風のブックマーク2004
「思想」編

 

サライ2004.2/5「河井寛次郎」


2004.1.31

■サライ2004.2/5
 立体特集・土と炎の詩人「河井寛次郎」
 
今、ひろしま美術館で開かれている《柳宗悦の民藝と巨匠たち展》でも
その作品が展示されている河井寛次郎が、サライの特集になっている。
 
昨年は、鳥の観察の年でもあり、
また鉱物採集に勤しんだ年でもあったけれど、
冨岡鉄斎や広重、北斎とならんで
この河井寛次郎に目を開かされた年でもあった。
足立美術館ではじめてまとまってその作品を見たのだけれど、
そのときから河井寛次郎はぼくにとって特別の存在になった。
その作品から立ち上るアウラというかなんというか
こんな作品があったのだ!ということに驚嘆させられた。
 
その言葉もとてもぼくのなかに入り込んできて
それがぼくのなかでいつも響いているようにさえなった。
河井寛次郎には著書が幾冊もでているが
『火の誓い』(講談社学芸文庫)というエッセイが求めやすい。
 
サライの特集でもそのなかの文章をはじめとしたところから
とても深い言葉が紹介されている。
 
        此世は自分を探しに来た処
 
        此世は自分を見に来たところ
 
        新しい自分が見たいのだーー仕事する
 
        美の正体 ありとあらゆる物と事の中から見つけ出した喜
 
        美はすべての人を愛して居る
 
        何処かに自分が居るのだーー出て歩く
 
        もの買って来る 自分買って来る
 
人は死後、内界と外界が逆転するという。
そうだとすれば、生まれる前の自分からしても
そのときの内界と外界は生まれてから逆転する。
つまり、「此世」は生まれる前の自分でもあるのだ。
だから、「ありとあらゆる物と事の中から」
自分であることを見つけ出し、
そしてそのなかで「新しい自分」を見るということが
河井寛次郎にとっては陶芸であり木彫りでもあったのだろう。
 
『手足思考』という著書にはこんな言葉もあるという。
 
        私は木の中にいる石の中にいる、鉄や真鍮の中にもいる、
        人の中にもいる。一度も見た事のない私が沢山いる。始終
        こんな私は出してくれとせがむ。私はそれを掘り出したい。
        (略)未だ見ぬ私が見たいから。
 
木から仏像を掘り出すことも、
ミケランジェロが大理石から
あの見事な彫刻を彫り出すことも、
おそらくはまさにこのことなのかもしれない。
 
こういうエピソードも河井寛次郎をよく語っている。
 
         寛次郎は、名声や賞には恬淡としていた。ごく初期を除き、
        作品から「銘」さえ消した。
        「銘がないと偽物が出回りますよ」と忠告されても、「それが
        素晴らしければ、本物でしょう」と答えて意に介さなかった。
         戦後間もなく、文化勲章の話が出た折も、「ごめんこうむり
        たい」とにべもなかった。
 
さて、雑誌ならではの特集のなかで、
河井寛次郎が「こよなく愛した」という
生まれ故郷である島根県安来市の老舗『浜重』の銘菓
「紅梅」が紹介されている。
この「紅梅」はその色が寛次郎の好んだ辰砂の赤を連想させる。
現在はさ3代目の濱田徳雄さんが継いでいるというが
その父親の喜三郎さんが、寛次郎から激励されてつくりだした菓子だという。
 
        私は辰砂の赤を出すのに苦労をした。喜三郎、おまえも、この
        色を出すためには、もうひと苦労ふた苦労しないといけない。
        私の辰砂の色を、お前の菓子でも表現してくれ。
 
2年後の夏、喜三郎さんができあがった「紅梅」を
京都の寛次郎のところに持参したところ、
寛次郎は「これや、これや。これが私が見たかった辰砂の色や!」
といって涙を流しながらひどく喜んだというのである。
 
今度安来市にでかけたらぜひに買い求めることにしたい。
このこうばい「紅梅」、1個80円だという。
おそらくとても良心的な菓子補なのだろう。
 
 

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