風のブックマーク2


 入沢康夫『アルボラーダ』


2005.10.2.

■入沢康夫『アルボラーダ』
 (書肆山田/2005.8.30発行)

詩を意識的に読むことを教わったのは
入沢康夫の詩からだった。
『詩の構造についての覚え書き』は今も記憶に新しい。

同時に、詩の言葉のなかに
(もちろんその場合の詩は感情垂れ流しの詩のことではない)
まるで暗号の呪文のように
涙や血潮が込められれていることも教わった。

まったく関係がなさそうな文章が
並べられることで
そこに詩の受容が生まれる可能性があるが、
似たように見える言葉の並びからでも
まったく機械的にしか響いてこない言葉もあれば
逆になにげないことばのなかから
まるで呻くような叫びが
静かにあがってくるものもある。

その違いを
その言葉たちを
しっかりとぼくのなかの胸や腹やに入れて
そこでじっくり味わうことで
あきらかにするためには、
ぼくには長い時間が必要だった。
そして今もその途上にある。

入沢康夫という詩人の存在は
そのように、ぼくにとってはもっとも重要な存在であり
『「月」そのほかの詩』という詩集以来
ほとんどの詩集をほぼリアルタイムで
読み続けている。
そんな詩人はほかにいない。
吉岡実はすでに亡いいまは。

なので、この新詩集を書店で見つけたときには、
思わず、快哉を叫びたくなったほどだった。

ところで、「アルボラーダ」というのは
スペイン語で「夜明け」という意味らしい。

「アルボラーダ」ということで
少し面白い記事を目にした。
11弦ギターの奏者、辻幹雄さんが、熊野本宮大社でこの今年の2月、
熊野をイメージしたオリジナル曲「アルボラーダ」を奉納演奏した、というもの。

この詩集とは関係しないが、
熊野の地というのは、
どこかで日本の「夜明け」と関係していなくもない。
三本足の烏のように、太陽とどこかでつながってもいる。
だから、「夜明け」。

この2005年が、日本の、世界の、
そしてぼく自身の霊性の
静かな夜明けになることを祈りながら、
入沢康夫の『アルボラーダ』を繰り返し賞味することにしたい。

 

 

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