河本英夫『メタモルフォーゼ』


2002.12.31

■河本英夫『メタモルフォーゼ』(青土社/2002.10.8発行)
 
        現在のシステム論は、創発の機構を取り出そうとしている。創発は、新たな性質や
        事柄がおのずと出現することである。ここでは考え方や視点ではなく、むしろ経験
        や行為の動かしかたが問題になる。とりわけ自分自身を作り変えてしまうほどの変
        化が、メタモルフォーゼである。本書では、ことに感覚、行為、連続、運動を中心
        にして創発の機構を考案している。創造性や創意工夫のための手掛かりを全面的に
        取り出すために、オートポイエーシスを基礎にしながら、オートポイエーシスを実
        行するためのもう一つ別の回路を考えてみた。(P319)
 
この本は、以前goetheさんからご紹介いただいたのがきっかけで読み始めたのだけれど、
読み始めてみるとこれが思っていた以上に興味深い。
「メタモルフォーゼ」という言葉そのものが、
前々からぼくにとってはひとつの重要なキーワードだっただけに、
こここで論じられているさまざまから多くを触発されることになっている。
 
「ホメオスタシス」「自己組織化」「オートポイエーシス」という観点については
興味をもっていておりにふれて見ていたのだけれど、
どうもそれだけではいまひとつピンとこないところがあった。
それがこの「メタモルフォーゼ」をテーマにした本書によって、
ぼくのなかでなにがしかのイメージを結び始めたらしいのである。
 
本書の帯のキャッチに「日々新たな自己になるために」とあるのだけれど、
それがこれまでに自分なりにイメージしていた「メタモルフォーゼ」と重なった。
そういえば孟子だったか「日に新たなり」とかいうのがあった。
孟子が必ずしもぼくの趣味にあっているというのではないのだけれど、
常にこの自分という存在を過去向き、もしくは停滞させないで
新たなものに変容させ続けていきたいと願っているのもあって、
そういう観点に、できればシュタイナーの宇宙観、人間観あたりを
重ね合わせてみたりもしてみたいとも思っていたりする。
 
さて、おそらく世界で最大の謎というのがあるとすれば、
それは「世界がなぜ存在するのか」ということになる。
この問いはそもそも矛盾そのものでもあって、
存在するものそのものがなければそういう問いはでてこない。
いわば「一者」がいてその「一者」を問う者がいるということ。
また、この多様な世界が存在しているということ。
そうしたことを考えはじめると、かなり短絡的にはなるが、
自分で自分を生み出すということ、
しかも自分で自分を変容させていくということ、
そういうことの可能性に思い至る。
 
究極の問いというほどのものではないものの、
こうして自分が存在していて、
その自分が新たな自分になるということにおいて、
自分で自分に働きかけ続けているということ、
その謎はぼくにとっては常にもっとも大きなテーマになっている。
 
なぜぼくはこうしてぼくとして存在していて、
しかもただ存在しているというだけに満足しないで、
つねに何か今のぼくではないものへと向かおうとしているのだろう。
しかもその志向そのものがぼくそのものともなっている。
まさにぼくはつねにぼく自身を「メタモルフォーゼ」させようとしている。
おそらくそのためにぼくはぼく自身をつねにリフレクションせざるをえない。
そのリフレクションは単なる反射ではなくて、
そのリフレクションそのものがなにかをつくりだす運動になっている。
 
そのことで思い至ったのは、シュタイナーが、
自我がアストラル体に働きかけて霊我が、エーテル体に働きかけて生命霊が、
そして肉体に働きかけて霊人が生じる、といっていることである。
ぼくがぼく自身に働きかけて変容させていくこと。
そういうプロセスとしての宇宙進化。
なぜ今この地球紀において「自我」が重要なのかということも
その「メタモルフォーゼ」の主体としての自我の働きを抜きにしては考えられない。
 
もちろんこの河本英夫の著書でそうしたことが論じられているわけではないのだけれど、
読み進めるなかで、さまざまなことを連想していくのも
本書を読むひとつの楽しみなのではないだろうか。
 
ちなみに、河本英夫には、この『メタモルフォーゼ』以前に、同じく青土社から
『オートポイエーシス/第三世代システム』、『オートポイエーシスの拡張』という著書がある。
 
 

 ■風の本棚メニューに戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る