風のブックマーク2004
「思想」編

 

辛淑玉『怒りの方法』


2004.6.1

■辛淑玉『怒りの方法』
 (岩波新書890/2004.5.20)
 
ぼくはたしかに怒るのがそう得意なほうではない。
ほんとうに怒るということが少ないということもあるだろうが、
そういう感情表現を開発できていないということもあるのかもしれない。
 
以前からその「怒り」ということについて気になっていたので
その『怒りの方法』というタイトルにひかれて、
同じ著者による『愛と憎しみの韓国語』を
以前読んでいたことをすっかり忘れていたのを
読みながら思い出したりしていた。
 
        怒りを人間性の回復と社会の再生の素とする
 
というのが著者の視点である。
 
         日本社会のキーワードは、「仲間はずれ」「村八分」だ。
         だから、怒りをぶつけていい対象が強い者から与えられると、人々は
        いっせいに動き出し、ヒステリックにその対象を攻撃しはじめる。
         とくに、権力に逆らった者に対しては、権力と一緒になって容赦なく
        叩く。
         日本社会は「判官びいき」とも言われる。たしかに弱者が物言わず耐
        えている間は、同情を寄せる。だが、その弱者が声を上げて主張しだす
        と、今度は強烈な嫌悪感と憎悪で攻撃し、そして排除する。「権利ばか
        り主張する奴だ」「世間を騒がせる迷惑な奴だ」などと。
         声をあげた弱者や「普通」とは違う行動をとった個人を、自分たちの
        怒りのはけ口にしては、そのことで世界中から顰蹙を買う。日本社会は
        これを繰り返している。
         イラクでの日本人人質事件などは、まさにその典型だろう。
 
なにか事件が起こるたびに、
「大衆の無意識」がいろんな形をとって現われてくるのがわかる。
それには一定のパターンがあって、
とくに匿名で人を攻撃するときのありようを見ていくと
たしかに「怒りの方法」を誤っているのがよくわかる。
そういう「怒りの方法」は決して「人間性の回復と社会の再生」へではなく、
むしろその逆の方向へと向かわせることにもなりかねない。
 
そういう意味で、自分の「怒り」をちゃんと
育てていけるだけの「方法」はたしかに必要である。
本書で描かれているのは、かなり単純な事柄ばかりで、
そうまで深く繊細なところまでつっこまれてはおらず、
それは著者のわかりやすい性格?を反映しているともいえるのだろうが、
いちおう問題意識として「怒り」というテーマを
あらためて考えてみるにはいい素材になるかもしれない。
 

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