■古東哲明『他界からのまなざし/臨生の思想』 (講談社選書メチエ329/2005.4.10.発行) 他界というのは、彼岸、あの世。 哲学がどこまでその他界に迫れるのか。 著者は、他界についての世界観を大きく二つに分けている。 ひとつは、「他界をこの世の間近に想定する」近傍他界観。 もうひとつは、遠望他界観。 「この世と完全に隔絶した、はるか彼方の背後世界を遠望し、 そこへ超越していくことで、生死の去就をめぐる不安や痛苦を解消しようとする」。 後者はもちろんキリスト教やイスラム教のように、 天国的なものを想定して、そこに救いを求める発想だが、 本書では、前者の世界観を深めていくことを模索している。 つまり、単にご先祖様等の死者がすぐに身近にいるというのではなく、 この「生」に臨接している他界という観点から 開示されてくるものを観ていこうとしている。 それを「臨生の思想」と名づけている。 ある意味で、神秘学の序論とでもいえるような観点が盛り込まれている。 その視点は、他界について観ていこうというありきたりなものではなく、 他界からこの生を観る視点を通じてこの生を深めていく可能性を開くものである。 本書でもふれられているが、ある意味でベルリン天使の詩の堕天使のような視 点でもある。 著者についてはすでに以前『<在る>ことの不思議』や 『ハイデガー=存在神秘の哲学』をご紹介したことがある。 ひとことでいえば、存在するということがいかに不思議な驚きに満ちているかという 根源的な問題を真っ正面からとらえようとしている著書である。 本書はその視点を踏まえながら、そこから神秘学的な視点のほうに さらにシフトしていこうとしているように見える。 他界からこの生を観るということは、 今ここに存在していることそのものが いかに希有なことであることかに驚くことでもある。 日常を日常として観るのではなく、 日常をある意味究極の非日常としての死の側から観るということである。 花は紅、柳は緑。 あたりまえのものがあたりまえのものではないことに気づき驚くこと。 その存在そのものの神秘のまえに自らを置くこと。 もちろん、神秘学的な視点を獲得するためには、 そこからもうひとつ超えなければならない認識があるわけだけれども、 まずは本書の視点を得ることで、 シュタイナー理解のひとつの閾を超えることができるようにも思う。 たとえば、シュタイナーの『神智学』という基本書があるが、 これが読みにくいという方は、それを読むための序論のようにするのもいいか もしれない。 ちょうど、同著者による『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)も 刊行されたところだが、この書もまた通常の哲学書にはみられない、 ある意味で哲学の根源のところに迫る好著だといえる。 併せて読めば、勇気百倍である。 |