風のブックマーク2

 友部正人詩集


2006.2.19.

 

■友部正人詩集
 (現代詩文庫182 思潮社/2006.2.15.発行)

友部正人の名前をはじめて目/耳にしたのは
1977年の第一詩集『おっとせいは中央線に乗って』が
現代詩手帖かなにかで紹介されたときだったように記憶している。

そのころ、ぼくは「現代詩」だとかいうジャンルのようなものに
ちょっとばかり特別な感情をもっているころで、
それにしてはまるでフォークソングだなあと思っていたら
じっさいにそうだったのだった。
吉田拓郎や高田渡や加川良のような。
でも、やはり友部正人というのは、
そうしたいわばフォークシンガーとはちょっと違った
友部正人というジャンルでしかないような印象だった。
じっさい、ぼくには最初やはり詩人で、
その歌をしばらくはきけずにいた。

ぼくがその声をはじめてきいたのは、
いまでも手元にある「ポカラ」というレコードアルバムで、
「空から神話の降る夜は」という曲のタイトルが
ぼくの記憶のどこかに不思議な輝きとともに残っている。

友部正人の名前を目にしたのは久しぶりのことで、
最初に目をしてからずいぶん経ってから
こうしてはじめてまとまったかたちで友部正人の詩を読んでいる。

本書に収められている詩人論・作品論のなかに
宮沢章夫の「ステキな与太者について」が収められていて
そのなかで

70年代に生まれた多くの詩は、それが書かれた時代の背景を
語らなければ理解を困難にさせると思えるが、単に時代のなか
で生きているのではない。過去の詩人が綴った言葉が健在であ
り普遍として存在するのと同様に、70年代から現在にいたる
までの作品を読み直すことで見える友部正人の詩が、いま読ん
でも時間に耐えている印象は強い。

とあるが、なぜかぼくには、
いまこうして読んでいる現在のほうが、
その言葉がすっと入ってくる新鮮さがある。

今、せっかくだからと、「にんじん」というアルバムをきいているのだが、
これがほんとうにとってもよくて、なぜなんだろうと思いながらきいている。
このアルバム「にんじん」に収められている「にんじん」という曲は
詩集『おっとせいは中央線に乗って』のなかに収められていて
この友部正人詩集でも読めるのだが、
読んでもいいが、やはりきくのはまた格別なところがある。

ダイティーハリーの唄うのは
石の背中の重たさだ
片目をつむったまま年老いた
いつかのステキな与太者のうた
その昔君にも生きるだけで
精一杯の時があったはず
あげるものももらうものもまるでないまま
自分のためだけに生きようとした

宮沢章夫は、この「ステキな与太者」についてこう記している。

だから私も、いつまでもステキな与太者でいたいと、友部正人
の詩を読み続ける。

ぼくもいまだに「生きるだけで精一杯」な与太者のようなものだけど、
ちょっとだけうれしいのは、いまのほうがずっと
友部正人の言葉や声がぼくのなかにとってもひびいてくることだ。
ということは、ぼくは最初友部正人の言葉に出会った頃よりも
「ステキな与太者」に近づくことができたからなのかな、
と少しばかり誇らしげな気分になっている。