■畠山重篤『リアスの海辺から』 (文春文庫/2002.5.10発行) 「リアス式海岸」という言葉を知らない人は少ないだろうけど、 その言葉の意味を知らない人は思いのほか多いのではないだろうか。 ぼくも知らない一人のほうで、本書を読んで始めてその意味を知ることになった。 「リアス」の意味は「潮入り川」で、 「リア」の語源は「リオ(川)」。 リアス式海岸のような入り組んだ湾は、海の波が削ってできたのではなく、 川が削った谷であって、地殻変動で地盤が沈降したため、 海がそこに入り込んでできたものなのである。 つまり、リアスの主役というのは川であり、 またその背後にある森があって、その森の養分を含んだ川の水が、 海の生物を育んでくれるというわけである。 だから、海を豊かにするためには、 そこに流れこんでいる川の水の源にある 森を豊かなものにする必要がある。 三陸で牡蠣や帆立貝の養殖をしている著者は、 そのことに気づき、「森は海の恋人」運動を始めることになった。 もう一度昔の海をとり戻そうと、一つの運動が湧き起こった。 気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に、漁民の手で広葉樹の植林を行い、 海を元気にしようというのである。また、それをきっかけにして、 大川上流の山の子供たちを海に招いて体験学習をしてもらう。 名づけて「森は海の恋人」運動である。 それは、私が昭和59(1984)年、フランスのブルターニュの海辺 に、牡蠣の養殖事情を視察にいったことがきっかけだった。 (…) 川の源は森。私はロワール川上流に足を運んでみた。そこには、思 った通り、山毛欅、水楢、胡桃、栗などの、広葉樹の大森林地帯が 広がっていたのである。それは、杉山に変わる前の三陸の森の原風 景であった。 広葉樹の森は海をも支配している。そのとき私はそう確信した。 (P3-4) この本には、海とともに暮らす人々の暮らしや智恵が、 著者の小さい頃からの生活体験とともにいっぱいにつまっていて、 まるでその話をそばできいているような気持ちになりながら読み進め、 そして、「街道をゆく」ならぬ「貝道」をゆく、ということで、 そのリアスという言葉の発祥の地であるスペインのガリシア地方の 森や川や海を訪ねる旅の話にまでつきあうことになる。 その発端は、ザビエルの像についていた帆立貝。 その帆立貝を追ってはるばる訪れたガリシア地方。 そこは、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の地でもあり、 そのシンボルもまた帆立貝なのだ。 海と森と川と。 その豊かさを東と西のローカルを結ぶ「貝道」から 驚きと感動のうちに実感される一冊。 |