■鴨下信一『会話の日本語読本』 (文春新書307 平成15年3月20日発行) 同じ文春新書(042)の『面白すぎる日記たち/逆説的日本語読本』も なかなかに味わい深いものだったが、今回の『会話の日本語読本』は、 ドラマや舞台演出に関わっている著者だけに、 さまざまな「現場」から取り出された「会話」の例も刺激的で面白く、 また、「会話」の魅力をこれからの「日本語」創造に取り入れていくための 非常に有意義な提言ともなっている。 全体は4つの章からなっている。 第一章は、「会話はこんなに通じない」。 「あいづち」「合いの手」「オウム替えし」という 日本語の「会話」ならではのコミュニケーションのための技法に注目している。 そして「会話」とはいったい何なのかということへの問題提起もなされている。 第二章は、「男ことばと女ことばの不思議」。 「日本人の会話の中で、ジェンダー意識はどう変わって行ったか」が 翻訳や小説や映画、インタビューなどの例を通じて紹介されている。 その変化はかなりどきりとするほどのもので、 かつて用いられていた「女ことば」が次々と失われていったという視点よりも、 むしろ「男ことば」が女性化していった部分に焦点が当てられている。 なるほど、現代では会話がいわば「無性化」してきているのがよくわかる。 第三章は、「一人ゼリフの凄い効きめ」。 「主張・説明・報告など不得手な場面で日本人はどう工夫したか」が 戯曲、説法、演説などの例で紹介されているが、 たとえば最初に、「一人ゼリフ」の 「独白(モノローグ)」や「傍白(アサイド)」との違いが説明されているように、 「一人ゼリフ」では、ほかの登場人物もいて 聞こえていないわけでもないが口をはさまず、 しかも相手に喋っている以上に自分に喋っているがゆえに 「会話はあるのだけれども、会話が交わされているわけではない」。 その「会話」で「「主張・説明・報告」などがされるのである。 ちょっと短くは説明しがたいが、 日本語においてはともすれば貧しくなってしまいがちな「一人ゼリフ」を 豊かにしていくためのヒントが示唆されている。 そして第四章は、「方言こそ日本語のお宝だ」。 「会話の文章だけがもたらした豊かな日本語の成果がここにある」とあるが 本文にもあるように<私たち日本人は方言で文章を書けない>のである。 方言が書けるのは「」のなかにくくられる「会話」や 口頭で語られる芸術の台本や語りによる文芸などだけなのである。 このことには注目してみる必要がある。 私たちが書いている文章というのは、 明治以降にさまざまにつくられてきた標準語的文章語であって、 そのなかには方言による「会話」が排除されている。 そのことに気づくとき、私たちがこうして書いている文章が また違って見えてくることがわかるのではないだろうか。 たとえば、論文などを大阪弁で書くことをイメージしてみる。 まるで筒井康隆ばりの小説の設定のようであるが、 実際のところそういう文章で論文を書くことはできない。 このことに関しては、以前、司馬遼太郎と陳舜臣との対談だったかで 話題にされていたことがあったように思う。 この章の最後に「隠れ方言」、つまり 橋田壽賀子が大阪弁を、井上ひさしが東北弁を 共通語に翻訳しているのではないかという示唆があるが、 思考方法やその表現がその自分のいわばネイティブ語に 依存しているというのはあるのかもしれず、 それが共通語というアウトプットにも個性として表現されているというのは 注目されてよいことなのかもしれない。 この本の魅力は豊富な文例にあって、 これらを読んでみるだけでも十分に魅力的だと思うが、 本書の「おわりに」で示唆されている問題意識が その背景にあるということは意識されていたほうがいいかもしれない。 その問題意識とは「メール」である。 日本人がこんなに大人数、こんなに多量の文章を作り出している時代はない。 その文章はほとんどすべて、社内文書からケイタイに至るまでの<メール>で ある。 そしてメールの文章をみるとわかる。これは書きことばではない。しかし話 しことばでもない。そのどっちともつかない文章、まさに<書き=話しことば> (略)。手近にあるメールをちょっと読んでごらんなさい。すぐ納得するはず だ。いまやメールの文章が日本人の国民語なのである。 イヤでもどうでも仕方がない。現実を直視すればこのメールの文章をすこし でも豊かな日本語にしてゆかねばならない。そのためには従来のような日本語 論義だけではどうも有効ではないのではないか。日本人の文章軌範はもうそろ そろあの「文書読本」から離れていいのではないかと思うようになった。 もちろん、今書いているこの文章も「メール」にほかならない。 どうすればこの「日本語」を豊かにすることができるのか。 そのことに無自覚でいることはやはりできないのだろうと思う。 |