2003

 

水樹和佳子『共鳴者』


2003.3.16

■水樹和佳子『共鳴者』
 (エニックス/2001.8.31発行)
 
水樹和佳は、いつから水樹和佳子になったのだろう。
手元にある『イティハーサ』のどの巻も水樹和佳になっているので、
『イティハーサ』が終了してからということなのだろう。
書店で文庫化されたものを見てみると、
すでに水樹和佳子になっているので、
この作品のように小説の著者としての名前でもないようだ。
 
この『共鳴者』は、水樹和佳子のはじめての長編小説らしいが、
すでに1年半ほど前にでているのにまったく気づかずにいた。
これはつい先日書店で見つけたのだけれど、
大塚英志いうところの「キャラクター小説」の置いてあるコーナーに
とっても地味に置かれてあった。
 
このコーナーをのぞくようになったのは、
上遠野浩平のブギー・ポップシリーズに注目してからのことなので、
そのコーナーに置かれてある作品にはなかなか目が届かずにいたようである。
このコーナーの作品のほとんどには、あまり興味をひかれないのだけれど、
やはりこうして泥のなかに咲く蓮の花のような作品があることを
決して見落とさないようにしたいものだと思う。
 
水樹和佳の作品を読み始めてすでに25年ほど過ぎているだろうか。
その頃は、まだあの内田善美なども活動していた。
その頃の少女マンガはほんとうに輝いていたように思うが、
そういえば、最近は、岡野玲子の『陰陽師』あたりしか
新しい作品を読む機会を持たなくなっている。
先日も坂田靖子の文庫化された作品を
ひさしぶりに思い切り解放された気持ちで楽しめたのだけれど、
これもすでに今の作品ではなくなっていたりする。
ぼくが知らないだけかもしれないのだけれど。
 
で、『共鳴者』である。
これはあの『イティハーサ』をまとめて読むような感覚で、
まさに水樹和佳子の世界ならではの物語で、
まるでその極上のマンガを楽しむように読むことができた。
『イティハーサ』は一巻一巻がでるのに感覚が空いていたのだけれど、
これは一気に『イティハーサ』を読めたようなそんな贅沢さのなかで、
小説を読んでいるのかマンガを読んでいるのか、
その境界がわからなくなるような錯覚さえ覚えた。
 
なぜマンガ作品ではなく、小説を書いたのか、
じっさいのところはわからないのだけれど、
水樹和佳子の世界はすでにそのキャラクターづくりも
描かれているイメージがすでにあって、
しかも挿画もみずから描いているので、
物語を展開させるのにマンガと小説の境目を
越えてしまうことが比較的容易だったのかもしれないという気がしている。
文字の多い絵本のような感じだともいえるし、
描かれている文章そのものの質として、
非常に漫画的(映画などだと映像的ということになるように)だということ。
 
そういえばいまふと思い出したのだけれど、
あの『光る風』や『ガキデカ』の山上たつひこが
小説を書いたりもするようになったことがあった。
(今はよく知らないけれど)
で、山上たつひこではマンガと小説の境目はけっこうはっきりしていたけれど、
今回の『共鳴者』ではその境目はあまりはっきりしていないように思う。
 
それがある種の可能性なのかそうでないのかはわからないのだけれど、
少なくとも『共鳴者』はなかなか楽しく読めた作品であることは確かだった。
その後、水樹和佳子がどんな作品を生みだしているかわからないけれど、
今後もできれば注目していきたい作家のひとりである。
 
ところで、内田善美とか、いったいどうなっているんだろうか。
ご存じの方がいらっしゃればぜひ情報下さい。
 
 

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