内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』


2002.12.21

■内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』
 (木世出版社 木世文庫014/2003.1.20発行)
  *この「木世」は木編に世で一文字。「えい」と読むそうです。面白い。
 
写真を趣味にしているというのではとくにない。
ライカも使ったことはない。
自分で現像したことも数えるほどしかなかったりする。
撮影のディレクションなどをすることもあり、
仕事柄カメラマンの知人は多いし、その話を聞いたり、
ついでに作業を手伝ったりすることなどはよくあるのだけれど。
 
今年出たザ・フォーク・クルセダーズのアルバムにある
新曲らしい「ライカはローリングストーン」(松山猛作詩・加藤和彦作曲)が
坂崎幸之助の吉田拓郎や泉屋しげるの声真似などもふくめてとっても気に入っていて、
それで「ライカ」が気になったのかもしれない。
「ライカはローリングストーン」はもちろん
「ライク・ア・ローリングストーン」をもじったものだろう。
 
内田ユキオは、主にライカでモノクロの写真を撮っているらしい。
黒と白だけの「色」のない世界。
その「日々」が写真とエッセイで静かに語られる。
 
いわゆるシュタイナー教育とかでは、
モノクロというのはあまり評判がよくないようだけれど、
書道などはほとんど墨だけであの世界が現出してきたりする。
色には色のまさに多彩な世界があるのだけれど、
ときにこのモノクロ写真にあるような無彩の世界のほうが
より深いものを伝えることができることがあるように思う。
モノクロ写真をカラー分解するとそのモノクロにさらに深みがでるのを使って、
モノクロ写真にたとえば赤のコピーや赤の薔薇などを合わせたデザインなどもあるが、
ひょっとしたらモノクロのなかにはすべての色が含まれていて、
それが色を超えたなにかを表現しえているところがあるのかもしれない。
そういう意味では、色を否定しているのではなく、
色を超えようという衝動でもあるようにも思う。
逆にいえば、モノクロの世界から色が分かれてくるとでもいうか。
 
本書のなかでも「いつでもいちばん青い空」の章で、
そのモノクロの世界のそうした部分が書かれてあって
ライカとモノクロの世界にいる著者の思いがじーんと伝わってきた。
 
        「ネパールの空が青くて」と言われたら、想像のなかではベルビアに偏光
        フィルターを使ったよりもずっと青い。きれいなカラー写真を見ると、次
        からはその美しさが基準になってしまう。そしてもっときれいな空を求め
        てしまう。当たり前のことだけれど、いつだって前より青い空を見せられ
        るわけではない。どんなに鮮やかに写しても、誰かが次にもっと青い空を
        撮るだろう。有名なカメラマンでも、その勝負に勝ち続けることはできな
        い。
        小説の良いところって、「その空は私が今までに見たどんな青空とも違い
        ました」と書けば、いつまでもいちばんでいられることだ。想像力を味方
        にできると強い。「彼は100メートルを10秒で走った」と書くより、「彼
        のタイムはこれまでに誰も記録したことのない速さだった」と書くほうが
        普遍なのは言うまでもないが、写真で同じようにするのは簡単ではない。
        (…)
        青空はモノクロ写真では濃い灰色で再現されることが多い。それを見て我
        々は理想の青空を思い描くことができる。世界でいちばん青い空は、心の
        なかにあるのだ。これから先もフィルムが発達し、フィルターが進化して、
        カラー写真で現実を超えるような青空が見られるだろう。それでもモノク
        ロ写真の灰色の空は、どんなに鮮やかに撮られたカラー写真の空よりも、
        いつだってほんの少し青い。
        (P55-57)
 
具体的な対象のある世界はとらえやすいが、
それだけではその世界を超えた世界を体験することはできない。
仏教の般若経系の経典などで「色即是空空即是色」といわれるように
「色」の世界、「色界」はまさにこの地上世界のことであって、
それが本来は「空」、つまり霊的なものなのだというのだが、
人はここにあるように「想像力を味方」にして、
つまり思考力を育て対象のない世界を表象することによって、
即物的な対象のある世界を超えていくことができる。
 
 

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