風のブックマーク2004
「思想」編

 

佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』


2004.6.8

■佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』(上・下)
 (新潮文庫/平成16年6月1日発行)
 
この『だれが「本」を殺すのか』は、
通称「本コロ」と呼ばれているそうだ。
「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」が
「いか超」と呼ばれることも一部であるようにだ。
 
そしてそこには数々の「本」に関わる「死」が描かれる。
蔵書の死、読者の死、著者の死、書店の死、雑誌の死・・・。
「本」を殺すさまざまに対して容赦ない視線を向ける佐野眞一だが、
「本の復活」への願いが本書を書かせたといってもいいのだろう。
 
先日、佐野眞一の『てっぺん野郎』をとりあげたところで
この『だれが「本」を殺すのか』が、刊行された。
3年前にプレジデント社から刊行されたものに、
<検死編>という下巻の2/3ほどを占める部分が追加されている。
3年前には佐野眞一の著書を読んだことはまだなかったが、
その書名だけはどこか記憶の底にひっかかっている感じもする。
 
「文庫版のためのあとがき」に
「「本」については、もはや書くべきことはほとんどない」とある。
もちろんこの場合の「本」というのは、現代日本において
本が書かれ、編集され、刊行され、書店に並び、売られ、貸され・・・
という「本」の実情に関してということである。
「現場」である版元(出版社)、図書館、書店、レンタル書店、
マンガ喫茶等々における「本」の現状が克明にルポされている。
 
本が売れなくなったとか、CDが売れなくなったとは、よく言われるが、
ぼく自身の実感としていえば実際のところよくわからない。
本もCDもいわゆるベストセラーになるようなものだけが売れて
それ以外はさっぱり読まれなくなったということらしいのだが、
もちろんかつても今も本を読まない人は読まないし読む人は読む、
音楽をきく人はきくしきかない人はきかない。
しかし、ぼく自身が物心ついてから今までの
さまざまなメディアの変化をあらためてふりかえってみると
ここ数十年でめまぐるしく変わってきているのは事実である。
「本」をめぐるさまざまもそのなかで激しく変化し続けているわけである。
現代ではあたりまえのようになりつつあるメディアを
すでにあるものとして享受している世代も確実に存在している。
広告制作においても、「写植」さえ知らない世代も広告会社にすでにいる。
 
そのなかで、なにがどうあるべきか、について語るのは難しいが、
本書を読み進めていくなかで
佐野眞一が繰り返し憤っているように感じられたのは
(実際にそう語っているわけではないのだが)
版元(出版社)や書店、図書館などがともすれば
「読者」を切り捨ててしまっているということである。
つまり、売れること、そして利用者数等のみが重視され、
読書を通じて生み出されるもののことを見なくなっているということ。
おそらく佐野眞一がなによりも重視したいのは
本を読むことによってその豊穣な世界から
みずからを育てていく可能性ということなのだろう。
その可能性を佐野眞一はみずからの読書体験からも信じたいと思っている。
 
ぼく自身としてみれば、佐野眞一ほどには「本」へのこだわりは少ないが、
重要なメディアの筆頭である「本」をめぐる現状について
少なくとも本書に書かれている事実を知り
それについて考えてみることはとても重要なのではないかと感じている。
 
 

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