風のブックマーク2004
「芸能」編

 

立川末広『談志の迷宮 志ん朝の闇』


2005.3.1.

□立川末広『談志の迷宮 志ん朝の闇』
 (夏目書房/2004.1.25.発行)
 
このところ毎日のように落語をきいているが、飽きない。
やはり志ん朝の落語は群を抜いてすばらしいが、
ようやくぼくにも少しだけではあるが談志のすごさがわかってきた。
志ん朝と談志。
やはりこの二人はただものではない。
志ん朝なきあとも、まだ踏ん張っている談志も
とくにただものではない。
 
著者によると、志ん朝ファンには談志嫌いが多いという。
わかる気持ちもするが、著者もいうように
それは「実に不幸な落語ファン」なのかもしれない。
談志は破天荒なところもあるが、
強靱さのなかで織られていくしなやかで繊細な感情の襞など、
その話芸の魅力は奥が深い。
 
ところで、著者名が「立川」となっているので、立川談志の一門かとおもいきや、
著者の「立川」は「立川談志」とは無関係らしい。
落語を愛し続け、そのなかで、談志と志ん朝が並び立って
ひとつの時代をつくってきたことが、
本書では著者自身の落語をめぐるさまざまな体験から深くわかってくる。
 
しかし、落語という話芸の素晴らしさに耳を閉ざしてしまうのは
あまりにもったいないことだと、あらためて思う。
ほかの言語圏の話芸についてはよく知らないが、
こういう落語のような、ある意味で一人芝居、一人オペラのような芸は
かなり珍しいのではないだろうか。
しかも、一人芝居のなかに、落語家本人の批評さえ混じっていたりする。
この多層性、多重性のなかに、さまざまな感情の襞が表現されている。
聞けば聞くほどに、贅沢な芸だと思う。
 
本書には、志ん朝と談志を中心に、
著者の愛した落語のネタにまつわる話とともに、
三木助や文楽など、さまざまな名人などについての話なども盛られている。
同じ話が落語家によって違った色合いで語られている
その違いなどについての話も興味深い。
このほんのおかげで、三木助や文楽などの落語にも
足を伸ばす、いや、耳を伸ばすきっかけになった。
いやあ、落語というのはほんとうに楽しい。
笑って、ときにほろりと泣いて・・・、
感情の浄化と洗練にもとても役立つのではないだろうか。
しかも自分の意識を落語に見立てて重層化させていく
きっかけにもなり得るのではないかとも思う。
 
 

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