■西崎憲『世界の果ての庭/ショート・ストーリーズ』 (新潮社/2002.12.20発行) 変な話である。 話の始まりはとくにこれといった特別なものではない。 日本の女性作家とアメリカの日本近世文学研究者との恋の話のはじまり・・・。 しかし、イギリスの庭園や江戸の辻斬り、脱走して不思議な世界にさまよい込んだ話や 家出して数年後に戻ってきて若くなる病気になった母の話など 謎のような話が不思議な関係性をもちながら平行して続き、 それらの謎が最後にひとつに収斂して解けるのかと思いきや、 謎が解けたような、ある結果に落ち着いたような、そんな流れのなかで、 不思議な宙づり状態のままで「終章」を迎える。 この作品は、すっかり定着した感のある新潮社の「日本ファンタジーノベル大賞」の 第14回「大賞」を受賞した作品。 作者は、チェスタトンやヴァージニアウルフ、マンスフィールドなどの翻訳者でもあるらしい。 とはいえ、西崎憲という名前は初耳である。 当初「ショート・ストーリーズ」というタイトルだったようだけれど、 単行本にするにあたって、「世界の果ての庭」とし、当初のタイトル副題になった。 「世界の果ての庭」というのは読んでみてあまりぴんとこない、 (庭園についての話はこのストーリーのおそらくは縦糸になっているのだろうけれど) やはり「ショート・ストーリーズ」なのかなという感じもするが、それだけでもない。 わりとするすると面白く読めるものだから、 隠されている仕掛けを読み落としているかもしれず、 もう少し読み込んでみる必要もあるのかもしれない・・・。 この変な話は、ひとつひとつの流れのストーリーは それなりにふつうの、というか、とりたてていうほど変な話でもないのだけれど そしてそれぞれがそれなりのスタイルで面白く読める。 そのストーリーの流れの流れの収斂の仕方が独特なのかもしれない。 そしてそれが、ぼくにこの話を「変だ」と思わせるのかもしれない。 すべてが謎のような謎でないようなものの宙づり状態のまま不思議な余韻を残す話。 扉にこんな言葉がある。 「しかし、その空間を精妙で美しい思念によって支配するものが何か、 わたしはまだ考えていないのです」 ひょっとしたら、この物語空間を「支配するものが何か」、 「まだ考えていない」のかもしれない・・・と思ったり(^^;)。 しかしそれにしては、不思議なある「思念」を予感させたりもする。 こういう話を読むと、こういうスタイルのストーリーを 自分というストーリーをめぐって展開していくこともできるということがわかる。 そしてぼく自身という物語空間を「支配するものが何か」を考えてみる。 それはおそらくこの作品のようにさまざまな流れを平行して持ちながら、 収斂するようで収斂していかない河の流れのようになっていく。 ところで、この作品には富士谷御杖、皆川淇園といった江戸時代の思想家のことや 根岸鎮衛という人の『耳嚢』というお話のことがでてくる。 ぼくには初耳だったのだけれど、こうした人物などについて 思いがけず知ることになったのもこの作品を読んだ収穫のひとつである。 西崎憲は1955年生まれで、これまで音楽制作と翻訳に携わってこられたようなので、 西崎憲という人の懐にあるであろう、これまでに収穫されてきているでらろう いろんなもののお裾分けをしていただけるようでうれしい。 西崎憲の作品は、ひょっとしたらこれからどんどん面白くなっていくのかもしれない。 そんな予感を抱かせる。 次の作品はいったいどんな作品になるのだろうか。 |