも普通の人が
	来ている。普通のお客さんでリピーターがいっぱいいると思います。
	あまり古楽、古楽というものではないです。
	・・・
	「古楽だから好き」という人はそんなに来ていないのではないかな。
	このデュオでするときと。アンサンブル・エクレジアのときなどでは
	少しずつ違うようですし、もちろんタブラトゥーラ・ファン、デュオ
	・ファンというのはぜんぜん違います。「タブラトゥーラで弾いてい
	るのは、あのつのださんのお兄さんのほうなの?」という人もいるく
	らい(笑)。
 
ぼくはタブラトゥーラのほうも聴くけれど、
やはりこのデュオのほうがずっと気持ちにはフィットする。
そして、ダウランド。
ダウランドはやはりいい。
 
本書に収められている波多野睦美のエッセイのなかに、
「イノセント・エロス」というのがあって、
そこでダウランドの「官能」について興味深い表現がある。
「はじめて時間を忘れて眺めた絵は、
ルーカス・クラナッハのヴィーナスだった」
で始まるエッセイ。
 
	絵も音楽もどこか官能の香りがするものにひかれる。といってもこの
	“香り”にたいする感覚ほど個人的な、説明不能なものはない。なぜ
	なら私はダウランドには官能性は感じるがバードには感じず、バッハ
	には感じるがヴィヴァルディには感じず、シューマンには感じるがブ
	ラームスには感じないーー。「影」と関係があるのだろうか?もしく
	は「不健康」か否か、ということ?
 
なんだかわかる気がする。
バッハを機械的だととらえる人もいるけれど、
あんなに官能的な音楽をどうして?と反問したいほどだからだ。
 
ともあれ、この二人の音楽の好きな人には、かけがえのない一冊だといえる。
 
 

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