米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』


2002.11.6

 

■米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』
 (集英社/2002.10.10.発行)
 
はじめにそのタイトルを見たときに興味をひかれたもののそのままになっていたのを、
東京FMの朝の番組でも先週の月曜日から金曜日までインタビュー番組があり、
(その声がとても魅力的で毎朝楽しみにしていた。
やはりあのロシア語の持つ特有の発声の影響もあるんだろうという気がする)
しかも同時に「ほぼ日」でインタビュー記事が掲載されはじめていて、
(今も毎日『言葉の戦争と平和』というのが読める)
この新刊のことを思い起こして読んでみようと思い立った。
どうやらこの著書、かなり話題になっているようである。
増刷されるまでは書店でほとんど手に入らない状況になっているらしい。
幸いなんとかネットで検索して大型書店に在庫が一冊だけあるのを探し当てた。
 
米原万里といえば、すでに4年以上まえに、
ロシア語の同時通訳者としてのエッセイ集『不実な美女か貞淑な醜女か』が
新潮文庫の新刊ででたときに購入したままになっていた。
『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んでみて、
やはりそのときすぐに読んでおくべきだったと後悔先に立たず。
遅まきながら、調べてみるとけっこうたくさんでているエッセイなど、
手当たりしだい読み始めようと思っているところ。
 
上記のラジオ番組でのインタビューで興味をひかれたのが、
チェコスロバキアというかつての共産圏での教育と日本の教育との相違について。
東京で生まれ育った米原さんは、小学校3年から5年間、
すべてロシア語で授業されるプラハにあるソビエト学校に通ったということなのだけれど、
帰国後、日本の○×テストにカルチャー・ショックを受けたという。
 
共産圏だから画一的な教育がばされているかのような印象を受けるかもしれないが、
むしろ日本のほうが、画一的でバラバラの知識を丸暗記させられるだけの教育。
答えが一つしかないような○×式か選択式のテストが中心というのもそれ。
ずっと日本にいて教育をまがりなりにも受けてきたぼくでさえ、
その正解が一つ、しかも丸暗記式の教育には反発しかおぼえなかったのだから、
(記憶力と協調性に乏しいということも多々あるが(^^;))
自分なりに考えるとむしろマイナスになるような在り方には
戸惑いしか覚えなかっただろうという気がする。
 
しかしそういうカルチャー・ショックゆえに、
文化や社会、言語などを相対化してみることのできる視点が養われ、
米原さんのその後の活躍が準備されていったともいえるのかもしれない。
 
カルチャーショックといえば、本書を読み進みながら、考えざるを得ないのは、
あの夥しい粛清者の出たスターリン体制などについて。
ストーリーにどう関わるかを説明する余裕はないのだけれど、
どうして人間はこういう愚かな魔女狩り的な行動を繰り返すのか。
これほどまでにエスカレートする形で…。
 
そのことはたとえば『魔女の1ダース/正義と常識に冷や水を浴びせる13章』
という著書でもクローズアップされているのだけれど、
おそらく人は「隣人を愛する」ということのむずかしさを学んでいるのかもしれない。
その一つの解決法?としておそらく日本の画一的教育もあるのではないか。
つまり差異を隠蔽してみんな同じであるかのような幻想のなかで生きる教育。
「隣人」との違いを前提とするのではなく、その違いを見ないですませる在り方。
そういうなかで、いかに個性を大切にといったところで
ただの標語にすぎないのはわかりきったことなのに…。
 
ところで、本書で出会う「オリガ・モリソヴナ」という個性には
読後も深い感慨をもって思い起こさざるをえない。
その個性をかいまみさせてくれただけでも大きな収穫だといえる。
 
というところで、今朝も出勤間近、時間切れになってしまったので、
コメントしたいことはたくさんあるのだけれど、このへんで。
 
 

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