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 (2001.9.27-2001.12.3)


●小関智弘『ものづくりの時代/町工場の挑戦
●A .ミンデル『紛争の心理学』
●平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』
●鳥越俊太郎『ニュースの職人』
●ピーコ伝
●ポンペイに学べ
●山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
●オデッセイ1971-2001/工作舎アンソロジー
●飛鳥昭雄・三神たける『「八咫烏」の謎』
●須賀敦子『本に読まれて』

 

 

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小関智弘『ものづくりの時代/町工場の挑戦』


2001.9.27

■小関智弘『ものづくりの時代/町工場の挑戦』
   (NHK人間講座2001年10月〜11月期テキスト)
 
        この世には、ものが溢れている。クルマも家電製品も、家具も衣類も
        溢れている。
         しかし人びとは、ものの豊かさに溺れてしまって、ものの価値を見失
        った。どんなものを見ても、それがいくらするものかとか、どのように
        便利なものなのかという実用的な判断はしても、そのものがどんな人た
        ちの手でどんな苦労や工夫によって生まれたものなのか、なんていうこ
        とに思いをめぐらそうとはしなくなった。
         お米や野菜や果物を食べて、農民の汗を思い描く人は少ない。まして
        工業製品となるとなおさらのこと、生産者と消費者の距離は大きい。た
        いていのものは「機械がつくるんでしょう」ていどに扱われる。
         それはそうなんだけれど、でもちょっと待って……。この五十年間、
        ずっと町工場で鉄を削ってきた。同時にこの三十年ほどは、多少はもの
        を書く旋盤工として、たくさんの工場の人たちの、ものづくりする姿を
        見てきた。そこでわたしが見てきたのは、たしかに機械を使ってものを
        作るために働く人びとではあった。しかし、機械が作るのではない。機
        械で作るのである。機械で作るために、額に汗して働く人びとであった。
 
NHKの人間大学の講座には良質でなものが多いのだけれど、
この10月からはじまる講座(のテキスト)はとくにすばらしく、
「ものをつくる」ということの原点を再発見させてくれる。
また、著者は旋盤工として鉄を削り続けている方であるだけに、
その視線はその「ものをつくる」ということの基本をめぐりながら
熱くやさしく、しかも未来をも見据えたものとなっている。
 
機械が作る、と、機械でつくる。
その「が」と「で」の違いは大きい。
道具を使う、のではなく、道具に使われる、
という表現の「を」と「に」の違いのように。
昨今のコンピューター社会では、まさに
コンピューターを使うのではなく、
コンピューターに使われるようになってしまっている感もある。
 
ここに紹介されている「ものづくり」は、
農業などのような生きたものではなく、
まさに機械なので一見アーリマン的にも見えてしまうのだけれど、
ここで紹介されている「ものづくり」は、
ある意味で、物質そのものに精神を注ぎ込むことに他ならないようにも思われる。
そして、それゆえに、「もの」そのものの「供養」でもあり、
四大霊の解放ということにもつながる世界なのではないだろうか。
 
シュタイナーは、手先の不器用な哲学者はいない、といったことを言うが、
それは手でものをつくるということの宇宙的な意味の自覚ということでもあり、
また、同時に、先ほど「使う」「使われる」の違いを述べたように、
使われるのではなく、使う主体になるということによる
「自由」からの出発でもでもあるように思う。
 
私たちは、与えられたもののアウトプット、結果だけを享受しがちなのだけれど、
それは私たちがマシーナリーになってしまうということに他ならない。
そのプロセスを認識し体験することが必要なのである。
 
このテキストにおいては「町工場の挑戦」として描かれていることを、
私たちは日々の生のなかでの挑戦として、
私たちの関わるさまざまなもののプロセスを認識しようとする必要があるように思う。
それが、アーリマン的になりがちな世界へのプロテストにもなるのではないだろうか。
そしてまたそういうプロセスに自らを置くことによって、
ファナティックになりがちなルシファー的なものからの自由への道を
歩むことでもあるのではないだろうか。
 

 

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A .ミンデル『紛争の心理学』


2001.9.29

 

■A.ミンデル『紛争の心理学/融合の炎のワーク』
 (永沢哲監修・青木聡訳/講談社現代新書1570/2001.9.20.発行)
 
9月11日の、いまだ名前さえついていない(つけられない?)
アメリカのテロ事件後、タイムリーに訳されたA.ミンデルの主著の抄訳。
原著は1995年“Sitting in the Fire”。
著者のA.ミンデルは、「プロセス指向心理学」の創始者。
 
「民族紛争か、人種差別から『公然の虐待』まで、あらゆるレベルの
人間関係の紛争や対立をどう解決するか。
世界中でワークを実践している著者の衝撃的な主著。」
とあるが、まさに読んでいて「衝撃」を受けるほどの内容になっている。
その「ワーク」はまさに、「炎」の中に座っていることによって、
そのなかでの変容を実践していくもの。
 
たとえば、ちょうど第6章は「テロリストと向き合う」という章があり、
テロリストを、単に政治的な側面からではなく、
いわばその存在そのものの理由から理解を深めることができる。
 
         誰もがゴーストを恐れている。集団のゴーストは、感じることは
        できるが、見ることができない。抑圧された復讐心はテロリズムを
        引き起こし、テロリストはみんなを不安にする。私たちのほとんど
        が、このテロリストという役割を少なくとも一度は埋めたことがあ
        る。誰もが過去の虐待に対する復讐を考えたことがあるのからある。
        テロリストは、社会的な権力や集団による支配といった他の役割に
        対して、自由と正義のために闘っている。テロリストとは、どのよ
        うな集団にも必ず見られる、潜在的なゴーストなのである。
         政府だけでなく、あらゆる組織はテロリストを抑圧しようとする。
        組織発展の技法である「ロバートの秩序の法則」は、経営者に従う
        人を称讃するが、これはテロリストを抑圧する方法である。どこの
        国の政府も、抑圧された憤怒やテロリズムを怖れている。特定の個
        人や集団が主流派であるわけではない。同じく、特定の個人や集団
        がテロリストなのではない。私たちはみんな、ある時は力の場にい
        て、別の時は力の乱用に対抗して復讐しようとするのである。
         テロリズムは、文化変容の必要性がありながら、それが妨げられ
        ているときの時代精神である。そのときテロリストがゴーストとし
        て現われる。私たちは意識してテロリズムに注目する代わりに、逆
        に、それを感じたら、抑えつける期間を設立する。復讐を抑圧しよ
        うとする私たちの努力が、テロリストを日常生活の背後に潜む不幸
        せな亡霊にしてしまうのだ。(P154)
 
テロリズムを、「文化変容の必要性がありながら、
それが妨げられているときの時代精神」として理解することは、
今回のアメリカのテロ事件においても、非常に重要なことなのだと思われる。
 
しかし、重要なのは、それを国際的な事件としてとらえるというよりも、
私たちが日々関わっているものとしてとらえることではないだろうか。
 
         テロリズムは、自分とは関係のない事件に思える飛行機のハイジ
        ャックのような国際的な出来事を指すだけではない。テロリズムは、
        人々が一緒にいるところでは普通に見られるのである。集団の誰か
        が「あなたたちがこれをやらないなら、私は出ていく」と言うとき、
        言ってみれば、集団の全体が銃口を向けられているようなものであ
        る。テロリズムの問題は、国際的なレベルだけで解決することはで
        きない。それは家族や学校、教会や地域の組織、地方の組織といっ
        た草の根のレベルでも取り組まれなければならない。(P157)
 
おそらく、基本は自分の中のテロリズムの認識から、
そして自分のもっとも身近なところにあるテロリズムの認識から
始める必要があるように思う。
 
「紛争」はどちらかが自分の否を認めて変われば解決するというものではなく、
相互変容がなければ根本的に解決されるものではなく、
その変容のためには、互いがまさに「炎の中に座り」ながら、
互いがその炎の中で互いの媒体となることが必要であることがわかる。
そしてその基本は、やはり、自己認識にあるといえる。
「紛争」は自己認識の欠落によって、それが他者に抑圧的に作用し、
そのことで生じるものだともいえるからである。
 
自分を自己認識という「炎」のなかにおけないで、
その「炎」を他者に放火してしまうことによって、
「紛争」は無自覚なままに外化され続けてゆく。
 
おそらくそういう意味でも、本書の最後の章は
「自覚という革命」という章になっている。
まさに、それは「革命」に他ならないように思える。
 

 

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平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』


2001.10.6

 

■平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』
 (作品社/2001.4.29発行)
 
気になる詩集のタイトルというのがある。
『季節についての詩論』をはじめ
入沢康夫の詩集のタイトルはどれもそうだし、
吉岡実では『サフラン摘み』とかがそうだろうか。
平出隆では『胡桃の戦意のために』というのがそうだった。
 
思潮社からでている「現代詩文庫」の
ちょうど100冊目(11年ほど前に出た)がこの平出隆で、
そのなかに収められていた詩集だ。
その後は、ごくたまに手にとるくらいだったのが、
少し前になにかの雑誌のエッセイで久しぶりにその名前を見て、
『葉書でドナルド・エヴァンズに』という作品が出ているのを知る。
そのタイトルが気になっていた。
「ドナルド・エヴァンズ」って誰だろう。
 
その平出隆の最新刊の小説集『猫の客』というのが出て、
あらためて『葉書でドナルド・エヴァンズに』のタイトルを思い出した。
どんな作品なのだろう。
ところが、書店でなかなかみつからない。
検索にもひっかからない。
詩集の常だ。
 
そうしたなかで、偶然のように見つかった
『葉書でドナルド・エヴァンズに』。
詩集というのがいいのだろうか、
連作エッセイ集というのがいいのだろうか。
ドナルド・エヴァンズに宛てて書き続けられた葉書。
 
ドナルド・エヴァンズは、
空想の国々をつくり、そこで発行される切手を描き続け、
火事に遭って31歳で死んでしまった画家。
アメリカのニュージャージーに生まれ、
オランダのアムステルダムで死んだ。
 
そのドナルド・エヴァンズに宛て、
「少しずつ土地と日付を変えながら、
葉書でドナルド・エヴァンズに、短い日記を送り続ける」
そして「葉書にはもちろん、あなたの切手が貼られることでしょう」。
 
ドナルド・エヴァンズに宛てて書かれ、
現実の世界ではだれにもとどかない葉書。
これらは1985年から1988年にかけて186通が書かれ、
十数年を経て40通ほどが欠落した状態で見つかり、
それを日付の順番に並べ直したものだという。
 
そういえば、ほとんど葉書を書いたことはない。
筆無精の常。
しかしそれよりも現実のだれかに
それが届くということへの違和感があったのではないかとも思う。
 
1985年11月28日付アイオワシティで書かれた葉書は
こう書き出されている。
 
         手紙や葉書が届くということは恐るべきことです。そうでは
        ありませんか。郵便ポストや電話の受話器がのぞかせる闇の空
        洞は、久しくぼくの恐れてきたものです。
 
こうした電子メールで書かれる言葉の群れというのは、
ほんとうにだれかのもとに届いているのだろうか。
そんなことを思うことがある。
そして、もし届いていたとしたらまさに「恐るべきこと」。
 
ひょっとしたら、というか、実際のところ、
ぼくの書いているこういう言葉たちは、
架空の宛先に向けて書かれているような気がしている。
あるいは、もうひとりのぼくに宛てて・・・。

 

 

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鳥越俊太郎『ニュースの職人』


2001.10.18

 

■鳥越俊太郎『ニュースの職人』〜「真実」をどう伝えるか
 (PHP新書174/2001.10.29発行)
 
正直言って、『ほぼ日刊イトイ新聞』に毎日連載されている
「あのくさ こればい!」というエッセイを読み始めるまで、
鳥越俊太郎という人のことをほとんど知らなかった。
 
かつては新聞や週刊誌をあまり読まず、
最近はテレビをあまり見ないのが理由だが、
それよりも、報道やニュースに対するある種の不信感というのがあって、
そうした方面でのあれこれに疎かったというのが大きい。
とくに日本のような同質的な報道が常とされているところでは、
いくつかの例外を除けばどれも似たようなものだ
という思いこみがあったのである。
もちろんそれはある意味その通りなのだけれど、
そうした場所でも、やはり人がつくっている以上、
その人のあり方次第でそのクオリティには違いがでてくるはずなのだ。
 
しかし、本書でもとりあげられている「スタンピード現象」というのがある。
「メディアの報道が同一方向へ“暴れ馬”のように走り出す現象」で、
たとえば松本サリン事件で第一通報者の河野義行さんを容疑者扱いした報道も
その「スタンピード現象」の典型的な例なのだが、
日本というところはそうしたあり方になりやすいところがあって、
みんなが右を向いてしまうと左を向こうとするのが難しい。
レミングの死の行進があるが、メディア報道の錯誤の行進のようになってしまう。
しかも事実が明らかになった後でもいったい誰の責任か明確にされない。
本当は、もし錯誤があったとしても、その錯誤のプロセスそのものを
もっと視聴者・読者に明らかにしていく必要があるはずなのだ。
 
メディアの持つ性格と日本という場ゆえに陥りやすい錯誤にもかかわらず、
報道、ニュースはその重要な使命を果たしていかなければならない。
そのことを、ぼくは鳥越俊太郎という人の言葉を
毎日読むようになったことで、さまざまに考えるようになった。
とてもいいきっかけになったように思う。
 
なによりいいのは、鳥越俊太郎という人は、
常に自分のやっていることの意味を考え続けている人だということだ。
彼は、報道とは何か、ニュースとは何か、キャスターとな何か、
ジャーナリズムというのはいったいどういうことなのかといったことを
常に自分のいる現場において自問することを忘れない。
 
自分の仕事はいったい何であるのかということを自問するなかで、
彼は自分を「ニュースの職人」と呼ぶ。
「情報を料理するのが“ニュースの職人”の仕事だ」というのだ。
 
         現代のように社会が高度・多様化して社会の仕組みが複雑になってくると、
        いろいろな分野から発せられる情報はおびただしい量になる。単純に考えても、
        たとえば物を作る職場が増えれば情報は常に大量に発生し、結局はその大量の
        情報が一般大衆に向けて一方的に流れてくる。
         ただしこの流れは、互いに意思を交換するという、言葉の正確な意味では
        “コミュニケーション”ではない。単に情報が一方通行に流れているだけのこ
        とだ。しかし、私たちはこれをマスコミュニケーションと呼び、マスコミはこ
        の一方通行システムの中で巨大化してきた。
         ただ、情報が受け手に受け取られ活用されるにも、量的な限度の問題がある。
        どんな情報でも、情報を無秩序に脈絡なう大量に流されたのでは、受け取る側
        は混乱するばかりだ。
         二十世紀後半、マス・メディアに要求されてきたのは情報を流す媒体として
        だけでなく、それをいかにうまく取捨選択、整理して、社会の受け手側に届け
        るか。そんな技術(ノウハウ)だった。
         旬の食材を最高においしい状態で供する。料理人としては、それが最高の仕
        事ぶりだろう。私は“ニュースの職人”にそんなイメージを重ねている。その
        職人の世界は、アーティストの世界でもない。かといって技術者でもない。や
        はり世のニュースという食材を職人の直感と技術をフルに働かせて厳選し、最
        高のタイミングと包丁さばきで仕立て、食べる人の味覚に問いたい。
        (P202-203)
 
この「職人」というとらえ方、けっこう気に入って、
ぼくもこんな「職人」になれたらいいなと思う。
ぼくがこの「神秘学遊戯団」の「遊戯」という言葉で表現したいことのひとつが
おそらくこうした「職人」に近いのかもしれないから。
 
さて、最初に書いたように、この鳥越さんは、
「あのくさ こればい!」というエッセイを
毎日『ほぼ日刊イトイ新聞』に連載している。
そして、そのインターネットという場をライフワーク的に感じているという。
「あとがき」に書かれているそこらへんのことを最後に引用紹介したいと思う。
 
         一年半ほど前からインターネットの『ほぼ日刊イトイ新聞』にニュース・エ
        ッセー連載を始めた。「鳥越俊太郎の『あのくさ こればい!』」というタイ
        トルで、毎日の新聞から自分が「これはニュースだ!」と選んだ何本かの記事
        に、私なりの解説を加えるスタイルだ。ほぼ毎日原稿を書き続けている。
         新聞記事には通称“ベタ記事”と呼ばれる片隅のニュースがあるが、読み方
        によっては一面のトップ記事よりも大きな問題だということがままある。そん
        な記事をせっせと取り上げては基本的に休みなく発信している。
         連載がスタートしたのは、実は『ザ・スクープ』でホームページの主宰者で
        ある糸井重里さんの元へ取材に行ったのがきっかけだった。当時の私はインタ
        ーネットなど「たかがマニアックな人たちの落書き板だ」と思っていたぐらい
        だから、当然、興味はなく、糸井さんに会うまではインターネットの可能性な
        ど考えたこともなかった。
         が、インタビュー中に、「ニュースについて書いてみませんか」と誘いを受
        けた。半信半疑で始めてみると、これが面白い。まさに私のライフワークだと
        思うほどの手応えを感じた。
         もともと活字メディア出身の私は、実はテレビの世界で十年の経験を経ても
        まだ、どこかに“駆け出し”の感覚を拭うことができないでいた。それはきっ
        と、キャスターとは“テレビの職人”であって“ニュースの職人”ではないか
        らなのだった。
         思えば今ほど情報発信者の職人性が求められている時代はない。かといって
        情報の真贋を見極める社会的環境は、未整備のままだ。となると、“ニュース
        の職人”としては、一般の人たちに情報を伝えるだけでなく、取捨選択するノ
        ウハウも伝えなければならないという思いもある。それが「ニュースとは何か
        ?」という思いを三十年以上も抱えて走り続けてきた私の、インターネット時
        代の着地点だった。
         いや私だけではない。報道のプロに今、等しく求められるのは、情報を世に
        送り出す発信者としての責任を社会に対して最後までしっかりととることだろ
        う。それがインターネット時代の“ニュースの職人”の第一の条件かもしれな
        い。
         言ってみれば、生産者の署名入りで“品質保証照明”を添付するような作業。
        「この料理は私が作りました。責任は私がとります、安心してどうぞ食べてく
        ださい」というような思いで、毎日“ほぼ日編集部”にメール送稿しているが、
        まさにアメリカのジャーナリズムの署名記事システムに近い感覚かもしれない。
         そこでも、やはり“社会正義の実現”を模索しているわけだが、考えてみれ
        ば、これこそ極めてインターネット的なテーマと言える。なぜなら先に述べた
        ように、“正義”とは立場が違えばその意味も違い、“正義”の形は人の数だ
        け存在するからだ。ただしひとつだけ分かっているのは、それを決める尺度が
        権力の側にはないということだ。
        「社会正義とは何か?」について、一般の国民がそれぞれに考える力を養いつ
        つ、議論をしていく場には、どのメディアよりもインターネットがふさわしい。
        もし私が泡だつ議論が交わされる輪の中に、“ニュースの職人”として存在で
        きるなら、これ以上の幸せはない。そんな思いである。

 

 

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ピーコ伝


2001.10.30

 

■ピーコこと杉浦克昭
 聞き手=糸井重里
 『ピーコ伝』
 (日経BP社/2001.11.1発行)
 
あの「おすぎとピーコ」の「ピーコ」が
「杉浦克昭」という名前だということを
つい最近になるまで知らなかった。
でも、「おすぎ」も「ピーコ」も、
実際に使われていたあだ名だったらしい。
しかも、恥ずかしいことに、
おすぎとピーコの違いがちゃんとわかってなかったりもした(^^;。
 
その本名やおすぎとの違いがわかったのは、
「ほぼ日刊イトイ新聞」の
「ピーコを、チェック。 杉浦克昭自伝的対談。」で、
この『ピーコ伝』は、その連載(糸井重里によるインタビュー)と
そこに収められていないインタビューを含めて一冊にしたもの。
 
その本の題名にもあるように、
まさにピーコの自伝なのだけれど、
まるで目の前にピーコがいて、
その語りを生で聞いているような気になれるのは、
そしてそれがこれほどまでに生きて伝わってくるのは、
糸井重里という名サポート役がいたからなんだろうなと
読みながら思った。
適度なツッコミと自分が触媒のようになって、
相手の語りを引き出していく才能。
たぶん、糸井重里という人は、
その人自身の思想だとか云々に関してよりも、
その触媒的才能のほうがすごいんだということが
あらためてわかったような気がする。
 
ところで、読みながら、なぜピーコという人が
こんなにも魅力的なのだろうと思っていたのだけれど、
やはり、ピーコはピーコでしかありえない。
その個性をなにかのレッテルで表現することは
できないからなのだということにあらためて気づいた。
そして、そのあまりにも好き嫌いのはっきりした語り方が
反感をもたせないのも、その潔いまでの個性のためなのだと。
 
たとえば、こういうところ。
 
        ーーうーん、ピーコさんてさ、やっぱり男っぽいよね、考え方が。
          いや、男っぽいっていうと女のひとにおこられちゃうな。男
          っていうんでもないし、女っていうんでもないし……。
          なんというか、そう、「ひとのほどこすが、たのまない」と
          いう姿勢が一貫してる。
 
         それはね、「わたしはわたしなんだから」っていうふうに生きて
        きたからだと思います。
         わたしは、男でもなければ、女でもないの。ただ、わ・た・し、
        なのね。
         後から自分で考えてゲイになったわけじゃない。いわば自然にゲ
        イになった。だから、ゲイであるからここまでしなきゃ、とも思わ
        ない。
 
なんだか多くの人って、
自分がたまたまそうであるほんの一部のことを
自分であるというように錯覚してしまって、
その一部に自分を合わせようとかしがちだけれど、
やはりそういうのはどこかで無理してしまうんだろうなと思う。
もちろん、人にはいろんなところがあるし、
いろんなペルソナなんかもあったりするんだけれど、
それにのっとられないで、
自分なりに格闘していくほうがいいんだろうなとも思う。
この『ピーコ伝』には、その格闘の部分がたくさん語られているし、
しかも、それが臭みのないかたちで、
自分の好き嫌いを超えた好き嫌いのようなものとして
(単なる好き嫌いではないところがスゴイ)でているのがいい。
本書の最後にこうあるように。
 
        でもさ、赤ちゃんって無垢なものじゃない。
        「無垢なもの」っていうのがいやなのよ。
        「この無垢な子のなかにだって、うんちは詰まっているのに!」って思うじゃない。
        そう思ってもさ、すべすべでかわいいのよ。
        くやしいじゃないの。
        だから、かわいがりつつ、つねって泣かすの。
        好きだわぁ、そういうの!
 
いやあ、ともあれ、
ああ、楽しかった、だし、
笑いあり、涙あり、感動あり、という感じで、
なかなかいい時間を過ごせる本です。

 

 

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ポンペイに学べ


2001.11.11

 

■青柳正規×糸井重里/田中靖夫・画
 『ポンペイに学べ』
 (朝日出版社/ほぼ日ブックス003/2001.11.1発行)
 
昨日(11月10日)から、神戸でも
「世界遺産 ポンペイ展」が開幕したということだけれど、
この『ポンペイに学べ』は、
「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載されたもので、
その「ポンペイ展」をつくりあげた青柳正規さんとの対話。
 
今回、「ほぼ日ブックス」というのが創刊されたということもあり、
10冊だされたなかから、いちばん好きなものを買ってみて、
あらためて本のかたちで対話を楽しんでみることにした。
その内容は、その紹介文を使うとこのようなもの。
 
        未来を知るには、過去を知れ。ヴェスヴィオ火山の爆発で滅んだ
        ポンペイには、とんでもない「豊かさ」があった!
 
本書のなかで、糸井重里の次のようなことばがあるが、
読みながらあらためて思ったのは、
私たちが今見失ってしまっているかもしれない
「豊かさ」について考えるためのいろんなヒントが
ここにはあるんだろうなということ。
 
        青柳先生とポンペイ展を見た日に俺は、
        「これをどうひとに伝えようか?」
        と、伝えることがありすぎてわかんなくなりました。
        今思ってみると、
        やっぱり伝える鍵は「未来」になるのかなあ?
 
ポンペイはヴェスヴィオ火山の爆発で埋まってしまった町で、
埋まってしまっていたからこそ、
当時のそのままに近い状況が
そのまま見えてくるところがあるわけで、
それをそのままふ〜ん、こんなだったのか、
だけで終わらないところが
たぶんこの「ポンペイ展」のすごいところで、
今の私たちの暮らし方などが
そこから濃厚に逆照射されてくるんだろうなと思う。
(ぼくは残念ながら見ていないので、憶測なのだけれど)
 
金持ちになれば幸せになれる、とは
おそらく多くの人が思っていることで、
あるいろんなトラブルやフラストレーションの
もとになっているのは、
お金があるかどうか、なのだろうから、
それもある部分は、違うとは言い切れないのだけれど、
では、望むお金が手に入ったら,
それで何をするのかというと、
それに対する想像力はかなり貧しいのではないかと思う。
お金があったら、どんな「幸せな暮らし」ができるのか?
 
        糸井 今、一生懸命に仕事をしているひとって
               みんなそうじゃないかと思うんですけど、
           うすおいを得るために、
           無理やりある短い時間にお金をかけて、
           「うるおった気持ちになったら次の仕事に向かう」
           そのくりかえしになりがちですよね。
 
           今の日本のお金持ちの
           ある意味での見本になっている
           アメリカの経営者たちっていうのも、
           そうやってうるいを生活から分断している。
           みんな、
           「ほんとの豊かさは、違うんだろうな」
           と思ってるだろうけど、
           それだけではどうしようもないじゃないですか。
           ぼくも含めて、豊かさに関してみんなが悩んでいる。
 
           そんな時にポンペイの展覧会を見て、
           あ、これかもしれない、と思いました。
 
           どう言ったらいいんでしょう?
           無駄なものの多さにびっくりさせられるんですよ。
           「お前ら装飾しないと生きていけないのか!」
           と思わず言いたくなるぐらいの装飾があって……。
 
装飾するかどうかというのは、
それぞれの価値観で、
かつての日本では、
むしろものをなくしてゆくことに
美を見出していたところもあるように、
それぞれが自分なりにこだわればいいんだろうけど、
今の日本をみていると、
「こうすれば豊かになれる」というようなことを
マニュアルのように提示していくだけで、
自分も世の中もなんとかなっていくんだ、
というような、非常に怠惰なあり方がいまだに支配的で、
そこから脱することがなかなかできていないように感じざるをえない。
 
テーマパークができればそこに行く。
レジャー施設ができれば、そこに子どもをつれていく。
話題のテレビや映画を見、流行の音楽をきき、ファッションを模倣し
そうした共有感のなかで安心しようとする。
教育の荒廃が叫ばれれば、
こうすれば子どもは育つという図式を
どこかかから教えてもらろうとする。
 
たぶん、自分なりに
無駄の多いなかで試行錯誤したり、
あれこれと考えてみたりすることのなかで、
展開してゆくことに
何かを見つけようとするような在り方という発想が
なかなかできないので、
外から教えてもらおうとしてしまうんだろうなと思う。
 
この「ポンペイ展」にしても、
これを現代に対するアンチととってしまったして、
みんなおなじような反応をしてしまうと
おかしなことになってしまうんだろうけど、
たぶん、そういうことは
起こりにくいんだろうなと
この対談からは感じることができる。
 
ローマでは、かつてこんな豊かさがあった。
では、自分の豊かさっていうのは、
いったい何なのだろうか。
そのことを考えるためにも、
本書は、なかなかいいきっかけになるように思う。
ちなみに、本書を買わなくても、
(糸井重里さんは買って!というかもしれないけど(^^;)
ネットのなかでもデータはあるので、
とりあえずはそれを読んでみるのもいいかもしれない。
対談風景などの写真もあるので、
本とはまた違った感じの受け取り方もできるかもしれない。

 

 

風の本棚

山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』


2001.11.20

 

■山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
 (PHP新書180/2001.11.29発行)
 
『ほぼ日刊イトイ新聞』に「おとなの小論文教室」を連載中の
ズーニー山田さんの著書。
本書で始めて知ったのだけれど、ズーニー山田さんは、
あの教育系出版社のベネッセコーポレーションで
小論文指導をしていたということだ。
 
学校の勉強に時間を費やすことはあまりなく、
とくに先生方の意図にそうための文章書きのようなものに
ほとんど反発しか感じてこなかったために、
結果的には、仕事上の企画書ワークのOJTと
こうしたネットでの書き込みを通じて
(だからネットを始めたときに、
「これは文章のお稽古です」ということを言ってたりもした)
まるで自己流で文章の書き方を学ぶことになっているが、
たしかに本書にあるような文章の書き方に
学校にいたときにふれることができたとしたならば、
もう少しぼくの文章もなんとかなったのかもしれない。
 
本書でいわれているのは、
結局のところ、「自分で考える」ということ。
そして、発見法的に「問う」ことと
それに対して自分で答えていくことの繰り返しが
重要であるということなのだと思う。
ぼくの非常に共感するところでもある。
 
本書のプロローグにこうある。
 
         暗記学力ではない、自分の頭でものを考える方法を習った人は
        少ない。私たちは、いざ自分で自由に考えてよいと言われると、
        不安になる。文章を書くのが苦手という人のほとんどが、どう書
        くか以前に、何をどう考えていけばよいかで、つまづいている。
         だから、自分を自分らしく外に向かって発現するために、「何
        と何を考えればよいのか」、それらを「どう考えていけばよいの
        か」を、本書は具体的な方法として提案する。ちょっとした方法
        を手に入れるだけで、あなたの文章は進歩するだろう。
         ただ、方法を手にしても、考えることは、もともと孤独で辛い
        作業だ。考えて、問題点がはっきりしたとしても、それは予想以
        上に厳しい現実かもしれない。例えば、想像以上の相手との距離、
        非力な自分の立場、これが自分かと疑うような本心に気づくこと
        になるかもしれない。
         しかし、それでも思考を前に進めたとき、見えてくるのは、他
        のだれでもない「自分の意志」だ。
         さらに、自分の意志を書き表わすことによって、人の心を動か
        し、望む状況を切り開いていけるとしたら、こんなに自由なこと
        はない。本書を踏み台に、そういう自由をあなたに味わってほし
        い。(P23-24)
 
また、問いと答えの繰り返しについてもこう述べられている。
 
         自分の頭でものを考えるために、1つ、道具を持つことにしよ
        う。考える道具は「?」の形をしている。そう、「問い」だ。
         自分で「問い」を立て、自分で「答え」を出す、さらに、その
        答えに、新しい問いを立てる。問い→答え→問い→答えを繰り返
        していくことで、考えは前に進む。(P45)
 
どれもあたりまえのことではあるけれど、
そのあたりまえのことが理解されがたいというところが問題なのだろう。
しかし、本書は好著ではあるけれど、
なんだかアンチョコのような気がしてずるい気もしてしまう。
とはいえ、考えることも問うことも、
人に代わってもらうことはできないのだから、そうでもないか・・・(^^;。
 
しかし、「頭だけではなく」とか「観念的にならずに」とかいう表現を
よく目にしたり耳にしたりもするのだけれど、
自分で考えたり理念をつかもうとしている人は
まずそういう言葉を使うはずはない。
要は、自分で考えるのが面倒で
それを飛び越して何かがしたくなるのだと思う。
 
しかし、それを飛び越えることはできない。
飛び越えたと思ったそのときに、
その人は「我を忘れ」てロボットになってしまい
「自由」を放棄したということだから。
「頭だけではなく」ということがいえるとしたら、
「頭」をクリアしているということなのだけれど、
おそらくそういう「頭」というのは、
暗記学力的な「頭」のことで、
そういうのはまるで「頭」とは無縁のことなのである。
つまり、考えるということがまるでわからないだけのことなのだろう。

 

 

風の本棚

オデッセイ1971-2001/工作舎アンソロジー


2001.11.30

 

■オデッセイ1971-2001
 工作舎アンソロジー
 (工作舎編/2001.11.10発行)
 
本書は工作舎30周年記念出版らしい。
(そうなんだ、もう30年も経つんだ)
『遊』の創刊号から現在まで、工作舎の30年間の出版物から
さまざまな断片がアンソロジー的に集められている。
「天の遊戯」「地の物語」「人の時間」それぞれに
8つずつのテーマで集められた断片たち。
それらの断片がぼくのなかで響いていくうれしさに
身をゆだねていると、時間の経つのも忘れてしまう。
 
また、さらに『遊』の編集長だった松岡正剛と
その後工作舎の編集長を引き継いだ十川治江の
この30年をめぐる話が収められている。
やはり、『遊』に「郷愁」を感じているぼくとしては、
また工作舎という独特なエディトリアルスタイルをもっている出版の話には
やはりじっと耳を傾けてみたくなる。
 
はじめて書店で『遊』を見つけたときの
その不思議なとしかいいようのない感動を
いまでもはっきりと思い出すことができる。
それはまったくもってなにかに分類することのできない
圧倒的なものとしてぼくに向かってきた。
それを理解するというにはほど遠かったのだけれど、
ふつうは分類されてしまっているものを
仁義なく易々と横断してゆくなにかだった。
 
松岡正剛、いったいどういう人なんだろうか。
『遊』は読めば読むほどに(見れば見るほどに)
ますますリゾーム化していくようなところがあり、
そのなかをいつもあの「遊星的郷愁」が響いていた。
この自在さをぼくはほしい・・。
そんなことを折にふれて感じていた頃。
 
ある意味では、この「神秘学遊戯団」というコンセプト(なんだろうか?)の
最初の萌芽というのは、その『遊』から発しているといってもいいかもしれない。
何がのご専門領域のようなものに閉じこもるようなあり方ではなく、
あらゆるものを横断しリゾーム化していけるようでありたい。
 
しかし、反面、その後、とくにシュタイナーと出会ってからは、
それだけではダメなんじゃないかとも思うようにもなった。
それがまさに「神秘学」でもあるわけで、
その『遊』的な自在さを通じて、宇宙のラティオとでもいうべき、
「神秘学」へとアプローチしていければと思っているわけである。

 

 

風の本棚

「八咫烏」の謎


2001.12.1

 

■飛鳥昭雄・三神たける
 『失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎』
 (学研 ムーブックス/2001.12.4発行)
 
ちょうど先日、丹波などの元伊勢などに出かけたところでもあり、
また伊勢神宮になぜ外宮と内宮があるのか、
そもそも神社とはいったい何かなどについて、
あらためて考えなおしてみようと思っていたところなので、
ちょうどそのためのヒントとして格好のネタになった。
 
しかし、こうした飛鳥昭雄の「ムー」的なアプローチの仕方は
そこにシュタイナーのようなトータルな意味での
神秘学的なアプローチが欠けているために、
それをそのまま肯定することはできない。
とはいえ、このシリーズのなかで、
「秦氏の謎」「神武天皇の謎」「天照大神の謎」
「失われたアークは伊勢神宮にあった」
「陰陽道の謎」そして今回の「八咫烏の謎」と続く
(そして次回に出されるという伊勢神宮に関するものも)
テーマのなかで展開されている、いわば神道及び神社の謎については、
通常ほとんど顧みられない重要な観点がさまざまに盛り込まれているし、
カオスのなかにも、どきりとするような示唆があるために、
ひととおり押さえていきたいと思っている。
 
こうしたアプローチの仕方が
ともすれば喚起してしまうことにもなる
興味本位的になりがちな認識のカオスのなかに、
精神科学的な観点を導入していくことで、
ここに示唆されていることの重要性は
まさにシュタイナーのいう「キリスト」のテーマに
リンクさせていくことも可能なのではないだろうか。
 
たとえば、「秦氏」が不思議な渡来人であったことは、
秦氏に興味をもったことさえあれば、
だれしも感じざるをえないことで、
それはたとえば大和岩雄の『秦氏の研究』
『日本にあった朝鮮王国・謎の「秦王国」と古代信仰』
などでも示唆されているように、
八幡神社やその他の著名な神社、修験道など
秦氏は現代にまで続いている日本の霊性の根幹の部分に
暗に関わっていることがわかる。
 
さて、本書では、「裏神道」とここでいわれている
いわば秘教がテーマとなっている。
それは陰陽道の裏にある「迦波羅」、
裏にいる天皇である「金鵄」でもある。
 
本書でも、イエス・キリストは、秘儀に属していたことを
公開したのだということを述べているように、
「迦波羅」や「金鵄」の存在をそのまま認めるかどうかは別として、
顕教に対する秘教というのは、
公には隠されているにもかかわらず
それが厳然と存在しているということについては、
シュタイナーの神秘学もそれをさまざまに示唆しているところで、
要は、シュタイナーがそうした秘儀に属していたことを
公開しはじめたということに注目する必要があるように思う。
 
たとえば大和古流廿一世・友常貴仁が
「大和的」という「掟破り」でもある秘儀の公開に
踏み切ったのが1995年のこと。
それは、内容的にはなにが秘儀の公開なのか
よくわからない形ではあるけれど、
この日本において一般の目から隠された形で継承されてきたものが
ここにきて、なんらかのかたちでのそれらを公開していく方向が
模索されているのではないだろうか。
 
もちろんそれらはアカデミックなかたちで
公開するということはできないし、
アカデミズムというのは、ある意味で秘儀の存在を否定するというか、
それれが存在しないということを前提にして
成立しているというところがあるために、
公開にあたっては、どうしても、友常貴仁のような形になったり、
飛鳥昭雄のようなムー的なものになったりしてしまうところがある。
実際、そのほうが、一般の目にとっては、
無視し得るがゆえに混乱しないで済むという側面があるのだろう。
(そもそも、シュタイナーも述べているように、
秘儀は公開されたとしても、多くの場合、それを認識できないために、
公開しようがしまいが、準備のできていない場合、同じことでもある。)
 
しかし、要はそうした秘儀の公開が
現在のように、統合的な在り方ではなく、
非常に部分的なかたちで進んでしまった場合、
ニューエイジ的な暗部のようなものは避けられない。
そういう意味で、日本におけるシュタイナーの受容の在り方というのは、
とくに、こうした神道という巨大な秘儀の公開が
未来に向けて創造的になされていくためには
非常に重要になってくるのではないかと思われる。
そのためには、たとえばキリスト者共同体のような在り方が
そうした神道の秘儀にどれだけ迫ることができるのか、
というあたりも重要な課題になってくるのではないだろうか。
とはいえ、現時点では、シュタイナー受容において、
決定的に「キリスト」が欠如しているようなので、はたして・・・。

 

 

風の本棚

須賀敦子『本に読まれて』


2001.12.3

 

■須賀敦子『本に読まれて』
 (中公文庫/2001.11.25発行)
 
声高になったり、饒舌になったりは決してしないで、
静かにその思いを伝えられる言葉があることを
須賀敦子の文章は教えてくれる。
 
だからその文章は読み飛ばすことなどできない。
『コルシア書店の仲間たち』をはじめとするエッセーなどもそうだし、
今回はじめてよんだ書評集も同じ。
それぞれが比較的短い文章なのに、ひとつひとつの書評が
まるで須賀敦子の語りによる静かで短い短編映画のように
ぼくのなかの静かな感情の河にしみこんでゆく。
 
ぼくはここで、ときおりこうして本を紹介したりもして、
けっして書評をしようとかいうことは思っていないのだけれど、
どこかでこの言葉は違うのではないか、とか
自分の言葉をいぶかしく思ったりもすることがある。
かなり長い間、「風の本棚」をあまり書かなくなっていたのも
そのためでもあったように思う。
今でも事情が変わっているわけではなく、
どう書いていいのか、いつも霧のなかなのだけれど。
 
さて、この文庫本の最後に付されている解説に
ぼくが本書を読んだときに感じたことに近いことが
書かれてあったので、それを(少し安易だけれど)ご紹介したい。
 
         たった一行の言葉にイマジネーションをかきたてられ、ページから目を
        上げて考えにふける。そういうことがこの書評集を読んでいるとしばしば
        おこる。ほかでは得がたい密度の高い時間が瑣末な日常のあいだをぬって
        ゆっくりと流れてゆく。
         須賀は書評を書くのに、なぜこのようなエッセーの形式をとったのだろ
        うか。
         生前に須賀にインタビューしたとき、彼女はこんなことを語った。プル
        ーストがどこかで、論理が見えてしまう小説というのは、値段をつけたま
        まあげる贈り物みたいだと言っている。値段が見えず、しかもちゃんと骨
        がある、ただの感想文でない書評を書きたいと。
         エッセーというスタイルは、値段を見せないために必然的に選ばれた方
        法だったにちがいない。
        (大竹昭子による解説「値段の見えない贈り物」より)
 
どんな文章にも、もちろん小説にも「論理」は必要で、
それがないと「骨」のない文章になってしまうのだけれど、
おそらく、「骨」だけが見えてしまうと興ざめになってしまう。
まさに、「値段」のついてしまった贈り物。
このたとえを読んで、自分の書く文章が
ときおり、そうしたものになってしまいがちなことを恥ずかしく思った。
 
ぼくは仕事で広告のコピーなどや、
目的が明確で説明・説得のための言葉を使った企画書などを
書いていたりもするのだけれど、
そういう目的でない言葉がそういうものになってしまうとき、
おそらく、言葉はその豊かな襞を失って、
声高に、そして饒舌に走ってしまうことになるのだろう。
 
静かで、そして密度の高い時間にたえることのできる、
そんな言葉を使いたい。
須賀敦子の文章を読むたび、そう思う。
 

 

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