風のブックマーク2004
「漫画」編

 

吾妻ひでお『失踪日記』


2005.3.6.

■吾妻ひでお『失踪日記』
 (イースト・プレス/2005.3.8.発行)
 
往って、往ってしまわないで、
すれすれのところで帰還してくることに魅力を感じる。
吾妻ひでおは、二度の失踪、そしてアル中での強制入院を経て、帰ってきた。
仏陀が往ってしまわないで帰還してくるように、
ツァラツストラが山から帰ってくるように。
 
創造する者というのは、おそらくどこかで往ってしまいかねないところがあるが、
そして往ってしまった者というのは、それはそれで魅力的なところもあるのだが、
やはりぼくは「その先」を、
もちろん往った先ではなく、帰還したその先を見てみたいと思う。
 
かつて、『不条理日記』などの、
この先いったいどうなってしまうのか、
少し怖いような、そして期待してしまうような世界の先には、
みずからを追い込んでしまうような長い時間があった。
そしてひょっとしたらもう帰ってはこれないのかもしれない。
ぼくのなかではそういう往ってしまったかもしれない存在となりかけていた。
だからその往ってしまいかけたところを
こうして『失踪日記』として描ける吾妻ひでおに歓喜の感涙を禁じ得ない。
 
ちょうどおりよく、大塚英志のプロデュースになる
『comic 真現実 vol.3』の特集が「吾妻ひでおの『現在』」である。
大塚英志と吾妻ひでおの対談やインタビューまで載っている。
新連載の「うつうつひでお日記」まである。
これはちょっとした、事件だとさえ思う。
この特集を組もうとしたとき、大塚英志は、
この『失踪日記』の出版を知らずにいたそうだが、
やはり吾妻ひでおの帰還というのは、
ある人にとっては、きわめて特別な事件だったのだろう。
 
『comic 真現実 vol.3』のなかでの大塚英志の次のような言葉は
それそのものとして、掛け値なしに受け取る必要があるだろう。
 
	吾妻ひでおの特集である。
	しかし、今回の特集に限っていえば、重要なのは、吾妻ひでおが今も
	そこにいる、ということをただ示すことのように思う。彼がどのよう
	なまんが家であったとか、今、どうしているか、ではない。
	今も、吾妻ひでおはいる。
	確かめるべきはその一点だ。
 
そして次のことを深く受け止めることだ。
 
	だから重要なのは彼が「失踪」したことではない。
	そんなものはどうに吾妻ひでおのなかでは「ネタ」になっている。
	『失踪日記』の中の話は、10年前に戻って来た時、既に吾妻ひでお
	の中では「ネタ」になっていて、ぼくたちはそれを聞かされ、ただ笑
	うしかなかった。
	だから、吾妻ひでおが今、こうやって「失踪」さえも描いてしまった、
	ということは、もう、それさえも、つまり「失踪」も「アル中」も吾
	妻ひでおの中ではとうに「相対化」された、ということになる。
	それでは「失踪日記」の、さらなる外とはどこか。
	それは「日常」というどうにも厄介な場所のような気がしてならない。
	日々を淡々と生きつつ、締切通りに原稿を上げる今の吾妻ひでおが、
	ぼくには一番、手強そうな気がしてならない。
 
そう、「一番、手強い」のは、往ってしまった人ではない。
帰ってきた人なのだ。
だから、往ってしまったパウル・ツェラーンやランボーではなく、
吾妻ひでおのほうが、ずっと「手強い」のだ。
 
日常から非日常へと往き、
そしてシフトした日常にある者。
その者こそに今注目するのが、面白い。
 
 

 ■風の本棚メニューに戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る