風の本棚22

 (1999.8.13-1999.10.2)


●中島らも「逢う」

●ハインツ・ケルナー「ヨハネスの問い」

●紀野一義「名僧列伝(一)」

●日木流奈「月のおくりもの」

●加藤隆「『新約聖書』の誕生」

●「ホメオパシー療法」入門

●大橋良介「内なる異国 外なる日本」

●セシル・バーモント「Number 9」

●多木浩二「戦争論」

●鎌田東二/喜納昌吉「霊性のネットワーク」

 

 

風の本棚

中島らも「逢う」


1999.8.13

 

■中島らも「逢う」(講談社文庫/1999.8.15発行)

 

 中島らもは面白い。ひたすら面白いのだけれど、その面白さの果てに何かヌケのようなものがあったりもしてスゴイ。決して教育的にはならないどころか、酒は浴びるはヤクはやるは、というようなまるで反-教育とでもいうような果てに、教育的ではないがゆえの何かが見えてくるところがある。

 もちろんアル中気味に酒を浴びたり、ヤクをやったりするのがスゴイというのではなくて、それはぜんぜんすごくない、くだらない。中島らものような、面白いことを追いかける懸命さの果てでしか見えないであろうものをかいま見せてくれるスゴサなんだと思う。

 中島らもは、懸命に生きている。善く生きようというようなのではなく、必死で面白く生きようという懸命さ。そしてその面白さのなかににこそじみでてくる善く生きるということの種子のようなもの。その懸命さには、畏敬さえ感じてしまう。

 ふつう、人はあれはしてはいけない、これはすべきである云々で生きていたりする。「世間」で決められた道徳規則のなかで、それをほんとうはびくびくしながら、ほんの少し違反してみることくらいでその道徳規則の背景となっている「信仰」や「利害」やそれゆえの「不安」や「恐怖」のなかで生きている。こんなことはしてはいけないのではないだろうか、こうすれば人はほめてくれるだろうか、…云々。

 そうしたものの裂け目を見せてくれるときに人は真に「笑う」ことができる。もちろんテレビなどで垂れ流されている慢性化し制度化され半ば強いられたような「笑い」ではなく、あらゆる制度や信仰などの裂け目にこそひらめく「笑い」。そういう「笑い」を失うことは、「自由」を失うことでもある。命をさえかけた「笑い」には、かけがえのない真実がそこにある。

 本書にもあるのだけれど、差別用語として規定された禁止用語を使わなくすることで「正しい」世の中にしようというようなそんなファシズムのなかには「自由」はない。おそらく「差別」はそういうファシズムのなかでこそ見えないところで陰湿化する。表で見えなければそれは解決だとするような方向性は人の生を腐敗させてしまう。

 たとえば、そういう方向性は、昨日成立した「通信傍受法」。そうした在り方がセットになっているのではないだろうか。決められた制度のなかで、周囲に気をつかいながら、決められた笑いを楽しむような生は、面白くない。教条のなかで、「神は○○○を良しとされました」とかいうことによってそうしようと思うような生を生きたくはない。

 一見、顰蹙をかうような、めちゃくちゃな在り方のなかでしか浮き上がってこないような真実を見たいと思う。反-教育を通じての真の教育も必要ではないか。そんなことを思う。

 さて、本書にはなぜか「シュタイナー」の名前がでてきています。

 そこで、クイズです。本書は、次の方々との対談を収めたものなのですが、シュタイナーのでてくるのはどの対談でしょうか。

・野坂昭如

・チチ松村

・山田風太郎

・松尾貴史

・ツイ・ハーク

・井上陽水

・山田詠美

・筒井康隆

 

 

風の本棚

ハインツ・ケルナー「ヨハネスの問い」


1999.8.13

 

■ハインツ・ケルナー「ヨハネスの問い」

 (原田千絵訳/飛鳥新社/1999.8.15発行)

 いちおうメルヘンということになるのだろうけど、とてもメッセージ性の強い内容のストーリー。いわゆる「わたしとは何か」を問いかけることをテーマとしている。

 今ではこういうテーマの本はかなりたくさんでまわるようになっているけれどこの本が最初にでたという1978年頃には、ストーリー性よりも「わたしとは何か」的な問いかけやメッセージが前面にでている本書のようなものは比較的珍しかったのかもしれない。本書はいろんな出版社から出版を断られたというけれどおそらく「メルヘン」という枠組みのなかでは、売れないと判断されたということかもしれない。

ちなみに、ハインツ・ケルナーという名前はまったく聞いたことがなく、プロフィールを見ると、次のようになっている。

1947年ドイツに生まれる。東西分裂後は、旧西ドイツの避難民キャンプで過ごすなど、波瀾に富んだ少年時代を送る。大学卒業後、青少年教育機関に就職し、そこで青少年向けの新聞を作ったことが、本書の原稿を書く直接のきっかけとなった。しかし、本書の原稿は、どの出版社からも出版を断られ失意のどん底にいるとき、妻のルーシーが出版社を起こすことを提案、本書は1978年に2000部が刷られ、80年代にはベストセラーに名を連ねることとなった。その後も、世相におもねらず、人生をテーマとしたすぐれたメルヘンを次々と生み出している。

 ストーリーとしては、とてもシンプルで、ある朝、「ぼく」(クラウス)は、散歩の途中で、森の木陰に座って「ぼく」を待っているヨハネスという老人に出会い、その老人から、世間の思惑ばかりを気にして、自分を深くみつめ生きることについてさまざまな話を聞く。そしてそれが「ぼく」の人生を変えることになる・・・というもの。

 ある意味では、「自我論」をテーマにした哲学メルヘンともいえ、シュタイナー的にいえば「意識魂」をテーマにしたものだともいえるのではないかと思う。

 これは、ドイツの物語なのだけれど、読みながら感じていたのは、この物語は現代の日本人にとって切実に必要だと思われる、自分を見つめながら意識的に生きることについての基本的な内容をぎゅっとつめこんだものとなっているのではないかということ。そういう意味では、ちょっと時間差はあるけれども、日本人にもこうしたテーマが受け入れられるようになってきた、ということなのかもしれないと思う。もちろんこういうちょっと理屈っぽいアプローチは日本では敬遠されどちらかというともう少し情緒的なものが受け入れやすいのだろうけれど。

 本書に繰り返し述べられている内容は、この「神秘学遊戯団」で繰り返しふれられている内容ととても近いものがあって、「そういうものだ」ということに従って生きるのではなく自分にとって重要なこと、自分が切実にしたいことがいったい何かをしっかりと見つめることから始める必要があるということをめぐってのものだといえる。つまり、「自由の哲学」の基礎ともなる自覚的意識ということ。

 さて、本書から、少し「教育」に関してのところを。シュタイナー教育云々という以前の前提ともいえる態度に関して。

「それじゃ、教育についてはどうなんですか」と、ぼくは叫んだ。

「父親と母親は、たとえ彼らに悪意がなかったとしても、子どもたちに対してある程度の被害をあたえているのじゃないですか」

「そう言ってくると思ったよ。あまりに多くのことが、背景を考慮することなく教育のせいにされているのだから。事実、きみの言う通り、我々の文明社会に育つ子どもの多くが教育によってだめにされている。が、わたしは子どもたちにその責任を取れと言っているわけではないんだ。それはその人間が子どもでなくなったときに取ればいいのだ。誰もが自分の能力の範囲内で最善のことをする義務がある。わたしから言わせてもらえば、大人が自分の考えや行動に葛藤が生じたときに、それを子ども時代のせいにしてしまうのはまったくおかしなことだということだ」「わなたはどうも話を単純化しすぎている」と、ぼくは意義を唱えた。

「ぼくだって、今でも、両親がぼくにしでかした多くのことで苦 労しているのですから」

彼は頭を振った。

「いや、わたしはけっしてそう単純に考えているわけではない。たとえ話をしてみよう。蝶の成長は、はじめは幼虫、それからサナギだ。幼虫の時代は地面をはい回り、サナギの時代は、狭い住まいに閉じこもって生きる。さて、サナギのあと、羽を広げて飛ぶかどうかは蝶しだいだ。むろん、飛んでみることもせずに、飛び方を習わなかったとか、サナギとしておそろしく狭い所に閉じこめられていた、とこぼすのは勝手だ。自分はこうして自分の過去のことで思い悩んでいるから、今、飛ぶことができない、と言うこともできる。しかし、そんなことを言ってみても、いったい蝶の何の役に立つだろうか。飛ばないのは蝶自身だからだ、今、蝶は悩んでいる。でも、その蝶が運命をすなおに受け止めて、自分の羽を広げて飛ぼうとするならば、はるかに蝶のためになるだろう。たとえ蝶が、その際にこぶの一つや二つをうけたとしてもな」(P49-50)

 

 

風の本棚

紀野一義「名僧列伝(一)」


1999.8.22

 

■紀野一義「名僧列伝(一)明恵・道元・夢窓・一休・沢庵」

 (講談社学術文庫/1999.8.10発行)

 もっとも心ひかれる人はといえば、ここに挙げられている禅僧のことが頭に浮かぶ。明恵は、禅僧とはいえないかもしれないが、著者は「想念の禅者」としている。

 なぜ心ひかれるのか。おそらくそれは、限りなく自由に生きんとしたその生き方、そしてそれぞれの強烈な個性からくるのではないか。

 そして最近では、それと同時に、それぞれの時代において、それぞれの禅僧が絶対自由を求めながら、そうすることのできなかった煩悶のようなものもふくめ、その煩悶ゆえに、なお心ひかれることは止まない。

 もっとも、こうした禅という在り方は、一種の神秘主義なのであって、シュタイナーが精神科学において模索しようとした科学・学問というものではなく、現代はおそらく、かつて数々の禅者たちが探究しつづけたこととはまた別の道を模索していかなければならないであろう時代であることもおさえておく必要があることかもしれない。しかしそれゆえにこそ、禅僧たちの人間くささに心ひかれるのでもあるし、その遺した言葉や行動をときおり、このようにして思い出してみたくなったりもするのだろうと思う。

 毎朝、それぞれの禅僧のことを思いながら、それぞれの禅僧の生についてを音楽を聴くように読み進めていった。それぞれに紹介してみたいところが多々あるのだけれど、それもむずかしいので、特に興味深かった一休と蓮如との関係を紹介してみることにしたい。

禅師が心を許した友に蓮如がある。(…)

 この二人は、二十一歳も違う年齢の差を超越して、また宗派の相違も超越して、心の友として結ばれていたのである。

 寛正二年(1461)11月、47歳の蓮如上人が宗祖親鸞の二百回忌の大法会を本願寺でいとなんだとき、68歳の一休禅師もこの法会に参列し、一首の歌を残している。それはこうである。

襟巻のあたたかそうな黒坊主こいつが法は天下一なり

 あたたかそうな襟巻をした色の黒い坊主とは親鸞のことであるが、実はそこに蓮如の姿が重なっているのである。(…)

 禅師はある時期ほんとに念仏宗に改宗しようとしたことがある。それほど念仏の信心にひかれたのも、実は、蓮如という人物が存在したからだとわたしは思うのである。

 禅師は、門人尾和宗臨に遺言して「わしが死んだら、中陰の法事は蓮如にたのんで念仏を修するように」と頼んだ。蓮如はそれをきいて、「わしは平生、禅師の生き身を引導していたのだから、今さらそんな必要はあるまい」と笑った。(P186-189)

 念仏を批判する禅僧の多いなかで、この一休の自在さは注目する必要があるように思う。一休のとらわれない生き方、とらわれることをつきつめることによってそれそのものをとらわれないものとするかのような生き方にもそれは通じているのではないだろうか。

 

 

風の本棚

日木流奈「月のおくりもの」


1999.8.27

 

■日木流奈

 「あなたへのEメール『月のおくりもの』何があっても大丈夫よ」

 (大和出版/1999.8.30発行)

 「9歳の脳障害児」日木流奈さんの最新刊。今回は、日木流奈さんが個人的にやりとりしたというEメールを「あなたへのEメール」というかたちで再編集したものに、新たなメッセージとHPにも掲載されている「パ〜の進化論」が併せて収録されています。

 今回も改めて思ったのは、日木流奈さんのメッセージは、表現としてはとても平易でシンプルであるにもかかわらず、そこにはいくら言葉を尽くしてもなかなか理解されがたいほどの根源的なまでの難しさがあるように思います。それは、一見簡単に「読めてしまう」だけに、勘違いされたまま、読み過ごされてしまうこともあるのではないでしょうか。

 たとえば、「信じてあげて、自分自身を」「ただあなたがそれをしたいかしたくないか、ただそれだけです」というとき、おそらくそのメッセージは、たとえばシュタイナーの「自由の哲学」と通底しているということがひょっとしたら見過ごされてしまうかもしれないのです。自分自身を信じるということの、なんとむずかしいことでしょうか。そのためには、信じるに足るだけの自分自身でなければならないからです。したいことをする、それだけでOKということの困難さも同じです。心の欲するところに従いてその矩を超えずとした孔子の境地でなければしたいことするということにはならないからです。むしろ、シュタイナーの「自由の哲学」を読むことのほうが、日木流奈さんの平易に見えるメッセージを読むことよりもそういう意味でも、むしろずっとやさしいのではないかとさえ思えてしまいます。

 「私は依存されることを好みません。私も依存することを好みません」「人は自ら気づいて、学び、変わることができる」というメッセージなどもあります。これもまさに「自由の哲学」の基礎でもあり、また後者などは「自己教育」ということの基本です。人は被害者でも加害者でもないというのも、そうです。

 ほんとうに「あたりまえ」のことが語られています。むずかしい仏典や宗教書などを読む必要はないといえるかもしれません。おそらく、ここで日木流奈さんが語っていることを理解できさえすれば、特別なこととして語られてしまいがちな「悟り」や「救い」など必要ないのでしょうから。でも、そのシンプルなメッセージには、自覚と自覚故に可能になる自分自身への救済ということが常に込められているように思います。

 自分に優しくする、自分を愛する。そのことが繰り返し語られながら、そのシンプルさゆえに、その困難さを感じてしまいます。それは深い自覚がなければただのなんでもプラス発想でOK式の安易なメッセージと取り違えられてしまいかねないように思います。なんでもプラス発想にできるために必要な魂の足腰は並大抵の強さでは絶えきれないからです。「何があっても大丈夫」というのは、ほんとうに「何があっても」ということで、条件付きのものではないんですよね。

では、最後に本書から少しご紹介します。

 心地よい人のそばに、だれだっていたいことと思います。心地よい人というのは、いい人のことではありません。自分らしく、精一杯生きようとする人です。そんな人といると心地よくはありませんか。

 わがままに見えても、世間から外れているように見えても、その人自身として生きている人はバランスが良く、たとえ学びの過程だとしても、とても心地よいものです。

 これは他人のことではありません。あなたのことです。あなたがその人となるのです。あなたは十分に苦しんできたし、悲しんできたし、たくさんのことを知りました。あとはあなた自身を愛するだけで、それは周りにあふれるものとなるのです。自分勝手をするのとはまったく違うことです。

 だれかの役に立とうとする気持ちはだれにでもあります。すべての人にあります。けれど、そこに依存してはいけません。だれかの役に立つことに依存してはいけません。自分の存在価値をそこに見出してはいけないのです。その人は、依存する人をいつまでも探し続けることになるからです。(P19-20)

 

 

風の本棚

加藤隆「『新約聖書』の誕生」


1999.8.27

 

■加藤隆「『新約聖書』の誕生」

 (講談社選書メチエ/1999.8.10発行)

 本書を手にしてあらためて気づいたのだけれど、「新約聖書」がいつからいまのような形であるのか、そしてそれはどのようにして成立したのかについて、具体的なことを見てみたことはあまりなかった。

 とくに、イエスが十字架につけられ、その後、弟子たちやパウロなどがどのように活動したのかということと新約聖書の関係などについて、あまり知らなかった。そしてなぜ新約聖書が、ギリシア語で書かれているのかなど当然といえば当然の疑問がそのままになっていた。ちなみに、著者の加藤隆は今春、そのテーマで、「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか」(大修館書店)という著書を出版している。

 もちろん本書に、神秘学的な考察などがあるわけではなく、現状の資料から考えられる事項を積み重ねながら、新約聖書の成立とそれをめぐる人々の活動が描かれている。そして、新約聖書の成立以前のさまざまについても、ペテロやパウロなどの活動などについても、興味深い事実が積み重ねられている。

 当然といえば当然なのだけれど、キリスト教というのが最初からあったわけではなく最初は、ユダヤ教の分派のようなものだったものが、ユダヤ人以外に広がることによって、ユダヤ教から切り離されてゆき、事実上、キリスト教として成立していく過程において、口承から文書へとシフトしていった。だから、最初、新約聖書とかいうものはなくて、それが成立するまでには、イエス没後300年を要したわけである。

 その成立以前には、最初はすべてが口承であって、文書は必要とされていなかった。それは、エルサレム共同体という、生前のイエスに関わったユダヤ人たちが中心となったものだったのが、その共同体とは相容れない形の集団が成立してくるにあたって、文書のかたちが必要とされるようになった。その最初が、「マルコ福音書」らしい。そしてだからこそ「ギリシア語」なのだといえる。

 やがて、さまざまな福音書や書簡などなど、キリスト教の成立を彩るさまざまな文書が乱立し、やがて、現在のような「新約聖書」が成立してくる。そのドラマは、本書を読むことでもかなりスリリングに伝わってくる。そして、必ずしも一貫した観点の文書ではない文書が矛盾するようなかたちで現在のようになぜまとめあっれるようになったかという歴史的な流れについても興味深く理解できる。

 個人的にいろいろ考えさせられたのは、パウロの活動で、それがかつてのユダヤ教におけるさまざまな戒律を度返しし、なぜ「信仰」を機軸とする教えという観点を提示したのかが興味深い。そこには、外からの戒律による義ではなく、内なる戒律という義とでもいえる本質的な変換があったように思える。

 本書は読みやすく書かれた聖書研究だけれども、そこに、イエス没後の弟子たちや、パウロ、グノーシス派などの活動を神秘学的な観点から読み直してみるということも可能だと思う。シュタイナーには「バガヴァットギータとパウロ書簡」のような講義があるけれど、そうした観点から、考察を加えてみると、楽しさも倍加するのではないだろうか。

 

 

風の本棚

「ホメオパシー療法」入門


1999.8.28

 

■ジュディス・R-ウルマン&ロバートウルマン

 「欧米医学の最先端『ホメオパシー療法』入門」

 (越宮照代訳/徳間書店/1999.7.31発行)

 シュタイナーの「精神科学と医学」でも紹介されているホメオパシーについてまとまったかたちで読めるものがやっと翻訳されました。これまでにもフレングランスジャーナル社などから紹介本はでていたのですけどコンパクトとはいえこれだけまとまった形での紹介は日本では始めてだといえるのではないでしょうか。

 日本にも福岡に「日本ホメオパシー協会(JPHMA)」があり、ホームページ http://www.homocopathy.gr.jp/jphma もひらかれていたりもするのですが、まだまだ知られていません。ホメオパシーは臨床的にはその効果が実証されているものの、その働きが現在の「科学」では説明できないということもあって、とくに科学主義・実験主義漬けともいえる日本の医療では現状ではなかなか受け入れがたいように思います。

 ホメオパシーを創始したハーネマンの死去する前に、すでにホメオパシーはドイツ、フランスをはじめとしたヨーロッパ全域、そしてアメリカにも広まっていて、1836年には最初のホメオパシー医学校がアメリカのペンシルバニア州アレンタウンに設立、1844年には初の全米ホメオパシー団体、全米ホメオパシー協会が創立、20世紀初頭には医師の5人に1人はホメオパシー専門医となり、ホメオパシー専門病院は100以上、20校以上の医学校が運営され、1000店を超えるホメオパシー薬局が開業していたにもかかわらず、ホメオパシーに反対する医師や製薬会社の誹謗や妨害で、20世紀の半ばにはホメオパシーはほとんど姿を消してしまっていたようです。やはり、現状の科学では説明がつかないということや現在のような対症療法的な医療のマーケットにとって利益を生まないというあたりのことが、ホメオパシーを一般化させない要因になっていたといえるかもしれません。これは、ホメオパシーにかぎらず、その他の多くのことについてもいえることのように思います。

 しかし、アメリカでも現在、ホメオパシーは新たに注目されるようになり、臨床医師免許を申請中のホメオパシー医の数は増え続けていて、ここ5年ほどはホメオパシーについての書物や記事も頻繁にでてくるようになっているということです。日本ではまだまだこれからということですし、現状の医療システムや偏狭な科学観と相容れないことから導入はなかなかむずかしいのではないでしょうか。ホメオパシーどころか、臓器移植やらドナー登録やらが美談のもとにアピールされているくらいなのですから。

 さて、シュタイナーの「精神科学と医学」などでもホメオパシーの原理については説明されていましたが、本書では「ホメオパシーとは何か」「なぜホメオパシーを選ぶのか」「ホメオパシー薬の原料」「ホメオパシー薬はどうやってつくられるか」「ホメオパシー治療について知っておくべきこと」「臨床例」などホメオパシーについての基本的なところが紹介されているほか、現在日本で活動している唯一のホメオパスであるロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー・ジャパンの学長由井寅子さんによる「英国及び日本におけるホメオパシーの現状について」も巻末に収められています。

 ご紹介の最後として、「類似の法則」及び「ホメオパシーと一般医療(西洋医学)はどう違うのか」から。

 ホメオパシーとは、ある自然の物質を健康な人に投与した場合に起こす症状が、特定の病気の症状と似ているものを、その病気の治療薬として用いる治療法です。(…)

西洋文化の中で育った私たちは細菌による感染は、抗生物質でしか治せないと信じ込まされてきました。「抗」は刃向かう、逆らうという意味を持ちます。抗生物質が用いられるのは、細菌が入ると人間の身体はそれと戦って勝たなくてはならず、抗生物質がなければ勝てないと信じられているからです。(…)

 ホメオパシーでは病気の本当の原因は細菌にあるのではなく、患者の身体のコンディションが、細菌が繁殖しやすい状態をもたらすことにあるのだと考えます。そこで身体が本来持っている力を取り戻せば、細菌は繁殖できなくなり、病気が治るというわけです。

 

 ホメオパシーは一般医療(西洋医学)とはまったく異なる概念で成り立っています。一般医療は合成化学薬品を用いますが、ホメオパシーは「類似の法」にのっとった自然界から得た薬のみを用います。

 一般医療は、できる限り患者の命を長らえさせるために、細菌やウイルスを抹殺し、生理学のプロセスをコントロールして身体の機能を保とうとします。しかしホメオパシーは、患者の抵抗力を高め、自己治癒力を高めることによって目的は達せられると考えます。また、一般医療は人間の身体を部分的に分断して、各部の病気や機能について専門的に治療しますが、ホメオパシーは一人の人間を心身両面から総合的に見て治療に当たります。(P63-64)

 

 

風の本棚

大橋良介「内なる異国 外なる日本」


1999.9.8

 

■大橋良介

 「内なる異国 外なる日本/加速するインターカルチャー世界」

 (人文書院/1999.8.20発行)

 「インターカルチャー」という言葉はまだあまり聞き慣れない。しかし、ヨーロッパでは、インターナショナルという言葉は、すっかりインターカルチャーという言葉に取って代わっているそうだし、アメリカでは、そのインターカルチャーという言葉はトランスカルチャーやクロスカルチャーという言葉と併用する傾向が強いということだ。

 日本では、ほとんど「インターナショナル」ないし「国際化」という言葉だけが使われているようだけれど、それはヨーロッパやアメリカとの状況との違いを如実に表している。国ごとに状況や事情は異なっているとはいえ、進んでいる状況は、そしてこれから進んでいくであろう状況は、ある方向を示しているようにも思える。

 日本だけではない。世界には同じような薄明に包まれた問題が山積している。地球環境、臓器移植、バーチャルリアリティ、民族紛争や宗教紛争、再編成に向かうヨーロッパ世界と北朝鮮をひとつの火薬庫とする東アジア。ひとつ間違えば、いずれも世界の終焉を招きかねないものばかりだが、見通しは有ると無いとの中間だ。

 この中間地帯は、見通しを遮る「壁」であって、同時に「通路」でもある。壁と通路は本来ひとつなのだ。今日のインターカルチャー世界もまた、このような壁にして通路であるような中間地帯(インター)の重層だ。そこでは異文化が自己世界の「内」にあり、他者は「内なる他者」ともなる。従来の倫理観や価値観では処しきれない世界構造が到来しつつある。

 新しい世界への「くぐり抜けの気分」は、決断と受動とのあいだを振幅する現代の気分だ。この気分を思索に転じたいという衝動に、私は駆られる。(P168)

 著者の大橋良介は、いわゆる西田幾多郎などの「京都学派」を現代に継承する位置にある哲学者で、『「切れ」の構造ー日本美と現代世界』(中央公論社)、『日本的なもの、ヨーロッパ的なもの』(新潮社)、『悲の現象学』(創文社)などという著作がある。

 その特有の視点は、「インター」ということにあるように思える。本書は、その「インターカルチャー」の現状と行く末について折にふれて発表されたコラムやエッセイ、講演などをアレンジして一冊にまとめたものだということだが、その読みやすさとは逆に、そのテーマは深くそして重い。

 本書で特に興味深かったのは、「中」という視点がクローズアップされているということだ。トポスのHPに「中道論」というのを載せてあるのだけれど、それに本書での「中」の視点を加えることもできるように思う。

 「あとがき」で、中国の華東師範大学助教授で日文研客員教授として来日している杜勤(Du Qin)氏の「中の視点」が紹介されているが、この「中」の真ん中の縦軸を杜氏は、神と人間とを結ぶ宇宙軸としてとらえそれが論理的思考に移されると、相対する二を中和して総合的な三へと導く考え方になり、社会倫理の次元では、対立する両極を支える「中庸」となる、という。しかし、現代世界は、杜氏の述べるような神と人間とを結ぶ宇宙軸である宇宙論的な「世界の縦軸」をもはや自明のものとしてもってはいない。むしろ、こうした縦軸と引き換えるかたちで、すべてを水平化するテクノロジーの「横軸」を獲得したように見える、と著者は述べている。

この横軸に貫かれた諸文化は、単に水平化されていくのか、それともある独自の「インター」ないし「中」の関係で結ばれて、テクノロジー世界を逆に個性化し多様化していくのか。近未来の世界は平均化していくのか、それとも種々なる意匠に刻印された多様なマンダラ図になっていくのか。そのような岐路に、現代の文化状況は直 面しているように見える。本書の後半で述べた「中の視点」あるいは「インターカルチャーの視点」は、後者に賭ける意志でもある。(P171)

 重要なところなので、その「中の視点」について、最後に少し見ておくことにしたい。

 ヘーゲルであれば、「中間」とは対立しあうものを媒介する「中」のことだ。この「中」において、対立するものは媒介され、止揚され、全体的システムへと総合される。国家というものを、このような媒介する「中」にたとえるなら、そこにふたつの方向が浮かんでくる。ひとつは全体システムのなかにすべてを統合し支配する「中心」Zentrumたらんとする方向である。覇権主義や大国主義、膨張策、等がその延長上に浮上する。しかしもうひとつの、かつ本来の「中間」は、もっとつつましく包容的で、しかももっとも重要な領域だ。それは異質のもの同士がそこで出会い、他者を承認し、自己自身の内部に他者を容れるに到るような場所のことだ。

 「中」をつつましい「無」として、しかし異質な他者を含む「場所」として捉える考えは、典型的には、日本の哲学者・西田幾多郎の「場所」の思想に表現されている。西田は最晩年のある論文で「最大にして最小の立場」を語った。最も深く大きな宗教的境地が、日々の小さな生活場面にも実現されるという意味だ。

 もともと文化とは、日々の小さな生活場面に最も深く大きな精神を実現する「中」の場所だといえる。文化に裏付けられた政治は、最も小さな声を大きな国家に媒介する中間者であり、その限りでは本質的に「中」の視点に立つはずだ。最大と最小の極がそこで出会い、異質の他者が包摂されるような「中」という場所、それは今日のインターカルチャー世界が実現しようとして探し求めているものだ。(P164-165)

 この「中」という場所を、シュタイナーの社会有機体三部節化の観点からとらえられないだろうかということを思う。精神と経済と法が、自由と友愛と平等が、「中」する場所のことを思う。

 

 

風の本棚

セシル・バーモント「Number 9」


1999.9.15

 

■セシル・バーモント「Number 9」(飛鳥新社/1999.9.9発行)

 

 1999年9月9日に発行された、素晴らしい「9」という数についての本。こんなにシンプルで美しく、しかも限りなき深みにある「数」についての本を読んだのは始めてのこと。

 学校は大嫌いだったけれど、数学と科学だけは好きだった。とはいうものの、いつもいやだったのは計算。なぜテストで計算ばかりやらされるのかがわからなかった。二次方程式の解の式なども結局覚えられたことがなく、テストの度ごとにいつも因数分解をしてその式を出さざるをえなかった。そしてその式は合っていても、計算は合ったことがなかったというおそまつ(^^;)。

 いちばん好きだったのは、幾何学。コンパスと定規で図形を描いていたりすると、時間の経つのを忘れた。それから不思議な不思議な数という魔術。シンプルなはずなのに、なぜあんな複雑な計算が必要とされてしまうのか、あの複雑さは、ぼくにとっては数に対する冒涜のようにさえ思えた。その後、そうした数学への興味は、その微積の計算漬けのなかで薄れ、哲学のほうへ向かうことになるが、いまだに「数」というのはいったい何なのか、興味は尽きない。

 さて、「9」についての本である。この素晴らしさをどう語ればいいのだろうか。ここで数学的に必要な知識といえば、九九程度の加減乗除。そして、主な方法は「シグマ・コード」。「シグマ」とえば、むずかしそうだけれど、単純な話。たとえば、12345であれば、1+2+3+4+5というように足すだけ。そしてその足した和が1〜9になるまで足していく。1+2+3+4+5=15だけれど、この15をさらに1+5=6とする。つまり、12345のシグマコードは「6」となる。だだそれだけのことを見ていくことで、これだけの「数」の深みが詩的に綴られる不思議に、久々時間の経つのを忘れた。

 本書は、まず「ふしぎな数の世界の奥に潜む秘密を発見した少年数学者」のエンジルの物語からはじまる。エンジルは、「風のなかの定点はどこにあるのか?」という謎かけに答えるために、シンプルで美しい数の秘密の世界を探究し、「9」という数の秘密を見出す。「風のなかの定点」・・・。一見、矛盾のようにも思える表現に隠されたかぎりない宇宙の神秘。

 数についての本といえば、最近はホゼ・アグエイアスや高橋徹の主に「暦」に関する「13」についてのものに興味をもっていたのだけれど、その「13」という観点ではなく、カバラなどにも関係してくる1〜9の数の宇宙マンダラとでもいえるものがやはりより興味をひかれる。この「Number 9」で紡ぎだされていく数のマンダラは、たとえば「エニアグラム」などを見る際にも有効なのではないかと思える。

 個人的にいえば、ぼくの数はカバラ数秘術的にいえば「5」なのだけれど、以前、カズタマの研究をされている方からお聞きしたところによれば、「5」と「9」というのは裏表の関係にあるそうで、そのふたつの数はもっとも気になっている数でもありますし、ぼくのよく出会う数としても「5」と「9」はとても気になるところ。

 なぜ「9」が数の中心の位置を占めるのか、「風のなかの定点」なのかに関しては、ぜひ本書を読まれて、しばしその宇宙的ポエジーに酔われてみてはいかがでしょうか。

 

 

風の本棚

多木浩二「戦争論」


1999.10.1

 

■多木浩二「戦争論」(岩波新書/1999.9.20)

 

 二十世紀を生きた私たちにとって、「戦争」から目をそらすことはできないだろう。第一次大戦、第二次大戦だけではなく、ベトナム戦争から湾岸戦争、ルワンダ内戦、カンボジアの内戦、バルカンの内戦、コソヴォでのNATOの空爆などなど、二十世紀はまさに「戦争」の世紀だといえる。そして、「戦争」はある意味では次第に得体の知れない怪物のような様相を呈してきているといってもいいのではないかと思う。

 この多木浩二の「戦争論」を通読してみて、そのことを再確認できたとともに、あらためて「なぜ戦争があるのか」、そしてそれが「なぜ複雑化していくのか」ということを考えないわけにはいかなかった。本書を読むということは、「戦争」をなしえてしまい、それをエスカレートさせてしまうエゴをもった人間ということについて深い悲しみを感じると同時に、それととともに歩む覚悟をもつこと。そしてそのことによって、新たな時代への可能性への意志へとみずからをアクチュアル化することなのではないかと思う。本書は単に、二十世紀の「戦争」の報告書ではなく、それをみすえながら「未来の方向に向かうアクチュアルな姿勢」を志向していると感じられた。

 この戦争論は書くのにきわめて長くかかった。私は自分の経験としても、戦争を忘れることはできない。しかし戦争について考えるときには、私的な経験や記憶でなく、この100年間の世界史の全体が茫漠と浮かんでくる。それは今日、この瞬間、世界のどこかで起こっている内戦まで含んだ、長く複雑な時間と空間である。おびただしい暴力と死。もちろん、その時間と空間にひろがっていることは、戦争のようにネガティヴなことだけではない。あらゆる機会をとらえて、われわれが人間の自由をかくも追求してきたのも、その世界においてだった。芸術や思想が追求されるのも、この空間と時間のなかでだった。(・・・)

 書きはじめると不思議なことが起こった。戦争づけになった絶望的な時代の世界を相手に考察しながら、私は自分が、身体の向きをはっきり未来に向けはじめたのを感じた。そうしなければこれほど暴力的でなにも生まないカタストロフには取り組めなかった。可能なかぎり平易な言葉で書こうと努めたが、この本は自分が世界を生きることに結びついた仕事だった。 (P199-200)

 「戦争」について考えるときに、必ず出てくるのは「国家」「国民」「民族」であり、「国家」のなかに存在している多様な「民族」の「浄化」を目指したり、「主義」による「浄化」を目指したりすることが、暴走する近代的な「権力」を背景にエスカレートしていく。そして、特に、頻発している内戦などをみると、「なぜ戦争が起こるのか」がとても見えにくい状態になっている。たとえば、コソヴォでのNATOの空爆などは、なぜNATOが空爆することになってしまうのか、そしてそれによってアルバニア系住民の虐殺や追放が加速されてしまうのかなど、よく見えなくなってしまうところがある。

 しかし、なぜ「戦争」なのだろうか。シュタイナーが体験した大きな戦争は「第一次世界大戦」だけであり、「第二次世界大戦」以降はシュタイナーの死後起こったわけだけれど、シュタイナーが、その後起こった数々の「戦争」について語ったとしたらさらにどのようなことが語られていただろうかと考えてみたりもする。おそらくその際、「民族魂」について、「時代霊」について、そしてさらに「キリスト衝動」について考えてみないわけにはいかないだろう。

 「みんなが争わないで平和に仲良く暮らせばいいのに」とはだれもが夢想することではあるのだけれど、たとえば、「家」ということを考えてみると、自分が「〜家」の一員であるということを重要視するということは、「〜家」でない人たちに対して、自らを集合的な形で隔絶することになる。それは決して、「個」が他者に対してということではなく、集合的なものどうしの関係として立ち現れてくる。社会関係でいうと、それが「差別」ということの源泉にもなったりする。またそういう集合的な在り方は、その集団の内部における排他にも結びつく。ある集団はその集団の「あるべきありよう」を持ち、それに則っている人とそうでない人、「べき」に従っている人とどうでない人とが截然と区別されることはよくあることだ。そうした、自分たちの外部にある「敵」と内部にある「敵」がそこで「排除」の可能性を有することになる。

 そうした「排除」の構図は、すべて集合的な発想からくる。従って、「みんながなかよくすればいい」という「みんな」が「個」でない場合、そこには、自動的にそうした「排除」が隠されていると考えることができる。

 「戦争」ということを考えようとすると途方に暮れてしまうのだけれど、その「戦争」と同じ根っこをもつものを、自分のなかに、そして自分の周囲に見出してみることから始める必要があるのではないかと思う。

 

 

風の本棚

鎌田東二/喜納昌吉「霊性のネットワーク」


1999.10.2

 

■鎌田東二/喜納昌吉「霊性のネットワーク」

 (青弓社/寺子屋ブックス06/1999.10.10発行)

 

 神道研究をベースに新たな霊性を探究する鎌田東二と「ハイサイおじさん」や「花」で知られる沖縄のミュージシャン、喜納昌吉のとても息の合った(阿吽の呼吸の合った)対談集。

 タイトルに「霊性のネットワーク」とあるように、対談のテーマはすべての霊性をネットワークさせていくということ。鎌田東二は、1991年はじめて喜納昌吉に会ったときのセッションで喜納昌吉が次のように語った言葉が今も脳裏に焼き付いているという。「われわれは、日本民族とか朝鮮民族とかアイヌ民族とか沖縄民族とかインディアン民族とか言う前に、みなスピリチュアル民族なんだよ」

 鎌田東二も喜納昌吉も、かなり地縁、血縁的なベースを色濃く持ちながら、そうした在り方の自覚の上に立ちながら、それらを固定化することなく、それらを超えた「霊性のネットワーク」により変容させていく道を探究しているといえる。多様なものを豊かさとしてもちながら、それらの根底に共通する霊性をネットワークさせ、それぞれを変容へと導いていくことで、調和と統一を果たし新たな時代の可能性を開くこと。

 鎌田東二は、「神界のフィールドワーク」以降、その著書などにも比較的数多くふれていて、一度お会いしたこともある方。それに対して、喜納昌吉は、その2曲を聴いたことくらいしかなかったが、これほど素敵なチャンプルーな方(!)だとは知らなかった。しかも、あのアメリカのイロコイ連邦に、昨年「すべての武器を楽器に」の理念のもと、「白船」で訪れたという。イロコイ連邦については、以前、ポーラアンダーウッドの「一万年の旅路」をご紹介したときにふれたことがあると思うのだけれど、アメリカの、本来の意味での「自由と民主主義」のルーツは、このイロコイの「大いなる平和の法」にあり、フランクリンやジェファーソンなどもイロコイには深く影響されているという。

 さて、「白船」について、本書から(喜納昌吉による)。

日本の文明は「黒船」の来航から出発しました。大砲という武力におびえた日本は鎖国を解き、さらには西欧文明を積極的に受容する「文明開化」を成し遂げました。そして迎えた今日、日本は多くの負の遺産を抱え、今一つ輝きがありません。日本が追い求め、突き進んできた西欧文明は果たして正しいものだったのでしょうか。様々な問題を抱えたなか、輝ける二十一世紀を切り開くにはどうしたらいいのか、真剣に考えなければならない時期に来ています。そして、日本が西洋化に進む出発点となった「黒船」の意味をもう一度検証し、日本文明に刺さった「黒船」のトゲを抜かない限り二十一世紀の展望は持てません。

また、日本には敗戦後五十二年を経た今日でも、アメリカの軍隊が駐留しています。このことは国際的にも異常なことです。日本とアメリカが真の友好国として真の独立国家として手を取り合うためにも、「日米平和友好条約」の一日も早い締結が望まれます。そこで私は「黒船」を送ってきたアメリカへ、今、日本から「白船」を出航させようと計画しています。この「白船」は「黒船」によって日本の「文明開化」が始まったお返しに、「白船」によってアメリカに「平和開花」を訴えるという平和実現のためのムーブメントです。船には楽器を積み込み船上やアメリカの寄港地で、 平和のセレモニーである「祭り」を開催します。

「白船」は、武力への脅威から近代文明をスタートさせた日本、武力によって国の安定を保ってきたアメリカ、そんな両国の歴史の歪みをヒーリングし、日米の関係を友好的なものに正すものです。また同時にそれは両国のみならず、地球の未来にとって建設的な第一歩となり、来るべき二十一世紀の展望を開くものと確信します。(P141-142)

 とても楽観的で安易な試みのようにもみえるのだけれど、国と国、民族と民族などの間に、長い間に渡って蓄積された病を解放していくには、こうした、ユーモアをもちなっがら、霊性を有した芸術という方法で根気よく関係性の変容を探っていくというのもなかなかに魅力あるプロジェクトではないかと思う。

 本来的にいえば、すべての人間が地縁、血縁的なものを超え、「個」としてみずからを確立し、自己認識と世界認識への道を歩み、まずはみずからの感情を統御していくことさえできれば、「世界平和」はすぐにでも訪れるのだけれど、実際には、国と国、民族と民族などの間には、さまざまな諍いや憎しみ、こだわり、優劣意識などが歴史的に輻輳し、蓄積されてしまっていて、一朝一夕にそれらを解消することは難しい。そういう意味でも、「白船」のようなプロジェクトをはじめ、本書でも繰り返し紹介されている「神戸からの祈り」、「神戸からの祈り〜東京おひらく祭り」「地球にごめんな祭」などの霊性の発見と変容とネットワークの試みはとても重要なのではないかと思う。

 さて、本書には、シュタイナーについてもふれられていて、シュタイナーの精神科学によるアプローチが現代においていかに重要な示唆をしているのかということも語られている。もっとも、喜納昌吉のほうは、シュタイナーについて、神智学協会からシュタイナーとクリシュナムルティがでてきて云々というような誤解を持っていたりもするようだけれど(^^;)、対談の両者が語っているテーマとしては、とても示唆的なことが多く、とても優れた対談になっていると思う。

 しかし、鎌田東二、喜納昌吉の両者とも、鬼が見えたり、観音が見えたり、声が聞こえたり・・・と、けっこう霊体質の方のようだし、一般の常識とは異なり、そういう方はあまりめずらしくもないようで、この日本というところは、ほんとうに不思議な地場だなあとあらためて実感させられた。問題は、そうした霊体質的な日本人たちの潜在能力がこれからどの方向に向かっていくのかということのように思う。

 


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