■Coyote No.1 September 2004 特集 森山体道ーーその路地を右へ なんだかよくわかなないけど不思議な雑誌が創刊されたのを見つけた。 その名を「Coyote コヨーテ」という。 MAGAZINE FOR NEW TRAVELLERS とある。 偶数月5日・年6回発行されるらしい。 このNo.1の9月号の発行が8月5日なので、今度は10月5日か。 巻頭に「旅をする人へ」のメッセージがある。 それを読むと、「新しい冒険譚」の雑誌になるらしい。 普通の意味での「旅」というのではなく、 象徴的な意味も込めた「旅」。 そういう意味で「旅の数だけ人は境界線を越えることができる」と そこには噛まれているようにそのメッセージを受け取ることができるだろうか。 最初の「旅」の特集は、写真家の森山体道となっている。 「ぼくの日常、ぼくの写真は、街のなかをさまようこと」というように 60年代以降路上をさまよってきた写真家の作品群。 「パリ、松江、宇和島、そして東京へと、 彼の轍に写り込んだ光と影。森山体道を探すことで、コヨーテの旅ははじまる」 ぼくの知る森山体道は 大竹昭子『眼の狩人/戦後写真家が描いた軌跡』(ちくま文庫)に 描かれている森山体道であり、 この特集でもその大竹昭子が「ドキュメント」に加わっている。 この雑誌を読みながら思い出したのは、 「写真時代」という雑誌。 この雑誌は他にないユニークなものだったので 今でもその数号分が手元に残っていたりもする。 たしか80年代の始めのころだっただろうか。 もちろんこの「Coyote コヨーテ」はそういう ある種のジャンクさだけではなく、それを抱え込みつつも、 おそらくはそういう手法をも使いながら 「境界線」を越えるということが意図されているのだろう。 しかしこの種の雑誌は、たぶんというか 絶対的に?売れないという宿命を持っているように感じる。 年6回発行とはいうものの、ひょっとしたら1年も続かないかもしれない。 しかしそういう「冒険」的な雑誌というのにぼくは不思議な親近感を感じてしまう。 おそらく引越などしても、処分できずに ずっと手元に置いておくことになってしまう雑誌のひとつ。 あの「写真時代」がそうであるような意味で。 なかに谷川俊太郎の、「私のうちなるコヨーテが身じろぎする」ではじまる 「コヨーテ」という詩がある。 そして「からだを運ぶことは魂を運ぶこと」 「私のうちなるコヨーテが夢を見ている」とある。 「私」はどこに「魂」を運び どんな「夢」を見ることになるのだろうか。 しばらく「Coyote コヨーテ」のそんな「旅」につきあってみようと思っている。 |