■嵐山光三郎 『文人悪食』(新潮文庫/平成12年9月1日発行) 『追悼の達人』(新潮文庫/平成14年7月1日発行) 「食」と「死」から「文人」を見ていくのはかなり面白い。 生老病死を四苦というが、 四苦に対してどのような態度をとるかを見ると、 その人そのものが見えてくるというところもあるような気がする。 愛別離苦のような八苦も同様。 『文人悪食』にある、宮沢賢治に関する次の記述を読んだときなど、 その「食」に対する姿勢は両極にふれていたのだということもよくわかる。 釈迦にしても、出家以前と以後とではすべてが両極にふれていく。 そして「中道」に辿りつくことになる。 賢治は肉も食べたし、高級料亭にも出入りしたし、酒も飲んだ。 自ら醸造したワインを客にふるまった。天ぷら蕎麦と鰻が好物で あったことも、友人知己の回想に記されている。花巻の酔日とい う料亭で飲み、芸者とも談笑し、最高級レストラン静養軒へ通っ た。酒は弱いほうではなかった。常習的な喫煙者ではないが、学 校ではときどき高級煙草「敷島」やオゾンパイプをふかしていた。 その賢治が、かたくななまでの粗食にこだわり始めるのは、妹 としが死んだ年(賢治は二十六歳)以来である。(P352) なにごとにもいわばファナティックなまでになる賢治のこと。 食に関してもかなりなこだわりをみせているのは周知のとおり。 しかし、その「粗食」指向は単なる「粗食」指向ではなかったようである。 としを失って以来、賢治の食生活は「死の食卓」を幻視するよ うになる。食卓ばかりではない、風のなかに又三郎を幻視し、松 の根元では死の夢を見、切り倒された松を見ては松の死を共感し、 夜空をあおいでは死の」銀河鉄道を幻聴する。 (…) ビジテリアンの陶酔は、自らを「人間と畜生の間にいる修羅」 と見たてた賢治にとって麻酔的快感があっはたずである。賢治の 農業詩のどこを読んでも性的感応が潜んでいるのはそのためだ。 タマネギ畑が麻酔薬だ。まだ緑色のトマトの光のなかに賢治は生 の輝きと死を予感する。 賢治は性に関しても極端な禁欲主義者であった。そのかわり、 タマネギ畑で働くとき、吹いてくる風を膚に浴びて性的快楽を得 ている。食と性への極端な禁欲は、つきつめると畑と自然と山林 がその代償行為となる。 死とすれすれの地平で震える快楽は、生きながら無限に死へ向 かっていく。賢治は、その地平をめざし、後世の人は、それを 「純粋無垢の精神」と呼ぶのである。(P353-354) 禁欲というのは、快楽の反対である。 宗教の多くが禁欲を命じるのは、 快楽の反対にある快楽へと誘うためだともいえるかもしれない。 そして、賢治は宗教的人格であり、それがあらゆる方面に及んでいく。 ところで、『文人悪食』にある、この宮沢賢治の章の最後に 以前からずっと気になっていたことが書かれていた。 やはり、そうだったのだ。 それにしてもである。「一日ニ玄米四合」とは食いすぎではな いだろうか。私のような大食漢でも一日二合が限界だ。これによ り賢治は粗食派ではあるが、人並みはずれた大食い男であること がわかった。(P356) ところで、食にしても死にしても、 どうもぼくは世の文人などの有名な人たちのようなこだわりは あまりもてそうにもない。 ある意味、世の中で頑張るためには、 ある種、生老病死に対する極端なこだわりが必要のようである。 いろんなことに面倒なのが先にでると、 天上や青空や瞼の裏をみるほうにばかり時間が食われてしまう。 やれやれだけれど、そういうこだわりもまた能力だということになりそうだ。 煩悩即菩提。 宗教的人格がきわめて煩悩的なことが多いのもそういうことなのだろう。 宗教的人格でさえないぼくのようなのは菩提からもはるか遠そうでもある。 ところで、敬愛すべき柴田宵曲による『評伝 正岡子規』(岩波文庫)を 古書店で偶然見つけたのもあって、興味深く読んでいるところなのだけれど、 この正岡子規という人も、死と食の両方に秀で?ている人物だった。 当然のごとく、宮沢賢治と同様、『文人悪食』『追悼の達人』の双方に登場する。 以前ずっと松山にいたのもあって、天邪鬼から、 正岡子規を敬遠していたところがあるのだけれど、 この際、しばし、この煩悩の人とつきあってみたいものだと思っている。 |