2003

 

ドナルド・キーン『足利義政/日本美の発見』


2003.2.8

■ドナルド・キーン『足利義政/日本美の発見』
 (中央公論新社/2003.1.25発行)
 
日本文化の伝統とされているものの多くは、
室町時代からもの、とくに東山時代に発しているといわれる。
しかしその時代をイメージすることはむずかしい。
 
雪舟、一休、連歌、歌道、築庭、茶の湯。
応仁の乱の時代とそれらの文化。
そこに生きた足利義政という一人の将軍。
本書は、その時代のイメージを描きだそうとする試みだといえる。
 
          東山文化は、応仁の乱と戦国時代の戦乱の中の束の間の静けさの中に
        栄えた。その継続期間は短く、それに携わった者たちの数は決して多くは
        なかった。しかし、その後の日本文化への影響力には計り知れないものが
        あった。近代化と国際化がすべての日本人の生活に影響を与えている今日
        においてさえ、日本人が特に日本的なものとして、特にあらゆる日本人に
        身近なものとして考えるものの大半は、この時期に始まった。
         義政は、かつて日本を統治した将軍の中で最悪の将軍であったかもしれ
        ない。義政は、武人としては完全な失敗者だった。義政が将軍だった治世
        に、幕府は徐々に弱体化していった。義政は、私生活においても成功した
        とは言いがたい。若き日の数々の情事は、義政に何の喜びももたらさなか
        った。また、義政の結婚は惨憺たるものだった。唯一の息子義尚との関係
        も、はかばかしいものではなかった。応仁の乱が文明九年(一四七七)に
        終わった時点で、おそらく義政は自分自身にとってさえ失敗者に見えた。
         しかし、義政が東山山荘に住んでいた時期に目を向けるならば、我々の
        印象はまったく異なってくる。日本史上、義政以上に日本人の美意識の形
        成に大きな影響を与えた人物はいないとまで結論づけたい誘惑に駆られる。
        これこそが義政の欠点を補う唯一の、しかし非常に重要な特徴だった。史
        上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だ
        った。(P227-228)
 
どんな物事にも、またどんな人物にも両義性のようなものがあって、
ただただ一方方向から照らされるだけでは見えてこないものがある。
 
ルシファーが悪へと誘惑する存在であると同時に
人間に自由の種を植えた存在でもあるように、
また、物事は善と悪、美と醜、左と右といった
二元性によって現象していくように、
なにかを見ようとするときには、
別の方向からの光を当て、その立体的な視野のなかにおいてみることで、
それがどのように見えてくるかを常に確認しておく必要があるように思う。
 
そうでないときに、マスコミにおいてよくみられるような
一面的な雪崩現象のような言説と憶説のなかで
あまりに稚拙すぎる現象が見られることになる。
 
日本的なるもの、といわれるものにしても、
いったい何が日本的なのかと問い直すときに、
ともすればただただ自分の思い込みを中心に
雪だるま式に勝手な「日本」のイメージががふくれあがってしまい、
きわめて歪な「日本」の亡霊が跳梁するようにもなってしまう。
 
「伝統」といわれるものも、その多くは以外に新しいもので、
しかもそれは常に今というプロセスにおいて生きているもので、
決して過去の亡霊ではないはずなのに、
ともすれば亡霊のように今を過去から規定するものとなりがちである。
しかもそれは一面的な光のなかで美化されることがあったりもする。
 
応仁の乱のような荒れた時代のなかで生まれてきた文化。
むしろそうした時代だからこそ闇にもみえるなかで
なにかの可能性が生まれたのかもしれないと見ることもできる。
陰影というのは光と影が複雑に交叉し揺れながら
はじめてその深みを醸してくる。
そのようにあるものが生まれてくるためには、
光と影の作用をそこに見てみる必要があるように思う。
「美」もつねにそうした陰影のなかでとらえる必要がある。
 
現代という現在進行形の時代をとらえるときにも
そうした視点を失ってしまうときに、
なにかがあまりに平板で薄っぺらなままになってしまうのではないか。
自分を平面的にではなく立体的な働きのなかに置いてみることで、
見えてくるものもあるのではないか。
そんなことを思いながら本書を読み進めた。
 
歴史を読む、ときには、
ある人物を中心において見ていくと
それがイメージしやすくなるのだが、
足利義政という人物からその時代を見ていくことで
なにがしか見えてくるものがある。
 
それを、一休から、また蓮如から、そして雪舟から、
というように伏線化していくことで、
そこにいったい何が胎動していたのかを
立体的に見ていくこともまたできていくように思う。
 
今この時代においても、そのような作業を怠らないようにしたい。
 

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