風のブックマーク2


 
高橋巌『ディオニュソスの美学』


2005.11.11.Fri.

■高橋巌『ディオニュソスの美学』
 (春秋社/2005.11.1.発行)
 
高橋巌という人がいなかったならば、
日本におけるシュタイナー受容の現在はいったいどうなっていただろう。
というより前に、ぼく自身、シュタイナーをいまだに知らずにいたかもしれない。
 
それと同時に、シュタイナーの射程範囲のあまりの広大さゆえに、
その高橋巌さんの独特の需要の仕方故に、
たとえば自然学的な方向が乏しくなっていることや
神智学的な方向にひきつけすぎているところなどが
無い物ねだり的に、本書を読みながら気になったりもする。
 
とはいえ、本書は、まずバッハの「フーガの技法」、
さらにシュタイナーの美学、
そして昨年、東京国立近代美術展で企画展があったという
ヨハネス・イッテンがとりあげられているように、
音楽と美術を主なテーマにおきながら、
高橋巌さんならではの「内と外」のテーマなどが、
まさに本書のタイトルにもあるように
「ディオニュソス」的に深められているとても興味深い内容となっている。
 
その「ディオニュソス」というところが、
高橋巌さんらしくもあり、またそれゆえにこそ、
自然学的なアプローチが乏しくならざるをえないといえるのかもしれない。
プラトン的ではあるが、アリストテレス的ではないともいえる。
シュタイナーは、プラトン的なものとアリストテレス的なものをつないでいる
ということができるし、そこにはキリスト衝動という大きな支えがあるわけだが、
その全体を射程に収めるというのは、やはり大変むずかしいことはたしかなのだ。
 
しかし、高橋巌という美学者を現代の日本で持ち得たということは
これはやはり大きな誇りとしていいのではないかと思う。
しかも最近の筑摩書房刊の「シュタイナーコレクション」にしても
本書のような独自のアプローチにしても、まだまだ現役のトップランナーである。
そこにたとえ欠損しているように見えるところがあるとしても、
それを見つけることができる土台をつくってきたのもこの人なのだ。
それは各自が独自に探求していけばいいことだ。
 
今回、本書でとくにうれしかったことは、
最初にとりあげられているバッハの「フーガの技法」についての
たいへん高橋巌さんらしいアプローチである。
バッハをなによりも敬愛しているぼくとしても
こうした内容を読むことができるというのは何にも代え難い喜びになる。
 
できうれば、まだまだずっと現役のトップランナーであってほしいと願っている。
この人を失うには、今の日本におけるシュタイナー受容は
まだまだあまりに貧しすぎるのだから。
 

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