■丸谷才一・山崎正和『日本語の21世紀のために』 (文春新書288/平成14年11月20日発行) プロフィールをみると、丸谷才一は1925年生まれ。 すでに77歳になっている。 ぼくが丸谷才一という名前をはじめて知ったのは、二十歳の頃、 ジェイムス・ジョイスの訳者としてだったのだけれど、 その頃は50歳くらいだったと記憶しているので、 そういわれればそうなのだけれど、 長く頑張っておられるのだなとあらためて脱帽。 ちなみに、山崎正和は1934年生まれで68歳。 その著書である戯曲『世阿弥』をはじめて読んだのも同じ頃のこと。 この方もほんとうに息長い方だなあと思いながら、 実際のところ、そんなに期待するほどではなく、 昨今たくさんでている日本語論の一冊という感じで 本書を読み始めたのだけれど、 この両者ならではの広汎でしかも多面的、 しかも決して偏らないにもかかわらず、 こびず問題意識を打ち出している確かな視点に 感心させられることしきりだった。 こういう新書という限られた分量のなかに、 よくこれだけの内容を対談でおさめられたものだと思う。 本書は、「言語の時代としての二十世紀」、 「現代日本人の日本語への関心」、「日本語教育への提案」 という三つの章で構成されているが、 それぞれの章におさめられている内容は、読んでいるとき以上に、 ボディブローのように後で効いてきているように感じる。 ふと思い出してそのテーマを自分のなかで あらためて広げてみたくなる事柄がたくさんあるのである。 ところで、ぼくも漠然と感じていたことで、 この両者が指摘していて、そうそうそうなのだ、 ととくに思ったところがあるので、それをご紹介することにしたい。 丸谷 斉藤孝さんの『声に出して読みたい日本語』(草思社)が大変 評判になって、売れていますね。日本語ばやりの火付け役でしたが、 僕は彼の意図は面白いと思います。ただ、国語教育で生徒が非常にい やがる要素がある。それは、倫理教育になるってことなんですよ。 (…) 一種、偽善的な感じになるんですよ。斉藤さんの本を読むと、斎藤さ んは、感動させる文章でなきゃならないと考えている。感動させたい。 感動させるなら倫理的に感動させるのがいいというのが主調になって いるように思われるんです。僕は、これはかなり難しい問題だなあと 思いました。 (P152-153) これはほんの一例なのだけれど、 やはりこうした鋭い視点がしっかりと盛り込まれているあたりが、 おざなりな日本語論とは一線を画しているように思われる。 さて、これまでこの両者による対談は数多く行なわれているそうだが、 ぼくとしては本書ではじめてその相性の良さを知ることになった。 書店で見てみると「日本史を読む」(中公新書)というのも 比較的最近の試みとしてでていたので、そちらも興味深く読んでいたりする。 |