風の本棚 26

 (2000.5.17-7.27)


●白川静「回思九十年」

●エドゥアル・シュレー「秘儀参入者イエス・キリスト」

●小松和彦×五十嵐敬喜「創造学の誕生」

●マリオ・A「カメラの前のモノローグ」

●上田閑照「私とは何か」

●河合隼雄「日本文化のゆくえ」

●日木流奈「伝わるのは愛しかないから」

●ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との友情」

●立川昭二「からだことば」

●与那原恵「もろびとこぞりてーー思いの場を歩く」


 

 

風の本棚

白川静「回想九十年」


2000.5.17

 

■白川静「回思九十年」

 (平凡社/2000.4.24発行)

 白川静氏はこの4月9日で90歳を迎えた。その節目にあたって本書が刊行されたという。60歳のときの記念には、岩波新書の『漢字』、中公新書の『詩経』。77歳のときには、平凡社の『文字逍遙』。80歳(1990年)には、その姉妹編『文字遊心』。そして今回が90歳の記念で、今年度中には、『著作集』(全12巻)の刊行を終えたいという。

 本書の最初には、「私の履歴書」という、明治43年(1910年)に福井市で生まれてから現在までの歩みを綴ったものが収められ、あとはインタビューや対談が収められている。80歳のときの『文字逍遙』『文字遊心』は、随筆集であったのに対し、今回は「主として対人関係の中で生まれたもの、それもこの十年来のものを集めることにした」という。実際に、さまざまな方との対話が多く収められている。氏にしてはじめて可能な豊かさがそこには香ってくるように感じる。

 氏の「履歴書」の内容は、初めて知る事柄が多かったが、あらためて思うのは、氏は決して早熟の才人ではなく、まさに大器晩成、しかも成ってからさらにその「成」をますます深めていく人物だということだ。90歳になった今も、精力的に著作集などの刊行を進め、「別館」も、月刊としてもなお4年を要するほどだという。今の人生はいつ終わるとも知れないが、白川静のようでありたいと思う。ぼくは氏の半分にも満たない歳だということを思えば、これからできることのいかに可能性に満ちているかを実感できる。氏のように、学会的な活動をしなくても、生涯学ぶことができる。

 氏の「履歴書」を読みながら思ったのは、その言葉の確かさであった。人の言葉は、おそらくそのわずかな部分を読んでも、その全体が想像できる。氏の言葉を読み、自らに刻みながら、その言葉が示唆するものを思った。

 紹介を兼ねて、「私の履歴書」から印象に残ったところをいくつか引いておきたい。

 漢字が教育の妨げとなり、人の思索や創造力を弱めていると考えるのは、大きな誤りである。努力をしないで収得される程度のものが、すぐれた文化を生むと思うのは、横着な考え方というべきであろう。むしそ学習の条件が高められている今では、以前よりも多くのことが効果的に学習され、より創造的なしごとが期待されるはずである。

 しかし人々は、あまり知識を欲していないようにみえる。未知のことを知ろうとしないようにみえる。たとえば文字にしても、常用漢字の世界に安住して、それ以上のことは余分のことのように思ってしまうのではないか。万事が、あてがわれた範囲のことで、満足する習癖となっているのではないか。

 知識は、すべて疑うことから始まる。疑うことがなくては、本当の知識は得がたい。疑い始めると、すべてが疑問にみえる。それを一つずつ解き明かしてゆくところに、知的な世界が生まれる。単に知識のことばかりではない。世上のありかたすべて、そのままでよいはずはない。(P82)

 論語に「芸に遊ぶ」という語があり、孔子はそれを人生の至境とした。この芸は六芸、中国の古代の学芸のことである。学芸の世界も、また遊びの世界であった。(P87)

 至言であると思う。

 

 

 

風の本棚

エドゥアル・シュレー「秘儀参入者イエス・キリスト」


2000.5.17

 

■エドゥアル・シュレー「秘儀参入者イエス・キリスト」

 (出帆新社/古川順太訳/200.5.1発行)

 本書は、シュタイナーとも深い関わりをもっているエドゥアル・シュレーによって、シュタイナーと出会う15年ほど前の1889年にパリで刊行された『偉大なる秘儀参入者』のなかの「イエス・キリスト」のところを訳出したものである。『偉大なる秘儀参入者』には、その他にも、ラーマ、クリシュナ、ヘルメス、モーセ、オルフェウス、ピュタゴラス、プラトンの障害が叙述され、そのテーマは、インドのラーマからプラトンに至るまでの「偉大な秘儀参入者たち」の起こした衝動がイエス・キリストの復活に収斂されていった道筋を明らかにしたものだという。

 エドゥアル・シュレーとシュタイナーが出会ったのは、1906年、パリでのシュタイナーの連続講演のとき。シュタイナーは45歳、シュレーは65歳だったという。シュレーはシュタイナーに出会ったときの印象をこう記しているという。 

…彼は扉の前に立ち、どんな秘密をも剥き出しにしてしまうような鋭い視線を私に注いでいた。その修道僧のような表情は、深い慈愛と限りない自信に満ち溢れていた。私は稲光を浴びたような強い衝撃を受けた。…まさに最初の瞬間に、私は自分の前に秘儀参入者が立っていることを確信した。実に長い間、私は精神の中で過去の秘儀参入者とともに生き、彼らの生涯やその進化の過程を描こうと努めてきたのだが、ついに今ここに、一人の秘儀参入者が現実に目に見える形をとって私の前に現れたのだった。(P9-10)

 シュタイナーの1909年の連続講演の邦訳に『西洋の光のなかの東洋』というのがあるが、その連続講演の前に、シュレーの戯曲『ルシファーの子どもたち』が上演された経緯が書かれてある。その前の1907年にも、同じくシュレーの戯曲『エレウシス神秘劇』がミュンヘンにおいて、マリー・フォン・ジーフェルスの独訳とシュタイナーの演出で上演されている。

 『ルシファーの子どもたち』が上演された1909年には、『偉大なる秘儀参入者』の独訳がマリー・フォン・ジーフェルスによってなされそれにシュタイナーは次のような序文を寄せている。

 シュレーは、霊的文化の将来を確信している。…彼の芸術的想像力はこうした信仰に支えられており、本書もその中から生まれ出たものである。本書で論じられている<偉大な秘儀参入者>とは、事象の本質を見抜き、そこから人類の霊的進化の強力な衝動を与えられた者のことである。本書はこうしたすべての衝動がキリストの中で融合されたことを示し出すために、ラーマ、クリシュナ、ヘルメス、ピュタゴラス、プラトンらの巨大な霊的行動の道筋を辿っている。…シュレーの著作から流れ出す光は、霊的淵源に確固とした根を張ることを望む者たちを照らし出す。(P21-22)

 訳者解説でもあるように、シュレーの『偉大なる秘儀参入者』では、イエスの受難に関しては「復活」という奇跡に焦点が当てられていて、ゴルゴダの秘儀については深く言及がなされていないが、本書は、シュタイナーのキリスト関連の講義を読む際のある意味での序章として読めるのではないかと思えるし、訳がよいのか、シュレーの表現がすぐれているのか、まるで秘儀参入版のバッハ・カンタータ、もしくは受難曲を聴いているような趣があったりする。

 さて、本書の紹介の最後に、イエス・キリストの存在の意味とでもいうものを述べた次のような意味深い箇所の引用をしておくことにします。

 古代のバラモン教徒は輪廻転生という概念を築くことによって過去と未来の生の謎を解こうとした。しかし彼らはあまりに霊的な世界に沈潜し、永遠性への瞑想に深入りしすぎたために、地上的な世界、個人と社会に課せられた責務を忘却してしまったのである。ギリシア人は、元来神秘的でより神人同形的な形態で同一の真理に秘儀参入していたのだが、その独自の資質によって自然的な、地上的な生命と結びついていったのである。そのおかげで、ギリシア人は美の普遍的法則を見出し、観測に基づいた科学の原理を築くことができたのである。しかしその一方で、霊的な世界に対する概念は狭隘になり、徐々に退廃していった。しかし、イエスは、その広大性と普遍性によって、生命の二つの側面を網羅している。

 主への祈りの中で、イエスは彼の教えを要約してこう述べる。「天におけるように地の上にも御国が来ますように」。そしてこの地上の神聖な王国の到来は、美と善と真理の光に満ち溢れた道徳律、社会律の成就を意味する。かくて彼の教えの持つ魔力と(ある意味で無限大である)その成長力は、一つに融合された彼の道徳と形而上学に、永遠の生命に対する情熱的な信仰に帰するのである、この地上において自らの行為と熱い慈愛によってそうした信仰を広めることに対する彼の使命に帰するのである。地上のあらゆる重荷を背負った霊に対して、キリストはこう言っているのである。「立ち上がりなさい。あなたの家は天の国にあるのだから。しかし、天の国を信じ、天の国に届くためには、この地の上において、あなたの業とあなたの愛によって、その天の国を証しなければならない」。(P185-186)

 「天におけるように地の上にも御国が来ますように」というキリストの言葉を宗教、信仰というかたちで限定してしまい、そのことで狭隘になるのではなく、実際に、総合的に展開しようとしたのは、まさにシュタイナーのように思う。天ばかりみて足下を忘れてしまうような在り方ではなく、また地ばかり見て世界をそこだけだと思ってしまうような在り方でもなく、天と地のあるべき調和的な統合をめざすこと。その調和的な統合によってこそ、世のすべての存在がいかに意味深いことかが証されていくのではないかと、シュタイナーの営為をみながらいつも思う。

 

 

 

風の本棚

小松和彦×五十嵐敬喜「創造学の誕生」


2000.5.20

 

■小松和彦×五十嵐敬喜

 「創造学の誕生/闇と聖を活かす豊かさを求めて」

 (発行/ビオシティ 発売/大学図書・信山社販売 2000.5.5発行)

 最初、この本を見つけたとき「創造学」ってなんだろうと興味をひかれた。民俗学の小松和彦は「鬼」などについての著作や対談集などで知っていたが、法律等に疎いぼくには、五十嵐敬喜という名前は初耳だった。その二人がいったい何について語るというのか。「創造学の誕生」だというし、しかも「闇と聖を活かす豊かさを求めて」だという。「闇と聖を活かす」ことと「創造学」、これは読む価値があると判断。その期待は少しも裏切られなかった。

 法律家の五十嵐敬喜は、弁護士、法政大学教授で、「議員立法や官僚の支配を超えた議会のあり方、生活者の視点に立った都市計画など、法律家の立場から一人一人の暮らしをないがしろにしている日本のシステムを批判し、個々人の充実した暮らしを大切にするシステムづくりへの提言を行っている。特に公共事業のあり方を問い、改革を訴えた発言は注目され、公共事業見直しへきっかけをつくった」とプロフィールにあり、本書でも、神奈川県真鶴町でつくった「美の条例」が紹介されている。 

五十嵐 (…)この条例は、人間や地域の複雑さや彫りの深さを捉えようとして、建物を建てたり、まちづくりをするときに“美”という概念を取り入れました。これは、動かないもの、動かしてはいけないものを“美”という概念を使い発掘しようとしたわけです。(…)「美の条例」の最初に、聖なるところ、祟りのあるとこがこの町にとって最も大切な場所だと書いてあります。町の都市計画の一番最初が「聖なるところ」ですから、それだけでもこれまでの都市計画とまったく違うことがわかると思います。

小松 私も拝見しましたが、よくこんなものができたなあと驚いています。先祖のつくってきた景観を守ろうとか、自然を守ろう、あるいは神社仏閣といったものを守っていこうという、当たり前のことを当たり前にいっているのだけれども、それが非常に新鮮であり、同時に「現代にって可能なのか」というくらいにストレンジです。

 この条例では、町のある部分を取り出して、そこだけの都市計画をやろうというのではなく、歴史や文化、暮らしを含めた“まち”を大きな意味でのシステムとしてとらえ、“まち”をつくろう。そのときに、この「美の基準」に反するものは基本的に許さないということですね。(P24-25)

 道を通すと便利だからとかいうことで、都市計画がなされ、その効率重視のあり方によって、どんどん破壊されてきたもの。それはいったい何なのだろうと、この「美の条例」は考えさせてくれる。都市計画は、いろんな町をどんどん均質化していく。どこの町にいっても同じような景観になってしまっていることに気づく。これはいったい何なのだろうと思う。おそらく、そのことで人の魂もどんどん均質化していく。聖なるところも闇もどんどんフラットになり、やがて何かが反乱するようになる。おそらく、町の都市計画の与えている影響は、食べ物がファーストフード的になっているのと同様に、人を外からスポイルしているのだろうと思う。

 法律家と民俗学者というと無関係のようにふつうは思えるのだけれど、こうした「聖と闇」ということを重視する都市計画ということにおいて深い接点をもつことがとても重要なことなのだと対談を読みすすめながら感じた。

 そして、普通は法律家というと法律をいかに解釈するかということばかりに関わっているように思うのだけれど、五十嵐は、そうではなくて、法律は創造していなかければならず、そのための学問が必要だといっているように感じた。

 小松氏も、民俗学が過去にばかり目が向いていて、「創造」に関与していない。「これからの民俗学は、未来に向かって何かをつくっていく人たちに利用されるような姿勢で、自らの学問を築きあげていく」ことが必要だ、と言う。

 本書はとても含蓄が深くてなかなか紹介しがたいのだけど、ほんとうはもっと生きたものでなければならないはずの学問のあり方について法律と民俗という二つの領域の接点が示されているのだといえるように思う。この接点は法律と民俗にかぎらず、あらゆる分野において求められていく必要があるのではないかと感じた。

 最後に、そうしたことを示唆している発言部分を。

五十嵐 私は法律家で、小松さんは民俗学者あるいは文化人類学者ですから、最初は会話が成り立つとは思っていなかったのですが、意外にも法律家の先生としゃべるよりもはるかに一致することがわかりました。いまはどこにいってえも景観がみすぼらしい。それは誰かが壊したからですが、なぜ壊したか。どうして壊すことができたのかというようなことを探っていくと、そこに学問が関係していることがわかった。たぶん、景観の危機は学問の危機だという点で一致したのだと思います。学問をもう一度創り直さなければならない。それにはどうしたらよいか。もう一度、人間というものを見つめ直してみようということも一致といっていいのかもしれません。

 経済学が捉えている人間、法律学が捉えている人間、あるいは民俗学が捉えている人間はいろいろあって、みんな人間を対象としている。しかし、それぞれに少しずつ歪んでいたということではないでしょうか。同じ人間を見ていながらまったく別なことをいってえきた。(…)

 “つくる学問”とは何だろう。いままでの学問は領域ごとのカテゴリー学みたいになっている。新しい学問のことを「創造学」というようにネーミングするとこれまでとは全く別なことが見えてくるかもしれない。(P278-280)

 

 

 

風の本棚

マリオ・A「カメラの前のモノローグ


2000.5.23

 

■マリオ・A「カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹」

 (集英社新書/2000.5.22)

 作家・埴谷雄高、洋画家・猪熊弦一郎、作曲家・武満徹。二〇世紀日本を代表する三人の巨匠に、外国人写真作家が試みたロング・インタビュー。後世に残る作品を生みだし、影響を与えてきた芸術家は、異邦の聞き手に何を語り、どんな素顔を見せたのか?日本人の聞き手には語られない言葉と、書斎やアトリエでの貴重な写真が融合して、偉大な創造を果たした三人の個性が立体的に浮かび上がってゆく。

 と扉にあるが、読み終えてまず思ったのは、「偉大な創造を果たした三人の個性」ではなく、もし、人が死を迎える前に、死ということを前提にしないままに、「カメラの前のモノローグ」を必ずすることになったとしたら、どんな「モノローグ」をすることになるだろうということだった。

 インタビュアーは「外国人写真作家」である必要はなくて、できるだけふつうその人に実際に直接関わっていないひとのほうがいい。そのほうが、変な感情的なしがらみを感じなくてすむから。ほんとうに話したいことだけを話せばいい。そんなことを思ったのは、インタビューを受けたこの三人が既に亡くなっているということもあるように思う。

 もしぼくがもうすぐ死を迎えるとして、ロング・インタビューをしてもらえるとしたら、どんなことを語るだろうか。とくに語るべきことなんかまるでないはずなのだけれど、ひょっとしたら、最初は、話すことなんかないなあとかいいながら、「そうそうこんなことがあったなぁ」とか、ぼつぼつと話し始めるのではないか。そうして、「こんなことがしたかったはずなんだけど、結局できそうにないな」とか「あまりその気はなかったんだけど、こんなことをしてしまったなあ」とか、「こんな人に会ったことがあるんだけど、もう一度話してみたいな」とか。

 もちろん、本書のインタビューは、とても著名な方ばかりなので、それぞれ、ご自分の語るべきことというのがちゃんと深く語られているのだけれど、その表現はとても素朴でストレートにでている感じがする。おそらく、マリオ・Aという「外国人写真作家」(ベルリンと東京を拠点に活動しているらしい)が、話をうまくひきだしているんだろうと思う。こういうインタビューって、なかなかむずかしいんだろうけど、こんな自然な感じになっているというのは、すごいなと思う。でも、ここでインタビューされている三人の方が、どの方も、底抜けといえるほどに、権威ぶらない方だということもいえる。

 もし、とても権威ぶって自分は偉いのだと見せたい人にこのマリオ・Aがインタビューを試みていたらどうだろう。話し始めたとたんに、いきなりのように、「俺の名前のついた記念館と銅像があるんだけど、知ってるか。あれは、俺の功績を称えてつくられたものなんだ」という類の語りがあったりする(^^;。(ちょっと誇張しているが、実質的にこういう人っていると思う)でも、ひょっとしたら、そういうことを話しながらも、そのうち、「それよりも、子どもの頃食べた飴の味って忘れられないな。「ああ、もう一度食べてみたいけど、今食べるとまずかったりして」とか、「ほんとうは俺はとっても寂しかったんだ」とかいう語りが入ったりしてくると、とっても素晴らしいインタビューになってくるのかもしれない。そういうときに写された写真っていうのも、なかなかいだろうなと思う。

 その人にしか語れないこと、その人でしかできない表情。どんな人にもきっとそういうのがあるのだと思う。そういうのをどれだけ理解できるか、理解できないとしても、深く受けとめることができるか。そんなことを考えたりもした。

 

 

 

風の本棚

上田閑照「私とは何か」


2000.5.27

 

■上田閑照「私とは何か」

 (岩波新書664/2000.4.20発行)

 「自我」について考えてみるための好適書。基本的に、西田幾多郎の視点を機軸にして、仏教的な自我観やデカルトの「コギト・エルゴ・スム」、漱石の「則天去私」、宮沢賢治の「おれはひとりの修羅なのだ」などが検討されていて、非常に興味深い。

 本書の「まえがきにかえて」は、宮沢賢治の「春と修羅」などからのいくつかの引用で構成されている。そして、本書の最後で、その引用の意図もわかるようになっている。

 宮沢賢治は、「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」だといい、しかも「おれはひとりの修羅なのだ」という。「わたくし」を縁起的に関係性のなかでとらえながら、しかも「修羅」として規定している。これはいったいどういうことなのだろう。

 著者は、本書において、一貫して「私は、私ならずして、私である」ということをめぐって

思索を重ねている。通常「自我」について語られる場合、「私は私である」ま「私は私ならず」のどちらかだけが強調され、どちらにおいても、ますます「私」がわからなくなってしまう。

 実際、「私」というのは、非常にむずかしい。シュタイナーの人間観においても、「自我」ということは非常に重要視されていて、肉体、エーテル体、アストラル体、自我、(霊我、生命霊、霊人)という説明がなされていて、霊我、生命霊、霊人に関しては、自我がそれぞれアストラル体、エーテル体、肉体に働きかけることでつくりだされるというが、では、自我がいったい何なのかわからなかったりする。我はありてあるものである。したがって、実体としてとらえるというよりも、すべての中心としてとらえられている。

 ちょうど、先日yuccaの訳したシュタイナーの「バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡」第2講で、「魂的なもの(プルシャ)と覆い原理(プラクリティ)との関係」が述べられていたが、肉体、エーテル体、アストラル体、霊我、生命霊、霊人はいわば「覆い」なのだけれど、自我は「覆い」ではないのである。

 おそらく「自我」を実体的に捉えないようにするために、仏教などでは「無我」だとかいうことが言われるようになったのかもしれないのだが、今度は、「無我」というのがいったい何なのかわからなくなってしまった。多くは「すべては関係のうちにある」というように、関係と関係から「我」をとらえるいわば「超関係論」になってしまって、「我」がいなくなってしまう。「我」というのは、だからほとんど煩悩になってしまうわけである。

 それと対極にあるのが、デカルトの「コギト」や、カントの「我考う」、さらに「超越論的<我>」があったり、古代インドにおいても、「常一主宰者」「梵我一如の我」があったりするように、「我」ははっきりと存在するものとしてとらえられている。

 これをいったいどのようにとらえたらいいのだろう。それを著者の視点からとらえようとしたのが本書で、それを一言で表したのが「私は、私ならずして、私である」ということになる。詳しくは、ぜひ本書を。

 参考までに、最後に引用を。 

「我なるものは存在しない、それは幻である」は、それでおしまいの場合には、偏頗にして不十分な見方になると言わなければならない。この見方は、形としては以前に挙げた自己喪失という実存の病をひきおこす不完全態、すなわち「我は、我ならずして、我なり」の全構造のうち「我は、我ならず」で終わって、「我なり」が立ち消えしてしまっている不完全態に相当するわけであるが、「無我」の立場として「我ならず」のポテンツを高める場合、それは自己固執というもうひとつの実存の病への「応病与薬」と言える。しかし、その限りにおいては有意義であっても、「私」観としては一面的にとどまる。一方「我なるものは存在する、しかも優れたあり方で」という見方は、「我は、我ならずして、我なり」の全構造のうち「我ならず」が脱落してしまい、「我なし」という仕方で開かれる「我」以前を当の「我」が「我」で閉ざして、「我」が絶対的始源であるかのごとくに、「我は我なり」だけの強力な「我」になっている。やはり、偏頗にして不十分な見方と言わなければならない。この見方は、形としては実存の病としての自己固執に相当するわけであるが、「我は我なり」のポテンツを高めた立場としては、自己喪失という実存の病への「応病与薬」であり、その限りは有意義であっても、「私」観としてはやはり一面的にとどまる。(P170-171)

  

 

 

 

風の本棚

河合隼雄「日本文化のゆくえ」


2000.6.5

 

■河合隼雄「日本文化のゆくえ」(岩波書店/2000.5.26発行)

 本書には、岩波書店から1996年から1998年にかけて刊行された『現代日本文化論』全13巻のそれぞれの最終章に掲載されたものがまとめられている。 

 日本人は「日本人論」が好きだ、とはよく言われることである。これはしばしば揶揄的にも述べられる。しかし、日本人が日本文化に対して特別に意識するのは、むしろ当然のことと私は思っている。現在、先進国と言われている国で、日本のみが非キリスト教文化圏に属する事実を考えるだけでも、それが納得されるだろう。ただ、日本文化が特異だと言うのみではなく、それがいかに普遍性に対して開かれているかを考える必要があることを忘れてはならない。本書はそんな点でも少しは役立つものになることだろう。(P.260)

 日本人は、なぜ日本人論が好きなんだろう、とはよく思うことであるが、その論には、日本人を特別視するものや西欧に比べてどうだというものなど、その視点そのものの多くが、「他」との比較を非常に意識しているように思われる。その、常に「他」を意識せざるをえないということにおいて、「普遍性に対して開かれ」た視点を見出していくことが必要なのだろう。先日、上田閑照の「私とは何か」をご紹介したとき、「私は、私ならずして、私である」ということについてふれたが、そのアナロジーでいえば、「日本人は、日本人ならずして、日本人である」という視点が必要なのかもしれない。

 本書がとくに興味深いのは、その視点が幅広いことと同時に、それらの各視点が羅列されているのではなく、河合隼雄ならではの視点において非常に統合的な示唆がなされているということであろう。『現代日本文化論』は、「私とは何か」「家族と性」「学校のゆくえ」「仕事の創造」「欲望と消費」「日本人の科学」「体験としての異文化」「夢と遊び」「芸術と創造」「死の変容」「内なるものとしての宗教」「倫理と道徳」というテーマでそれぞれえ刊行されているのだが、各テーマにおいて河合隼雄の示唆がとても深く、妥協的な大団円を目指さす、常に矛盾を恐れないままに、「先に進むこと」を念頭においているように思う。この「先に進むこと」においての恐れや開き直り、あきらめのようなものが、現代の学問にはあるようにも思うのだが、河合隼雄の態度はそういう態度とは無縁である。もちろん、無謀なのではなく、そういう「現状」をふまえながら、「ゆくえ」を創造していくということを何よりも重要視しているように思う。

 これらのことを通じて強調したいのは、現在生じている少年事件は「近頃の若い者」というよりは、日本文化全体とかかわっている、ということである。青少年問題などと限定して考えるのではなく、日本人全体としてーー何よりも自分自身のこととしてーー考えねばならない、と思う。

 以前から問題とされている、「不登校」や「いじめ」にしても、それは「文化の病い」であることを、かねがね強調してきた。そして、最近の少年事件は、その病が実に深刻であることを示している。(…)

 このことをよく弁え、われわれ日本人は、現在が日本人にとって極めて重要な時期であると自覚しなくてはならない。そのためには、まず、日本文化の現在の状況を把握することが必要である。(…)

 このような考えによらず、現在の日本の若者のみを問題と考え、それに対して「道徳教育」をしっかりとすることが必要と主張する人は、戦前に「修身」教育をたたきこまれた日本人が戦争中にどんなことをしたかをよく考えていただきたい。戦争中だから「敵」に対してしたことはとやかく言えないと思う人は、日本の高級将官たちが、日本の兵士の命を平気で捨て去って、自分のみは助かり責任も負わないことがしばしば起こっていることを認識してほしい。

 何度も繰り返すようだが、いまさら昔に帰ることはできないし、たとえ出来たとしても無意味であろう。われわれは先に進むことを考えねばならない。

「病い」は、個々人においても、その「病い」なくしては気づけない何かをその人に何かを語っているのだと思う。おそらく、「日本文化」の「病い」も、そうなのだと思う。従って、たとえば「不登校」や「いじめ」、少年の事件なども、そのことだけを見ていくならば、混乱ばかりが生まれるのではないかと思う。犯罪の防止のためには、罰則をどんどん強化するのがいい、とするような短絡的な対処ばかりしかできないことになるのではないだろうか。そうではなく、そこで何が語られようとしているのか。そのことにはどんな問いかけが必要なのだろうか。我々はどこに向かっていきたいのか。そういう「先に進むこと」に向けた深い認識が必要なのだと思う。

 昨今、「昔に帰る」議論も強行になされているようであるが、それは「先に進む」ことをおそれるがゆえの無意味な転化なのではないか。「病い」が深刻であればあるほど、「道」は見えないようにも感じられる。しかし、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」わけである。そこに「自由」ということも創造されていくのではないだろうか。

 

 

 

 

風の本棚

日木流奈「伝わるのは愛しかないから」


2000.6.19

 

■日木流奈「伝わるのは愛しかないから」

 (ナチュラルスピリット/2000.6.15発行)

 ご存じ流奈くんの新刊。今回は、流奈くんの希望ということでインタビュー形式になっていて、本人の言葉でいえば、「私だけの想いが入っている今までの本と違い、私だけでは書かなかったであろう部分をうまく引き出してくれた」本になっています。なかなかのスグレものです。

 新刊が出るたびに、「ルナんち 桜花(さくら)」さんからメールでご案内をいただくのですけど、その中に、

 ナチュラルスピリットからの本なので、書店の、いわゆる「精神世界」という分野の一角に置かれるべきなのですが、帯に「脳障害児云々」とあるため、福祉や教育の一角にあったりするそうです。

 とあったように、たしかに障害児教育などの本の置かれているところにささやかに2冊だけあったので、見つけにくいかもしれません。なぜか、これまでの大和出版から出ている本のそばにはありませんでしたし、書店の人に聞いてもわからず、結局自分で見つけることになったくらいです(^^;)。

 いつも流奈くんの著書には、これだけ深い内容がこれだけわかりやすい言葉で書かれているということにびっくりさせられるのですが、今回は、これまでにもましてスゴイなあというのが実感でした。表現はともかく、ある意味では一流の神秘学要論になっているのではとさえ思います。トポスで神秘学遊戯団の推薦書をあげるとすれば、入れておきたいところです。

 ご紹介したい箇所はたくさんあるのですけど、そのなかから、「精神世界」という分野の本になっているにも関わらず、流奈くんが「精神世界」への批判をしている箇所を少し。 

 たとえば、精神世界にどっぷりハマってしまって、そこに特別性を見いだす人には「それが何?」って感じで答えちゃう。

 でも、心の世界を忘れていたり、死について恐れていたりする人には、「見えてなくてもきちんと心の世界があるなだよ」っていうのを伝えていくわけ。

 どっちに偏りすぎてもいけないのに、みんなどっちかに偏りすぎてるの。そんなことはこの世ではありえないはずなの。どっちかに偏りすぎたとき、必ずそこにゆがみが出てくるの。

 見えない世界に興味を持つことがいけないわけではないけど、私は別に、そのことを話す人といるから心地いいということは、まずないね。

 私は、その人が私にとってステキな人であるかどうかしか見ていないわけ。その人の人間性が良ければ、その人が見えない世界の話をしても「そうだよネ」で終わる。けれど、そこにこだわっている人と話していると、私そんなに心地よさを覚えないの。

 見えない世界のことを知ってても、その人自身がこの世的に魅力的でなければ、私にとって何の意味もないことなの。(P85)

 精神世界にハマっている人たちが弱いのは、自分たちは夢を忘れてないと言って、現実的なことをおろそかにしてしまう傾向にあること。それやってると、ただの危ない人よ。

 だからネ、真ん中が大事。現実が苦しいから夢に逃げていては何も解決しない。でも、現実だからといって夢を否定しても何も生まれない。どうも人はその真ん中にいることが難しいらしいよネ。(P158)

 この「真ん中」という「中」なる道については、「神秘学遊戯団」の最初の頃からずっとこだわっているんですけど、なかなかうれしい発言になっています(^^)。「精神世界にハマっている人たち」もその逆に「現実」を固定化してとらえてそこにがんじがらめになっている人たちも、どちらも、結局のところ、自分のいちばん身近なところを見ようとしていないという感じがするんですよね。なぜ見ようとしないかというと、「真ん中」にいるのが辛いからなんじゃないかと思います。「真ん中」にいると、どんなことも人の責任にはできないから。すべて自分の問題としてとらえなければならなくなるから。それを無意識のうちにとってもこわがっているんじゃないでしょうか。

 ちなみに、少し前に、ルナパパである日木貴さんによる『人生、楽あれば楽あり』(大和出版)もでています。このパパありてこの子(ルナくん)ありというのがわかる不思議な本になっていますので、流奈くんファンの方は併せてぜひ。

 

 

 

 

風の本棚

ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との友情」


2000.7.20

 

■ニール・ドナルド・ウォルシュ

 「神との友情/道が見える 旅が始まる」(上・下)

 (サンマーク出版/2000.7.25発行)

 「神との対話」の、いわば続編。著者も、また訳者もそうらしいのだけれど、「続編」が出るとは思わなかったらしい。さらに、次の「神とひとつになる」という本もそのうち書かれるらしい。

 この「神との対話」「神との友情」で語られていることは、とりたてて目新しいことではなく、おそらくはこれまでに、歴史のなかでも繰り返し繰り返し語られてきたことだろうけれど、こういうとてもフレンドリーな読みやすい対話という形でなされたことはあまりなかったのかもしれないと思う。とてもシンプルだけれど、とても深く、繰り返し語られる言葉が、対話によるオペラ、いやオラトリオだろうか、そういうイメージでぼくのなかで響き始めるのを感じながら読み進めることができる。

 今回のテーマは「神との友情」。本当のところは、「神との対話」の続編が出たことを知ったときに、あまり買って読もうという気もなかったのだけれど、その「友情」という言葉が気になってついつい今回も読んでしまった。ぼくにとって、この「友情」、「友なること」というのは、ある意味では、もっとも重要なことだからだ。友情というのは、自由、そして愛の前提でもあると思っている。だから、「神との友情」というテーマはやはり無視できない(^^;。

 本書でも繰り返し「わたしたちはすべて一体である」と語られる。だから、「自分たちのほうがすぐれている」ということは成立しない。自分(たち)の神がいちばんだ、他の神は嘘だ、などということはない。自分(たち)だけが特別だ、すぐれているということもない。そういう思いこみですべてを見たいということにすぎない。しかも、だからといって個性や独自性が失われてしまうのではなくて、むしろそれが重要な表現になり、むしろ多様性がクローズアップされることになるのはもちろんである。

 人は自分でそうしたいように現実を創造している。神を崇めたいひとは崇めてそれに応じた現実のなかで生きているだろうし、崇められたい人もそれに応じた現実をつくりだして生きているのだろう。それを認めようと認めまいとそうだ。しかしポイントは、ほんとうはどうしたいのか、どうありたいのか、ということが見失われて、迷路のようになっているというところにある。レストランにいって、自分で食べたいものを食べると馬鹿にされるような気がして、ついつい食べたくないものを注文してしまって、そのくせで、自分の食べたいものが嫌いであるように装ってしまうように、そんな生き方を続けてしまっているということだ。そして、そのうち、自分がほんとうは何が食べたいのかが、わからなくなってしまっているということ。

 自分はほんとうは何をしたいのか、いやどうありたいのか。それを固定的にとらえるのではなく、絶えざる変化のなかでとらえ、それを創造しようとすること。それが重要なのに、多くは自分がどうありたいのかのところで深くて暗い樹海のなかに歩みいってしまい、しかも何かを見つけたと思いこんでしまうと、こんどはそれを絶対化し信仰してしまう。「人から偉く見られたい」「お金がすべてだ」「権力がほしい」「私だけが神に認められている」・・・。そんなドグマの数々のために生きることになってしまう。

 さて、本書はある意味ではとくに読む必要もないだろうし、ある種のマニュアル的な読み方をされるときに、そこにまたひとつのニューエイジ風の独善が生まれかねないところも否定できないのだろうけど(^^;、「友情」ということがいかに重要か、ということに興味があれば、とても気持ちよく読めように思う。

 しかし、ひとつ気になったのは、サンマーク出版の価格設定。「神との対話」では一冊1600円か1800円くらいだったと思うのだけれど、今回は一冊にできるはずなのに、わざわざ上下巻にして、ページ数を少なくして一冊が1800円になっている。実質的に倍の金額設定になっているのは、理解できない。おそらくサンマーク出版はこのシリーズを「売り手市場」だととらえてそうしたのではないか。サンマーク出版からでている書籍には、ある種のバイアスがあると以前から感じているのだけれど、それにも関係しているかもしれない。

 

 

 

 

風の本棚

立川昭二「からだことば」


2000.7.22

 

■立川昭二「からだことば」

 (早川書房/2000.6.30発行)

 「からだことば」とは何だろうか、そう思って手に取った本書。

 「からだことば」というのは、「手」とか「足」とか、からだの部位の名称を含んでいることばです。からだ語とか身体語ともいいます。たとえば「手」ですと、「手先」とか「相手」といった熟語、そして「手を抜く」とか「手が出る」などの慣用句ーーふたん何気なく使ういいまわしーーでよく使います。(P5)

 なるほどなるほど、たしかにそんな言葉はたくさんある。では、なぜ「からだことば」なんだろうか。ぼくのなかでは、竹内敏晴さんの「からだを劈く」という観点が思い出されていた。

 著者は、「文化史、心性史の視点から、病気や医療について研究」し、「医療や看護といういのちそのものにかかわる仕事につくことになる医学部、薬学部、看護学部などの学生」に教えているという。そんな著者が、「からだことばが、今急速に消えつつある」ということに気づいたところから、「若い人に会うたびに、からだことばについてたずね、からだことばを話題にして、話し合うことをしている」ことから、本書は生まれたようである。

からだは医学や生物学だけの対象ではありません。人のからだには遠い歴史や文化がひそんでいます。からだをほんとに知り、からだをほんとに生きていくには、からだにかくされた歴史を知り、からだに息づいている文化を感じとらなければなりません。からだに隠された歴史、からだに息づいている文化を甦らせるには、からだことばほどうってつけの手がかりはないのです。(P7)

 本書を読み進めながら、「からだことば」が失われていくことと身体性が失われていくことが相関しているということが実感されていった。「からだことば」にかぎらず、「ことば」を失うということは、ある意味では、その「ことば」によって可能になっていることが失われるということでもあるようにも感じた。

 たとえば授業のとき、著者は、「「血」という字を使って、きみたちが知っていることばを書いてごらんなさい」と言う。すると、「血液」「血管」「血液型」「輸血」「血糖値」などはでてくるが、「血色」「血潮」「血族」「血縁」とかうことばはなかなか出てこない。医学部の授業だからということもあるのだろうけど、こういう質問を繰り返ししていくなかで、見えてくるものはあると思う。 

血をじかに感じるのは、「血液」とか「血液型」ではない。本当は「血潮」ということばを思い描いて、まさに潮のようにからだじゅうを熱くながれているものという感じで受け取るわけです。そういう感覚がなくなっているということは、これは血そのものに対する人間としての感覚、あるいは生理感覚が衰弱しているのではないか。(P10)

 また、「骨」についても同じように生徒に言う。すると、「骨折」「骨粗しょう症」くらいで、「骨が折れる」「骨を折る」「気骨がある」とかはでてこないどころか、意味がわからない場合もあるという。「体」という漢字は、旧字では「骨」に「豊」と書いた。「体操」も「骨」が「豊」かなのを「操」ということになる。

 西洋的な傾向のように、なんでも言葉にしなくちゃいけないとか、言葉で表現できないと考えていないことになる、というようなかなり極端で短絡的な発想はかなり馬鹿馬鹿しいところがあるのだけれど、自分の理解している「ことば」について自覚を深めていくということ、「ことば」を通じてみずからを見つめる機会にするということは、とても重要なことなのではないかと思う。オイリュトミーは、ある意味で「ことば」を「身体性」のなかで表現するものでもあるのだろうが、その際にも、おそらく「ことば」への自覚、そして豊かさということがなによりも重要なのだという気がする。

 そういう意味でも、ふだん何気なくつかっている「からだことば」について、最近あまり見かけなくなった「からだことば」について、そして自分の知らなかった(失ってしまっている)「からだことば」について、見てみるということはとても重要なことなのではないだろうか。

 

 

 

 

風の本棚

与那原恵「もろびとこぞりてーー思いの場を歩く」


2000.7.27

■与那原恵「もろびとこぞりてーー思いの場を歩く」

 (柏書房/2000.6.25発行)

 ノンフィクション・ライターの与那原恵の著書「街を泳ぐ、海を歩く」を以前ご紹介した記憶があると思うのだけれど、この人の言葉には、不思議な香りがあるように思う。 

 とりあげられているのは、「金属バットによる息子殺し」のようにその仕事の依頼が、「こんなことが起きたんだけど、現場に行ってみないかという編集者の誘い」から始まっているのもあって、メディアでとりあげられている話題が多いのだけれど、多くの「ノンフィクション」と称されるものと異なって、読むうちに、その場の空気をいっしょに吸いこみながら、歩き、感じ、考えているようなそんな気持ちになれる。

 それは、ある種の既成の言葉にとらわれずに、その場そのものをすくいとろうとし、そしてそこに静かな、著者の限りなく人間的なあたたかさをもった意志を感じ取ることができるからなのかもしれない。こういう体験は貴重だと思う。

 マスコミ的な報道の言葉や批評家による解説、それから知的優越感を漂わせたことばなどなどによって、自分で感じ考えるということを忘却してしまいがちな現代人にとって、こういう言葉にふれることで、なにか忘れてしまっている原点のようなものを思い出すこともできるのではないだろうか。そしてその言葉は、その表面的な装いに欠けているにもかかわらず、いや、だからこそ、どんな知識人よりも、なにかを深くとらえているように見えるし、知識人こそがみずからの保身のために避けがちな、先を見ようとする意志をそこにしっかり持ち得ているようにぼくには見える。 

 私はとくに専門的な知識をもつ人間ではないし、ひとより優れた観察眼があるわけででもない。ただ、私という個人の眼に見えたものを私なりのことばで伝えようとは思っている。ここ数年の日本は、かつて見られなかった事件が起こることもたびたびだ。しかし、それを社会が激変してしまったと、したり顔で言っても意味はない。ほんとうにこの社会は大きく変わってしまって、私たちはなすすべすらないのかと嘆くまえに、何か手触りっをたどってでも自分と繋げる作業をしたいと思う。

 そして、そのときできうるかぎり既成のことばや見方からはずれて、自分を意識的に「異物」の存在にしておこうとも思っている。そうはいっても、私自身も既成の概念から完全には解放されていないことを現場で意識することもよくある。それを感じることもまた大切なのだろう。

 こうして私はさまざまな「場」を歩いた。引きこもりの若者たち、インターネット上で自殺を語りあうひとたち、急速に進歩する不妊治療の場、殺人事件。さらに沖縄や戦争、政治家を志す若者やオウムと地域問題など、ここ数年のあいだにメディアに登場した場を私は訪ねた。そして、日本のある時間の断面を描こうとした。

 仏教のことばにある「諸行無常」とは、「わびしさ」をあらわすものではなく「現実はダイナミックに変化する」ことを指すという。私が歩いた場は、まさにそう表現できるものだった。取材者の私が訪れる以前、そして取材を終えたあとも、現場の状況は常に変化し続けている。そこに取材者がいようがいまいが、人間の営みは日々あり、かたちを変えている。取材のときに私が聴きとった多くのひとたちの「思い」は、いまではちがうところにあるのかもしれない。

 私の仕事は、場の一場面をすくいとったとうことにすぎないだろう。それでも、ある時間、あるひとたちがいた「場」とその「思い」を綴っていくことで、この日本の光景とその背後にあるものを見ることはできると思う。

 もろびとこぞりてーーたくさんのひとたちが集まる「場」で、私は歩きながら考えた。

 「私たちはなすすべすらないのかと嘆くまえに、何か手触りっをたどってでも自分と繋げる作業をしたい」この言葉は、ぼくのなかで何度もリフレインされていった。

 今自分がいるその場において、多く人はなすすべなく立ち尽くしている。マスコミに挙がるような事件のなかにいるという意味ではなく、まるで生きる価値観を喪失してしまっているかのように、なにをしたらいいのか、自分がなにをしたいと思っているのか、わからなくなっているということでもある。そうでない場合、ほんとうは砂上の楼閣にすぎなくなっているにもかかわらず、その価値観にしがみつている場合もある。

 ある意味で、シュタイナーが「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」において、「水の試練」について述べているように、「底に足がとどかぬ水中では、どこにも足場がないように・・・行為する人間を支えてくれるものがどこにもない」状況において、それぞれが、外的にではなく、みずからの内において、種の意志を持って生きなければならないのだといえる。おそらく、外的ななにかに頼ろうとすればするほど、足を底にとどけようとむなしい繰り返しを行い、絶望の度を深めていくだけなのではないだろうか。

 そういう意味で、現代という「場」を生き抜くことそのものが、ある種の「秘儀参入」的な意味合いをもっているのではないかという気がする。それが、「私たちはなすすべすらないのかと嘆くまえに、何か手触りっをたどってでも自分と繋げる作業をしたい」ということにほかならないのではないか。

 


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