2003

 

河合雅雄編『ふしぎの博物誌』


2003.1.29

■河合雅雄編『ふしぎの博物誌/動物・植物・地学の32話』
 (中央公論新社/中公新書1680 2003年1月25日発行)
 
        この本を読んで、おもしろいと思ってくださった方にお願いしたい。
        それは子どもたちにこの本の内容やおもしろさを話してあげてほしい
        ことだ。子どもの理科ばかれが云々されるが、もっと憂慮すべきこと
        は自然ばなれである。ケータイやゲーム、テレビ漬けの世界から野生
        の息吹が満ちた世界へ、子どもたちをぜひ連れ戻したいと思う。
        (河合雅雄)
 
博物誌はおもしろい。
こんなにおもしろいものはなかなかない。
いちどおもしろいと思い始めると飽きるということがない。
 
けれど、おもしろいと思えないとしたら、
なぜそれがおもしろいのかまるでわからないかもしれない。
 
たとえばこのなかに収められている「石が語る地球の歴史」にこうある。
 
        「どうして石なんか好きになったのか?」とか「石なんか調べて何が
        おもしろいのか?」という質問をよくされることがある。それもたい
        ていの場合、不思議そうな顔をして。石に興味を持つ私は変人に見え
        るらしい。
        でも考えてみてほしい。美しい宝石に始まり、庭石、ビルの石材、道
        端のお地蔵さん、河原の石、金魚鉢の中の石、漬け物石など、私たち
        は身の周りのいろいろな場面で石に親しんでいる。また私たちの生活
        に欠かせない金属の原料も石である。そして、何よりも私たちの足元
        を支える大地、つまり地球をつくっているのが石なのである。私から
        見ると、こんなに身近にあって私たちの生活に関わっているものに興
        味が湧かないことのほうが不思議に思えるのだが、おかしいだろうか。
        (P177)
 
同感である。
興味が湧かないことのほうが不思議だ。
とはいえ、やはり興味がない人は多いのだろう。
 
少なくともシュタイナーに興味があるというのであれば、
その語る鉱物や植物、動物など自然学関連の話を知ると
心騒がずにはいられないのではないかと思うのだけれど、
これも、なんだかそうでもなさそうなのが、もっと不思議に思えてならない。
そもそも、シュタイナーがその自然学関連の校訂をした
あのゲーテにしてからが、石っこ賢さんならぬ、石っこゲーテさんなのだった。
 
博物誌はおもしろいけれど、
それが宇宙的なヴィジョンにまで深みを増した
シュタイナーの視点を得ることで、
それはまさに宇宙大にまでその魅力を増してくることは間違いない。
 
しかし、それがかぎりなく魅力的であるのは、
やはり自分の身近なところにある博物誌的なものを
おもしろがれるということが前提にあるのかもしれない。
たとえば、花崗岩を見て、ほれぼれとするような・・・。
 
子どもに対する教育云々をするというのは
それに関わる人間が、そうした身近なところにある博物誌的なものを
かぎりなくおもしろがれるということが前提なのではないかと思う。
そうすることさえできれば、子どもはおのずと
自己教育的な方向に行くのではないのだろうか。
何も教える必要はなく、ただいっしょに真剣に遊んでいればいいのではないか。
もちろんその遊びのなかに、数学なども含めていけばいいわけだ。
 
あるものごとが好きでもないのにそれを押しつけようとすると
それを押しつけられたほうは確実にそれが嫌いになるだろう。
逆にこんなにおもしろいことってないだろうというふうにされれば
それを理解できるかどうかは別として
少なくとも嫌いにはなりにくいのではないだろうか。
とはいえ反面教師的なものもまた意味はあるのだろうけれど、
どうもそういうのはどこかでなにかが不幸になるような気がする。
ぼくのなかでも反面教師風に身に付いたことはけっこうあるけれど、
それはどこかぼくのなかで不自由さをまといつづけているような気がするから。
 
それはともかく、この『ふしぎの博物誌/動物・植物・地学の32話』は
おもしろがれる話題が32もあって、これがおもしろがれるとしたら、
やはりシュタイナーもおもしろくなるのではないか、とか勝手に思っている。
 
 

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