風のブックマーク2

アミール・D・アクゼル『デカルトの暗号手記』


2006.10.7

 

■アミール・D・アクゼル『デカルトの暗号手記』
 (水谷淳訳/早川書房/2006.9.30発行)

デカルトという人はとても魅力的な人で、
少し前によくいわれたような「デカルト的二元論」のイメージでしか
デカルトを見ていないとしたら、とても貧しいことになってしまう。
そういうふうにしか見られないことそのものが、悲しい二元論なのだろう。

デカルトは、その時代のエポックになるところにはかならずといっていいほど出没し、
しかもそれにどっぷりつかるというのではなく、
かならず距離をとろうとしているように見える。
自身はカトリックでありながらプロテスタントと近しくもあり、
そうした姿勢のせいでさまざまな誤解を受けることもあっただろうと思う。

これはぼくの憶測だけれど、デカルトはけっこう臆病なところがあって、
政治的にも宗教的にもその渦中に巻き込まれないように
いつも旅をし、ひとところに留まるのを避けていたのではないだろうか。
薔薇十字団にもとても興味を持ち実質的に接触もし
深い理解をもっていたところもあるようだが、自身はそうではなかっただろうし、
そう思われることを極力避けようとしていたところもあるようである。
しかし生涯最後にクリスティナ女王に乞われてスウェーデンに渡って
結局はいろんな意味で渦中に巻き込まれ死んでしまうことになる。

さて、本書の邦題に「暗号手記」とあるが、原題は「Secret Notebook」。
デカルトには、だれにもみせないでおいた羊皮紙の手稿があり、
それを秘匿していたデカルトの友人のところにかのライプニッツが訪れて
それを見せてくれるよう頼み込み、その一部をその場で写すことができた。
そしてその原本は失われてしまったが、その写しだけが今も残っているという。

さて、その「Secret」とは?
というのが、本書を読む楽しみの中心である。
それはある数学的な発展に関わるものである。

なぜデカルトは秘密のノートを持っていたのか?その内容は何だったのか?
そしてなぜライプニッツは、パリへ行ってクレルスリエを探し出し、デカル
トのノートを書き写さなければならなかったのだろうか?

ここでその数学的発見に関わる内容をご紹介することも考えたが、
あえてここでのご紹介は避けておくことにしたい。
その秘密の面白さを理解するために、デカルトの生涯が辿られ、
それをさまざまな角度から知るのも本書を読む楽しみを倍加している。

しかし、デカルトにライプニッツ。
役者がそろっているなあ、という感慨がある。
著者は「ポピュラー・サイエンス」のライターで、
『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』『「無限」に魅入られた天才数学者たち』など
興味深い内容の著書も多いが、デカルト(ライプニッツも)ファンのぼくとしては、
こうした類の本のなかでは、久しぶりに時を忘れる体験をすることができた。