2003

 

何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか


2003.3.27

■SIGHT VOL.15 SPRING 2003
 「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」
 (ロッキング・オン・ジャパン増刊/平成15年4月19日発行)
 
宮崎駿への渋谷陽一ロング・インタビュー
『風の帰る場所』をご紹介したときにもふれたことがあるのだけれど、
4月7日、手塚治虫の生み出した「アトム」の誕生日を間近に、
手塚治虫とヒューマニズムの関係について、
「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」という特集が組まれた。
もちろん、渋谷陽一による。
力が入っていていて、熱が伝わってくる特集である。
 
        未来、希望、ヒューマニズムといった言葉の洪水のなかに、本当の手塚治虫は
        いなかった。一種の手塚批判ともいえた宮崎駿の発言ーー社会的には物議をか
        もしたが、僕が納得できた数少ない追悼の言葉だった。あの宮崎発言には、手
        塚への確かな愛があり、リアルな表現者としての手塚が存在していた。すでに
        いろいろなところで語られ始めている手塚論、あるいはアトム論は、僕が危惧
        したとおり、本来の手塚、本来のアトムとは距離のあるものばかりだ。そこで
        本誌は、あえて「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」という挑戦的な
        タイトルで大特集を組んだ。
        手塚は生前頻繁に、自分にとってアトムは代表作でない、好きな作品ではない、
        本来のメッセージが世間に伝わっていない、そしてアトムというキャラは好き
        ではない、とまで発言している。…安易な手塚→アトム→ヒューマニズムとい
        うフラットな連想パターンもより一般化してしまった。いうまでもなく手塚は
        希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である。
        …
        手塚に限らず、大きな才能を持ち、大衆的な人気を誇る表現者が、メディアに
        よって矮小化され、そのメッセージが口当たりの良いヒューマニズムへと歪曲
        化されていくのは、これまでもよく見られた傾向である。
 
メディアは、わかりやすい単純な構図でなんらかのメッセージを伝えようとする。
善か悪か、戦争か平和か、希望か絶望か、など。
もしくは、視聴率や購読者をアップさせるために
節操のない捏造や隠蔽、過剰演出、単純化なども行なう。
受け取る人が多ければ多いほど、そのフィルターは大きくなりがちである。
そして、人はひとりでいるときにもっとも賢者であり得るが、
多数になればなるほどすべてが単純化、歪曲化、卑小化されていく傾向もある。
 
手塚治虫の作品は、たとえそれがヒューマニズムとともに語られたとしても、
そしてメディアが、そして素朴な読者がいかに強力に
自分のフィルターを被せたとしても、
そこにはカオスのような生々しさが伝わってくるところがある。
フィルターを手放してみるだけでそれは自ずと伝わってくる。
 
どんな作品もまた情報もそうなのだけれど、
それは作品及び情報と受容者との相互作用によって
なんらの意味がそこに生まれてくることになる。
もちろん作品や情報の質が稚拙であれば
その相互作用にはおのずと限界が生じてしまう。
 
さて、今度のSIGHTには、チョムスキーなどによる
「アメリカの正義が世界を壊す」という特集も組まれている。
 
今度のイラク戦争がらみのことでもあるのだけれど、
このところ興味深く思っているのは、
メディアのあの単純でルーティーンなメッセージにおいて、
しかも報道を道具に使おうという双方の在り方のなかで、
メッセージを単純化しょうとすればするほどに、
その情報の隙間からいろんなものがこぼれおちてくるということである。
 
注意深く見てみるだけでも、
伝えたいというメッセージには乗らない
さまざまなものがそこにはカオスのように見えてくる。
なにかを単純に伝えようとすればするほど
(注意深くありさえすれば)
事態はまるで単純じゃないのが見えてくるし、
伝えようとするものが何で、
そこからずれてきてしまうものが何かも見えてくる。
単純にいえば、正義だ正義だといえばいうほど、
そうでないものが見えてきてしまうということ。
だから、戦争反対!といえばいうほど、
そうでないものもまた見えてきてしまうことになる。
 
おそらくこれまでの戦争とかなり異なってきているのは、
そういう視線が全世界的に可能になってきているということなのではないだろうか。
そういうなかで、アトムがどのように伝えられるかが興味深い。
朝日新聞は、「アトム宣言」なるものを募集し、そのキーワードは
「友情」「ロボット」「宇宙」「未来」「科学」「平和」「勇気」だそうだが、
そういう「アトム宣言」からこぼれ落ちてくるもの、
「宣言」をすればするほど見えてきてしまう、そうでないもの、を
しっかり見ようとすることが必要なのだろう。
 
 

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