池田清彦『他人と深く関わらずに生きるには』


2002.12.28

■池田清彦『他人と深く関わらずに生きるには』
 (新潮社/2002.11.30発行)
 
人間はいわば社会的動物だといわれもするように、
もとより他人と関わらずに生きていけはしないのだけれど、
人を気にしてばかり生きる人がとくにこの日本には多いようで、
夏目漱石ではないが、なんだかだで、とかくこの世は生き難い。
そういう意味でも、こうした「他人と深く関わらずに生きる」というような
一見逆説的にも見える発想をつねにもっておくというのは
とても大事なことなのではないだろうか。
 
         他人と深く関わらずに生きる、とは自分勝手に生きる、ということでは
        ない。自分も自由に生きるかわりに、他者の自由な生き方も最大限認める
        ということに他ならない。…
        「車もこないのに赤信号で待っている人はバカである」とか、「心を込め
        ないで働く」とか、「ボランティアはしない方がカッコいい」とか、真面
        目な(だと思っている)人が聞いたら、目をむくような項目が並んでいる
        が、真面目な人の神経を逆なでしようと思って書いたわけではない。他人
        と深く関わらずに生きるためには、とりあえずは世間という呪縛から自由
        になる必要がある。
        (P3)
 
池田清彦は、生物学者で、たとえば養老猛司、奥本大三郎とともに、
「三人よれば虫の知恵」(新潮文庫)という鼎談集もあるように、大の虫好き。
そういう人が、たとえば「正しく生きるとはどういうことか」などのような著書もある。
「正しく生きる」とかいうと、道徳書のようにもイメージされるのだけれど、さにあらず。
むしろ、「道徳や倫理が嫌いな生物学者」として、
真に自由に生きるためにはどうすればいいのかを論じているのである。
そうした著書の展開のひとつとして本書が書かれたらしい。
 
帯に「よけいなお世話は、やめてくれ!」とあるが、
世の中には、「よけいなお世話」をしたがる人と
それを求めている人たちが跳梁していて、
そうした需給関係のなかだけではそれはそれで結構なのだけれど、
「よけいなお世話」をしたくもほしくもない人が
生きにくくなってしまうのはやはり困る。
 
ぼくのばあい、本書で書かれてあることのほとんどは
逆説ではなくて、そうとしか思えないことばかりなのだけれど、
ひょっとしたら本書で書かれていることは、上記の引用にもあるように、
「真面目な人の神経を逆なで」してしまうこともあるのかもしれない。
 
しかしそういう「真面目な人」というのは、往々にして、
「自分も自由に生きるかわりに、他者の自由な生き方も最大限認める」、
というのではなく、自分も自分の自由を制限するかわりに、
他者の自由な生き方も認めない(理解できない)ことが多いのではと思える。
おそらくほんとうに「真面目な人」というのは、
「神経を逆なで」なんかされないほど自由な人のはずである。
ほんとうに純粋な人というのは、子どものようなプレの純粋ではなく、
いろいろ不純さも通り越した上での自由意志による純粋さを持っているように。
 
そういう意味では、本書で論じられてあるさまざまな事柄に
ひょっとして「神経を逆なで」されるとしたら、
それをきっかけにして、他者理解の可能性を広げられるだろうし、
それを通じて「自分も自由に生きる」ためのステップになるはずである。
少なくとも「よけいなお世話」かどうかを考えはじめるるようにはなると思う。
 
少しばかり極端にも見える書き方をしてしまったかもしれないが、
本書を読めばわかるように、ここに書かれてあることは
けっこうまともなことばかりで、素直に読めばそんなに極端なことではないし、
けっこう面白い提案がたくさんなされているのがわかる。
 
本書の最後にこうある。
 
         ヘソ曲がりもいる。天邪鬼もいる。無闇にお人好しの奴もいれば、
        他人と余り付き合いたくない奴もいれば、ヘンタイもいる。そういう
        すべての人にとって等しく住み良い社会を作りたいという、私の構想
        は、所詮は見果てぬ夢なのかもしれないが、一歩でもそれに近づくこ
        とは可能だと信じたい。
 
ぼくもけっこうなへそ曲がりなので、
そういうぼくのような人間が生きやすい社会になればいいなと
いつも思っていたりする。
みんながそうならなければならない、というような
困った「よけいなお世話」が少しでも少なくなればいいのだけれど、
なんだか、日本人はこうあるべきだ、○○はこうあるべきだ、とかいうのが
最近はどうも亡霊のように跳梁している向きもある。
そういう意味でも、少しはそれに抵抗したい池田清彦のような人がいるのだなと
思えるだけでも少しは希望がでてくる。
 
 

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