風のブックマーク2

野地秩嘉『企画書は1行』


2006.7.6.

 

■野地秩嘉『企画書は1行』
 (光文社新書/2006.6.30.発行)

「企画書は1行」というのは、
「1行で表現すればいい」ということではない。
本書のあとがきにもあるように、
「一行を見た時、頭の中に映像が浮かぶこと」である。

企画書を書くのはむずかしい。
すでに何百という企画書を書いてはきたが、
これで正解という企画書を書けたことはない。
毎回毎回、悩まなかったことはないくらいだ。
企画書の目的は企画書を通すこと。
だから、通らなかった企画書はとても悲しいし、
通ったからといって、その企画書が良かったと納得できるわけでもない。
いい企画書というのは、やはり、それが「伝わる企画書」だったときなのだろう。

CMをプレゼンするときでも、
グラフィックをプレゼンするときでも、
マーケティングプランを説明するときでも、
もちろんイベントプランを理解してもらおうとするときでも、
たしかに、少ないことばで、「このプランは〜なのです」ということで、
相手のなかにそのイメージを効果的に浮かべることができるとき、
おそらくその企画は「伝わる」要素を備えているのだということができる。

膨大な資料を盛り込み、マーケティングデータ等に基づいて、
「だから、〜なのです」ということを論証するように説明できたとしても、
首をかしげられたまま、「だから、このように広告を使いなさいということな のですね」
ということになってしまうというのは、「伝わる企画書」ではない。
もちろんそうした「裏づけ」が不要だというのではないのだけれど、
「頭の中に映像が浮かぶこと」のないプレゼンテーションは、
ある映像を数字データを見せることでイメージさせようとするようなものなのだ。
実際、自分が説明していて、自分のなかに「映像」が浮かばないような企画書を
何度書いたことかしれない。
もちろん、今も、これからも、そういう愚を犯し続ける危険性は高い。

本書は、そのタイトルにひかれて読み始めたが、
タイトル以上のものが内容にはないかもしれないとおもいきや、
とりあげられているさまざまな事例は、仕事上以外でも、
有効なものがたくさんあり、思いの外参考になったので、
ビジネス系ではあるがご紹介してみた。
ちなみに、本書に収められている内容は、
『日経PC21』に連載されたいたものだということである。

さて、企画書ではなく、こうしたメールにしても、
あるときには、「1行」とはいえないまでも、
少ない表現でその目的を理解してもらう必要のあることがある。
しかし、反面、そういう仕方での理解がむしろ大きな意味での理解を
スポイルしてしまうこともある。
つまり、いつなんどきでも、「わかりやすい表現がいい」というのではない、
ということは当然のことながら理解しておく必要がある。

たとえば、シュタイナーの『自由の哲学』についていろいろ語った後に、
「それをひとことで表現するとどうなりますか?」と聞かれても困るのである。
困るというよりも、そういう質問そのものが、理解を自分でスポイルしている ということになる。
『自由の哲学』は別に、「企画書」でもなんでもないのだから。
だから、そういうときには、「愛でしょうね」とでも答えておくしかないのか もしれない。