なだいなだ『神、この人間的なもの』


2002.9.24

 

■なだいなだ
 『神、この人間的なものーー宗教をめぐる精神科医の対話ーー』
 (岩波新書806/2002.9.20発行)
 
なだいなだという人の文章をはじめて読んだのは比較的最近のことで、
『<こころ>の定点観測』(岩波新書)だったと思う。
わりと感じ方、考え方が似ている人だなという印象を持ったのを覚えている。
それで今回、精神科医として宗教についてどのようなアプローチをしているのか、
ひょっとしたらこんなのかもしれない、と期待しながら読んだところ、
その期待は幸いにも裏切られなかった。
なだいなだには神秘学的な視点があるわけではないし、
またなだいなだのような社会主義へのある種の親近感は
ぼくにはほとんどないのだけれど、それを別にすれば、
ぼくにしても、そういう視点をとることになっていたであろう
権威や権力や集団や宗教に対する視点がそこには確かにあり、
深い共感を覚えながら読み進めることができた。
 
この『神、この人間的なもの』は、同じ岩波新書ででている
『権威と権力ーーいうことをきかせる原理・きく原理ーー』(1974.3.28発行)、
『民族という名の宗教ーー人をまとめる原理・排除する原理ーー』(1992.1.21発行)の続編。
いわば三部作ともいえるだろうか。
 
とはいえ、そのことを今回の『神、この人間的なもの』で知って、
最初の二冊を遡って読んでいるところなのだが、
最初の『権威と権力』のでたのはぼくの学生の頃なので、
その頃こういう著書を知っていたら、
子供の頃からずっとこだわっていて、なかなか言葉にならないままでいたことを
このような形で問いかけている人がいるということだけでも、
どんなに勇気づけられたことだろうと思う。
 
でも、ひょっとしたら、こうした視点に
こうして共感できるということに意味があるのかもしれない。
これまでずっと自分なりに模索しながらあれこれ考えてきて
その軌道がぼくに近いものを見つけることができたということ。
それこそがひょっとしたらひとつの希望なのかもしれないのだから。
「自由」によって得ることのできる理念とでもいえるだろうか。
そういう意味でも、この三部作というのは、
これもまた『自由の哲学』のプロローグに加えることができるかもしれない。
 
この三部作にはぼくにとっては
すでに繰り返し同じ考えを辿ったことのある
さまざまなテーマがとりあげられているので、
自分での再確認の意味でもいくつかとりあげてみることにしたいと思っている。
 
 

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