■竹村真一『宇宙樹 cosmic tree』
(慶應義塾大学出版会/2004.6.15.発行)
美しい本に出会った。
こういう本に出会うときというのは、
きまって本のほうから呼ばれているような気がする。
手にとってみると帯に「人間と植物の共進化にむけて」とある。
興味をひかれてページをめくってみると
扉の裏にはシュタイナーの次のような言葉があった。
太古の人間は植物界を自分の一部分だと思い、
地球を深く愛していました。
地球は人間の一部分である植物を受け止め、自分の中に根付かせ、
自分の成分から樹皮を作り、樹木を覆ってくれたのです。
古代人は物質的環境のいたるところで、道徳と結びついた評価を行いました。
牧場の植物を前にしたときは、自然の成長する姿を感じただけではなく、
人間の成長力との道徳的な関係を感じとっていたのです。
(ルドルフ・シュタイナー『遺された黒板絵』筑摩書房より)
内容を読んでみると、シュタイナーにかぎらず、
ぼくがここ20年ほどに出会ったさまざまなテーマが美しく鏤められている。
著者のプロフィールを見てみるとぼくとほぼ同世代の方で、
「生命科学や地球学を踏まえた新たな『人間学』を構想するかたわら、
独自の情報社会論を展開」とある。
最初、『宇宙樹』というタイトルを見たときに思ったのは、
ふつうのエコロジー本だったらいまいちだろうなとか思ったのだが、
杞憂を払拭するに十分な、このテーマでぼくが整理したいと思っていたような内容が
こういうふうに書ければ素敵だろうなと思えるような形で書かれてあった。
Co2云々といった即物的な危機意識に矮小化されがちな環境問題を、
もっと知性的で美学的な文脈へと広軌転轍すること。植物や樹木の
ありよう、それと人間との関わりを、宇宙的な知性の進化過程とし
て捉え直すこと。ーーそれが『宇宙樹』というタイトルに込められ
た、本書のモチーフにほかならない。(P.175-176)
環境問題として語られるさまざまな「対策」は
その名のとおり「対策」であって、医療でいえば対症療法以外の何ものでもない。
発想そのものを転換するのない「対策」は、
それを引き起こしている原因とまったく同じレベルでしか作用しないだろう。
「対策」の過剰もまた、悪くすれば「免疫力」をますます減退させるしかなくなる。
手術をして「悪い部分」を切り取るというのも同じ発想。
エコロジーといわれるものも、その論じられる「包装紙」の部分はさまざまだけれど、
結局のところ、その発想の根本はそんなに大きく違わないことが多い。
本書は一貫して「知性的で美学的な文脈」で、
「人間と植物の共進化」、ひいていえば「人間と地球の共進化」が語られる。
あえていえば、「魂」に関するテーマもあわせて語ることのできるような
「知性的で美学的な文脈」をも提示してほしいところではあるが、
それはないものねだりだといえるかもしれない。
さて、トポスの推薦書があるとすれば、本書もその一冊に数えたいと思っている。
せっかくの機会なので、少しだけ「ノート」を書き記しておきたい。 |