■中沢新一・赤坂典雄『網野善彦を継ぐ。』 (講談社/2004.6.25.発行) 網野善彦のような学者が日本にいたということは 誇らしく思ってよいことだと思う。 しかし歴史家のアカデミズムのなかでは敵だらけだったらしい。 公然と「網野善彦が死んだら、彼の書いた本などはすぐに忘れられていく」 と言うような著名な歴史家さえいるという。 「それがアカデミズムの空気の一端」だという。 網野さんが病に倒れられて以来、どこからともなく聞こえてくるのは、 陰湿な湿った声ばかりだった。網野さんの仕事はたちまちにして忘れ られる、歴史学会は網野以後に向けて、すでに動き出している。やが て、網野善彦という名前は忌み物となり、だれも触れなくなるだろう ……、そんな声なき声に出会うたびに、気持ちがふさいだいや、怒り に震えた。(P124/赤坂典雄「あとがき」より) どうしてなのだろう。 学問が学問そのものを否定してしまうような世界で 学問が死を吐き出し続けているようなそんなイメージが浮かぶ。 政治の世界をはじめとして、何か、利権のようなものを守ろうとすれば、 その本来のものは容易に捨て去られてしまうことになる。 そういう危機感、いや怒りから、 この『網野善彦を継ぐ。』という対談が企画されたのだろう。 ともに、網野善彦と同様、組織的なセクトとは無縁の二人が あえて「継ぐ」という表現をしている。 もとより、網野善彦を継ぐ、といった物言いがまったく不遜なもの であることは承知している。しかし、わたしはあえて思う。網野さ んが遺していった、いくつもの問いがある。それらの巨大すぎるが ゆえに、永遠の未完を宿命づけられた問いの群れを、それぞれの場 所にあって引き受け、背負い続ける覚悟を固めること、それこそが 網野さんを継承することなのではないか、と。まだ降りるわけには いかない。(P126/同上) 対談は笑いに満ちているが、強い熱気さえ感じる。 こうした怒りのようなものは、なくしてしまってはならないと思う。 こんな「単独者」についての話がでているが、 これは真性の学問をなくしてはならないという気概が 共感とともに語られている。 中沢 赤坂さんは孤独ですよねぇ? 赤坂 (笑)。友だちがいないだけ(笑)。 中沢 ぼくも孤独です(笑)。子分をつくったり、組織をつくって いくということをしてこなかったですからね。これからもする気は ないし。お互い単独ですね。ですけれども、赤坂さんとのあいだに 流れている友情は、単独者同士の友情と理解というものでしょうね。 先ほどもおっしゃったように、網野さんが亡くなって、ああいう 人格的な支えが消失していくと、たちまち網野さんの影響を一掃し ていこうとする動きが、組織的に出てくると思います。網野さん自 身つねに単独で仕事をしていました。少数のよい友人たちとの結び つきのなかで、仕事をしてきた。それに対して組織をつくっている 人から、これから網野さんの仕事の否定が起こると思います。そう いう危険を察知して、ぼくらはこうやって対談をして、網野さんを ぼくらは継ぐという意思表示をしています。 (P120) 知らなかったのだけれど、中沢新一は今『すばる』の誌上で、 網野善彦論を連載しているということだ。 おそらく連載が終われば単行本化されることになるだろう。 やはりこれは見逃せない。 真の学問はおそらくは死なない。 たとえ殺されたとしても、別の形で復活するはずだ。 そしてその殺害者はいずれみずからを殺していることに気づくはずである。 気づければいいが、気づかないとしたら、そのときその学問は ただのゾンビのようになって彷徨い続けるしかなくなるだろう。 |