風のブックマーク2004
「芸術」編

 

岡倉天心/日本文化と世界戦略


2005.7.19.

■ワタリウム美術館編集『岡倉天心/日本文化と世界戦略』
 (平凡社/2005.6.10発行)
 
岡倉天心についてはこれまで『茶の本』を読んだことがあるくらいだったのだが、
ワタリウム美術館で、2005年2月5日〜6月26日、
「岡倉天心展/日本文化と世界戦略」が開催され、
それを記念して本書は出版された。
続いて評伝の大岡信『岡倉天心』(朝日選書/1985)を読んだりもしているのだが、
岡倉天心についてこれまでもっていたイメージがずいぶん変わってくることになった。
 
面白いことに、この二つの本はともに
五浦(いづら)についての話から始まっている。
五浦の海に突き出た岩には、明治38年(1905年)、
天心が設計した小さな六角堂が建てられた。
五浦には、1906年、天心がつくった日本美術院が移転され、
そこには横山大観や菱田春草、下村観山などが家族を連れて移住する。
 
五浦では天心は天気さえよければ毎日のように沖へ釣りに出かけていたという。
そして天心が亡くなるのが1913年。
その間、中国、インド、ボストン、ヨーロッパなどに出かけているが、
日本での滞在はこの五浦の地である。
あのベンガルの女流詩人プリヤンバダ・デヴィ・バネルジーに宛てて書かれた
19通のラブレターも書かれている。
 
岡倉天心は森鴎外と同じ文久二年(1962)生まれである。
慶応元年(1865年)生まれの幸田露伴と同じく
根岸党もしくは根岸派と呼ばれる文人の一団でもあった。
根岸党とは「洒落を愛する数寄人の集まり」。
 
これまで『東洋の理想』や『日本の覚醒』のイメージが強く、
それらがあの時代に果たした役割や意義も理解できるものの、
より興味がひかれるのは、五浦の六角堂での天心の目線であり、
ベンガルの女流詩人への思いであり、
また最晩年に書かれた唯一のオペラ台本『白狐』である。
 
今は、天心はさまざまなかたちをとってぼくのなかで
飛翔し遊戯してはじめているところで、
いったいなにをどう紹介していいか
まるでわからないほどときめいているのだけれど、
今とても心に残っているのは、
女流詩人宛の1913年8月21日付の書簡である。
それを最後にご紹介しておくことにしたい。
 
	けれども、私は完全に宇宙と仲良くなっており、
	それがこのごろになって私に与えてくれたものに対して、
	感謝、ええそうです。たいへんに感謝しています。
	私は完全に満足しています。
	あばれだしたいとさえ思うくらい幸福です。
	私はここまでもぐりこんで来て、
	枕のまわりでうずをまく雲に笑いかけます。
	(大岡信訳)
 
「あばれだしたいとさえ思うくらい幸福」でいられる心境とは
いったいどうだったのだろう。
五浦の六角堂から海の向こうを見ている天心の視線の先にあるものに
これからぼくなりに想像を羽ばたかせてみたいと思っている。
 
 

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