風のブックマーク2004-2005
「思想」編

 

宮台真司・仲正昌樹『日常・共同体・アイロニー』


2005.3.27.

■宮台真司・仲正昌樹『日常・共同体・アイロニー/自己決定の本質と限界』
 (双風舎/2004.12.20.発行)
 
パフォーマンス性豊かで、むつかしい言葉や概念が飛び交い、
しかもさまざまにふざけながら人を眩暈させるネタの遊園地のような宮台真司。
それと対照的に、人付き合いが苦手で
最初は目をあわせることさえなかったにもかかわらず、
ノリがよく、問題を小さなところからきちんととらえようとする仲正昌樹。
これは、その両者の問題意識が、これまでぼくの読んできたなかでは、
もっともわかりやすくでてきているように見える対話である。
 
宮台真司は、おそらく仲正昌樹の前で、
最初はそうでもなかったようなのだけれど、
次第に、真摯な感じの言葉が多くなってきているような感じを受ける。
おそらく宮台真司の言っていることがこれほど理解されていることは
これまでなかったのではないかとさえ思える。
実際、ある意味で、この対話は、宮台真司読本にもできるかもしれない。
それは、たぶん仲正昌樹の持つ不思議な力なのだろう。
 
そして、ぼくはこの両者ほど理解は到底及ばないだろうが、
ぼくの理解する範囲では、神秘学的な部分や芸術的な部分を除けば、
ぼくは「思想」的にいえば、この両者にかなり近い位置にあると思っている。
そういう意味でも、この対話を読みながら何度頷いたことだろう。
 
「アイロニー」の重要性についても、
仲正昌樹はドイツロマン派からくるアイロニーの立場から、
宮台真司は社会学の立場から、とても納得のできる示唆がなされている。
とくに、ぼくには、ドイツロマン派的なアイロニーが好きで、
その思想的背景等をきちんと論文にしている仲正昌樹には共感するところ大である。
 
それから、いわゆる神秘学的な観点を持ち得ている人にしても、
この両者の観点を同時代的に持ち得るということは
きわめて大きいのではないかと思える。
逆に、こうした観点を持ち得ないとしたならば、
下手に神秘学的なものに近づかないほうがいいのかもしれないとさえ思う。
つまり、「共同体」や「日常」といったものに対して、
あまりに素朴な見方しかできないということは大変危険なことなのだ。
 
今無前提にあると思いこんでいる「共同体」を疑わないことは問題外だけれど、
それを排して、「真の共同体」があるとか、それがつくれるとか信じ込むことは
やはり錯誤であるということだ。
しかしもちろん、「共同体」の可能性を否定してしまうのもまた錯誤。
ある意味で、「共同体」ということにしても、
それを純粋にとらえてしまうということは避ける必要がある。
そこには常に「イロニー」がなければならないということでもある。
 
本書を見つけたのは最近なのだけれど、刊行されたのは昨年の暮れ。
この双風舎というのは、宮台真司も巻末のアンケートでコメントしているように
「取次店を通さずに頑張っています」ということなので、
なかなか知られずにいることが多いのだろうと思う。
しかし本書はとても大切な「現代性」がぎゅっとつまっている好著である。
関心のある方はぜひ探してみることをおすすめしたい。
 
さて、巻末のアンケートは、同じ質問を両者にしたもので、
ちょっと面白いなと思ったのは、宮台真司がテレビも新聞も読まないのに対し、
仲正昌樹は新聞やテレビ通のようであるところだ。
その他の質問からも少しかいま見えるのは、
まるで談志と志ん朝の違いのようなところである。
一見派手できわめて現代を落語に取り込んでいるような談志が
意外にジャズにしてもデキシーが好きなのに対して、
古典にのっとってきちんとやっている志ん朝がモダンジャズを好んでいるよう 
な対比だ。
宮台真司の談志風なのに対し、仲正昌樹が志ん朝風とでもいえるだろうか。
宮台真司は一見派手で新しいネタ好きのように見えて、
けっこう古い感覚を持っているように、次第に思えてくるようになった。
宮台真司は、昔気質の人がやんちゃを装って奮闘している感じである。
・・・と、そういう読み方も、本書からは可能なところがあって、
エンターテインメントとしてもいいところをいっているように感じた。
 
 

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