小沢牧子『「心の専門家」はいらない』


2002.3.20

 

■小沢牧子『「心の専門家」はいらない』
 (洋泉社/2002.3.20発行)
 
「心のケア」「心理治療」「カウンセリング」とかいうことが
あまりにも世の中にあふれかえっているなかで、
そういう現象を疑問視する視点を提示するものがどうしても必要だと思っていたので、
それらの持つ諸問題を扱った本書が、
コンパクトな新書のかたちで出たのはとても意味のあることだと思うので、
ご紹介してみることにした。
 
著者は、臨床心理学に長く携わってきたが、
その学に疑問をいだくようになり、その問題性について考えて続けてきたという。
 
         わたしの現在の立場に向けて呈される質問は、大別して二つある。一つ目は、
        「あなたが疑問を持ったとき、どうしてもっと良いカウンセリングを追求しよ
        うと思わなかったのか」というものである。これには「改良という問題ではな
        いことがわかったから」と答える以外にはない。人と人との関係に心理学的技
        法を持ち込むこと自体が問題を生んでいる。なぜならこれらの技法と論理に問
        題の根があるからだと自覚すれば、改良の発想と縁がなくなるのは自然なこと
        である。極端な言い方だが、「より良い戦争」がありえないのと同様の論理だ。
         人と人との関係に、カウンセリングや心理テストをなぜ介在させるのか、な
        ぜそれを当たり前のことと考える社会が出現しているのか、使わないで暮らし
        ていくためにどのような道筋があるのか。その問いのなかに「より良いカウン
        セリング」への関心が入り込む余地はなかったし、いまもその種のテーマにわ
        たしはまったく関心がない。ピア・カウンセリングと呼ばれる対等性を強調す
        る立場や「親業」なども広まっているようだが、それらもまた不自然な技法や
        「する側」の養成講座、資格などを介在させて、人と人との関係をやさしくも
        つれさせていくものだと思っている。
        (P14)
 
かつて、いわば「心」は商品化されるようなものではなかったはずなのだけれど、
1980年代の後半頃から、「心」のマーケットが急速に広がっていくことになる。
「精神世界」の大衆化とでもいう現象も同時並行して急速に広がっていく。
そして、昨今の「癒やし」ブーム。
そこにさまざまな人たちが群がりながら大きなマーケットを形成するようになっている。
 
         カウンセリングを受けたい人ばかりではない、カウンセラーになりたい人、
        「心の専門家」志望者がじつに多い。受けたい人よりなりたい人のほうが多い
        のではないかとすら感じるほどの増え方である。そのなかのひとりが正直に述
        べていた。「自分がひとりになるのではないかと怖い、でもカウンセラーにな
        れば相談にくる人がいつもいて、ひとりになることはないだろう」。受けたい
        人もなりたい人も、その背景に臆病さと孤独への強い不安を抱えている。日常
        の関係に目を向けることを避けた「心の専門家」依存と救済願望は、ここでも
        悪循環を生み出していく。
        (P38-39)
 
癒やしてあげたい、というのも、自分が癒やされたいということであって、
そういう人たちは、それにまつわるグッズなどやカウンセリングなどの療法などを介して
「ひとり」にならないための依存関係を蜘蛛の巣のように張りめぐらせている。
そして自分の「日常」の生々しさから目をそらせて、
ある癒やしにあきたり、絶望したりしながら、
次から次へと依存関係のなかを遍歴することになる。
宗教団体や精神世界やカルチャーセンター的なワークショップなども、それと同じ。
ひとりでいられない人が互いにハンド・イン・ハンドしながら、
「この手をはなすんじゃないぞ!」と顔では笑いながら、
その実、冷や汗をかいて恐れている風景が浮かぶ(^^;。
 
おそらく、かつて日本という場を根底で支えていた
ある種の関係性が壊れてしまうようになって以来、
そうした「なにかに依存していなければひとりではいられない」現象が求められていたなかで、
マスコミなどの「心の時代」の呼びかけに答えて、
「心の商品化」が急速に進んできているのだろうと思う。
 
そういう「心の商品化」に乗らない場合でも、
今度は「古き良き日本」や「日本のアイデンティティ」とかを求めて、
過去向きの共同体指向を目指そうとしてみたりする。
 
結局のところ、かつて無意識に足を上手に動かしていた百足(ムカデ)が
いちど自分の足の動きを意識しようとしたとたんに、上手に歩けなくなったわけで、
それをかつてのような状態に戻りたいと思ったり、
人にその足を動かしてもらいたいと思ったりしても、それは困難で、
やはり地道に自分の足を訓練しながら
よちよち歩きから始めるしか方法はないのではないかと思う。
 
 

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