コピーのぜんぶ・仲畑貴志全コピー集


2002.3.6

 

■コピーのぜんぶ
 仲畑貴志全コピー集
 (宣伝会議/2002.3.6発行)
 
糸井重里ほどお茶の間では有名ではないかもしれないけれど、
コピーライターといえば、仲畑貴志を忘れるわけにはいかない。
その、熱のあることばたち。
 
コピーは商業活動のための表現なのだから、
コピーライターの個人的な表現ではない、
というのは確かなのだけれど、
そう杓子定規にいえるものでもない、ともいえる。
 
こうして一冊に集められたコピーを読むと、
「ヒトのこころに訴える力という点で見れば、ラブレターと変わらない」
という仲畑貴史のことばに素直にうなずけてしまう。
 
ぼくはコピーもちょっとは書くプランナーではあるけれど、
コピーライターといえるほどのコピーを
ぼくの性格からしても、能力からしても、
決して書けないのは自分でもわかっている。
でも、日々広告制作に携わっているなかで
ときおり、う〜むむむとうならされてしまうコピーに出会うと、
そういう言葉の使い手にやっぱり少しだけ嫉妬してしまったりもする。
 
ここには、嫉妬させられるに足るだけのコピーが
まるで長編小説のように、ではなく、
ごくごく短いショートストリーの群のように集められていて、
(なにせひとつひとつに物語が見えてしまう)
こうなるともはや嫉妬ではなく、
ただただ、いい話をきく、いい話にであえて喜んでいるような、
そんな自分だけがいたりもする。
 
コピーライティングというのは、
商業活動のための表現だというのは原則だけれど、
それにもかかわらず・・・というよりも、
その企業なり商品なりというストーリーの主人公があるからこそ、
それをめぐる物語にある不思議な広がりがでてくるのかもしれない。
読者はその表現をはんぶんくらいは眉に唾をつけちょっと距離をとりながら、
(だって、企業がお金をだしてだしている広告なのだから)
それでもそれをちょっとだけなるほどと思ったり、
へへへとかいって笑ったりしているわけである。
俳句とか短歌とかに比べたときの違いもそこにあるのかもしれない。
その言葉に対したときの私たちの意識の場所というか。
 
*
ところで、仲畑貴志のコピー、どんなか、ご存じですか。
知らない人は、本屋さんで立ち読みでもしてみてください。
そのうち気に入ったら、本棚に一冊あっても困らない本だと思います。
何かお話を読みたくなったけど、なにを買ったらいいか迷った人にも、おすすめです。
 
でも、ちょっとだけ(というのがむずかしいんだけど)、
目にとまったものをご紹介することにします。
 
        好きだから、あげる。(丸井)
 
        おしりだって、洗ってほしい。(TOTO)
 
        ウォークマンと呼べる、ウォークマンは、ウォークマンだけです。(SONY)
 
        昨日は、何時間生きていましたか。(PARCO)
        
        どんな無法者でも、口ずさむ歌を持っている。(BIG JOHN)
 
        少年Aと、呼ばれた奴さ。(沢田研二アルバム)
 
        おかあさんは、もう許しませんから。(い・け・な・いルージュマジック)
 
        知性の差が顔に出るらしいよ……困ったね。(新潮文庫)
 
        信頼という言葉が、広告ではよく使われるけれど。
        まずホントかなと疑ってみる。(住友林業)
 
        私は、あなたの、おかげです。(岩田屋)
 
 

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