風のブックマーク2

バイオグラフィー・ワーク入門


2006.8.22

 

■グードルン・ブルクハルト『バイオグラフィー・ワーク入門』
 (樋原裕子訳/水声社2006.7.30.発行)

人智学をもとにした、大人のための自己教育法「バイオグラフィー・ワーク」は、
人智学医学を通じて、ベルナルド・リーヴェヘッドによりオランダではじめられた。
「バイオグラフィー」ということで想像できるように、
一人ひとりの、いわゆる「人生の物語」「生の記録」をふりかえって、
現在の自分の位置を確認し、人生の意図とでもいうものを見出すためのワーク だという。

その視点は、シュタイナーの精神科学をある程度理解されている方にとっては
なじみ深いところもあるだろうけれど、その「バイオグラフィー・ワーク」について
日本ではあまり紹介されたことがないようだし、
ぼくにとっても、本書を通じてはじめて知ることになったので、
訳者あとがきから、そのベルナルド・リーヴェヘッドと
本書の著者についてご紹介しておきたい。

 ベルナルド・リーヴェヘッドはオランダ人の両親のもとインドネシ アで生まれ、
やがてオランダに渡り医者となります。その過程で人智学とヴェーク マンの活動
に出会い、1931年、オランダで最初の人智学的治療教育施設を創 設します。
第二次世界大戦後、精神科医でもあった彼はバイオグラフィーの理論 を発展させ、
社会教育へ向かいます。そしてNPIという、バイオグラフィー理論 を用いた企
業コンサルティング機関を設立します。そこで学んだのが、本書の著 書、グード
ルン・ブルクハルトのふたりの夫です。そのいきさつは著者自身のバ イオグラフ
ィーに詳しく書かれていますが、医者である著者自身もまた、このふ たりの男性
を通して、社会教育分野とバイオグラフィー・ワークに出会っていきます。
 グードルン・ブルクハルトはドイツ人の両親のもと、ブラジルに生 まれました。
医学生の頃より人智学に関わり、やがてブラジルにおける人智学医学 のパイオニ
ア的存在として、トビアス・クリニック設立などの大きな役割を果た しました。
 人智学の芸術分野にも関心を寄せていた彼女は、絵画や粘土、演劇 やオイリュ
トミーなど、芸術的な要素を取り入れ、バイオグラフィー・ワークを グループ・
ワークとして、より実践的・具体的に発展させました。彼女はリーヴ ェヘッドを
して「バイオグラフィー・ワークの母」といわしめるほど、その発展 に大きく寄
与し、その方法論はヨーロッパやブラジルを中心に多くの後継者に引 き継がれて
いっています。(P.314-315)

今日本では、江原啓之弘による「スピリチュアル・カウンセラー」が
若い女性を中心にしてブームになっているところがあって、
受容のされ方は別としても、ある意味で、この「バイオグラフィー・ワーク」 に近いところに
位置づけることもできるかもしれないし、
これだけ荒れてしまっている現代日本の霊性を少しでも底上げ?するためにも、
それなりの役割を持っているところもあると思われるし、
どちらもカルマや転生といった視点を前提にしているのは共通しているが、
「バイオグラフィー・ワーク」では、もちろんオーラや前世のことは扱われない。
あくまでも、7年ごとのまとまりでとらえられた今の地上生を通じ、
そこから自己教育的に生への洞察を深めていこうとする。
しかも、人智学的世界観、とりわけ人智学医学が根底にあることで
より「実践的・具体的」な方向性が可能になっているように思われる。

生涯教育という言葉はすでに手あかのついた感じにもなっているけれど、
生涯教育を貫く柱として、バイオグラフィー・ワークを位置づけることができれば、
生への洞察を自己認識的に深めていくことを通じた、
生涯教育本来の意味を獲得することができるようにも思える。

本書では、21歳までの成長過程を「人間になりゆく/人生の準備期」、
21歳から42歳までの段階を「人間である/魂の成長期」、
42歳から63歳までの段階を「人間として成熟する/霊的成長期」とし、
さらにそれぞれの時期を7年ごとの段階として、
バイオグラフィーの例を通じて紹介しているが、たとえば今ぼく自身のいる段階は、
42歳から49歳の「新たに創造し、新たに観る」時期としている。

それについて書かれていることを、本書のなかから少し。

 皆さんは、40歳という年齢を特徴づける「人生は40から始ま る」という表現
をご存知でしょう。しかし、厳密にいって、そもそも40で何が始ま るのでしょう
か?40歳で、それまで諸器官に結びついていた私たちの自我が、特 に下部器官か
ら解き放たれるのです。それは、生殖器官や四肢、そして代謝系にあ てはまります。
・・・
これらの器官や筋肉の諸力は、今や新しい創造行為のために使われる ように変容さ
れなければなりません。「人生は40から始まる」ということは、新 しく創造の力
を広げるということです。それは、ひとりひとりが自分のやり方で見 出さねばなら
ないものなのです。
・・・
 この時代に私たちが自分に問いかけなければならないのは、次のよ うなことです。
「自分の素質や才能などで、どんなものを私は葬り去ってしまったの だろうか?」
と。それは私たちが今再び取り上げて、新しい創造の力へと広げたい と思っている
ものです。あるいはこう問いかけることができます。「どのような新 しい力の衝動
が私の中から起こるのだろうか?」と。・・・おそらく私たちは自分 の人生の経験
を他者へ伝えるために変容していくのです。
(P.149-150)

まだ若い頃は、自分が40歳を超えて生きるなどとは思えなかったし、
それ以降というのはまるで想像できるはずもなかった。
20歳頃までというのはたしかに「人間になりゆく」時期でまだ人間になりき ってなくて、
35歳くらいまではやっと人間になろうとしてはいるけれど、
自分がいったい何なのかまるでわからないままに生きていた。
ようやくほんのわずかだけれど、ものを考えることができるようになったのは、
それ以降のことのように今になってみれば思う。
それまでは、ぼくにとっては、この地上で生きているということそのものが
どこか陽炎のようにしか思えていないところもあったようにも思える。

そして、「人生は40から始まる」というような歳になって、
少なくともそれまで生きてきた自分を
振り返ることもできるようになってみると、
たしかに「新たに創造し、新たに観る」という課題が
かなり切実なものとして迫ってくるところがある。

バイオグラフィー・ワーク的な視点で自分の生をとらえていくことで
見えてくるものは思いの外大きいように思える。
現代では、歳を経ることに対する恐れのほうが大きいようだけれど、
歳を経ることでしか見えてこないもののことを
自己認識的に深めていくことはほんとうに豊かな可能性をもっているはずである。