風のブックマーク2004
「雑誌」編

エンタクシー09
大特集「落語の覚悟ーー因果と漂白の賛歌」


2005.4.13.

■エンタクシー09
 大特集「落語の覚悟ーー因果と漂白の賛歌」
 (扶桑社/2005年3月29日発行)
 
この「エンタクシー(en-taxi)」という雑誌のタイトルは、
「タクシー・で」という意味。
「手を挙げて乗り、後部座席に流れる時間を堪能し、
目的地の着いたらサッと降りる。
ただそれだけの、だけど、とても大切な……。」
というコンセプトがあるらしい。
季刊で、福田和也が関わっている。
出ていたは知っていたが、
なんだか面倒くさそうなので、敬遠していた。
 
で、今回は「落語」だというので、触手が動き、
しかも、「立川談志と福田和也」だというので、
これは読まずばなるまいということになった。
しかも、特別付録で、文庫本のような形態の
唐十郎の新作戯曲「鉛の兵隊」がついている。
 
読む前から、ピンときていたのだが、
立川談志と福田和也が意気投合し合っている。
 
談志が「アナタが初めてだったんだ、
芸についてちゃんとした判断、批判をしてくれたのは。
それまでは、自分で自分の反省材料を探すしかない、さびしい状態でした。」
とまで言っている。
しかも福田和也にしてからに、
「僕にとっても家元くらいなんですよ。
自分は毎晩何やってるんだ、と思わせてくれるのは。」とくる。
 
立川談志と福田和也の言ってることは
至極真っ当なことであることは確かだし、
その「芸」の極め方にしても激しいまでである。
そしてその根幹には次のようなところがある。
 
	自意識にたいして自意識をもってしまうタイプがある。これは、自意識過剰
	というのとはまったく違って、自分の自意識をさらに解剖して、解剖するこ
	とについてまた、解剖してしまうという、合わせ鏡のような、精神の自己運
	動を否応なく引き受けてしまう意識の構造をもっている。
	その点で世間の動向と関係なく進んでいける強さがあるが、同時に、また空
	転してしまうと、どんどん自分で自分を追い込んでいく。
	(福田和也)
 
しかし、危険なのである。
立川談志の危険は、芸の危険だからいいのだけれど、
問題は福田和也である。
それは思想を芸にしているだけに、ちょっとコワイ。
 
なぜ、大塚英志や宮台真司とそんなに言ってることは
基本的にそんなに大きく違わないのに、
福田和也が福田和也になってしまうのは、
たぶん「芸のないこと」がいやなのだ。
つまらないのだ。
 
大塚英志や宮台真司は、
「芸がなくても仕方ないじゃないか」というところがあって、
だから「日本国憲法を守ろう」とかいういわばダサイことも
やってしまうのだけれど、福田和也はそんなまどろっこしいことはしない。
その「芸」の徹底はとても危うさをはらんでいる。
もちろん危うくないものはつまらないのだ。
 
しかし、まどろっこしいことをあえてすること。
ダサくてもそれを受け止める器をもつこと。
だからこそ、大塚英志は日本国憲法へ行き、
宮台真司はパウロやキリスト教へ行くところがあるのだろう。
 
そして、福田和也は談志に行く。
おもしろいが危険である。
はてさて。
 
ところで、この特集を読んで、談志の弟子「談春」がすごそうなのがわかる。
とりあえずは要チェックである。
 
 

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