■斉須政雄『調理場という戦場』 (朝日出版社/2002.6.20.発行) 『海馬/脳は疲れない』と同じく、 「ほぼ日刊イトイ新聞」でその一部が紹介され、 先頃先行販売された「ほぼ日ブックス第2弾2」。 フレンチレストラン「コート・ドール」のオーナー・シェフ、 斉須政雄のこれまでの経験が詰まった勇気のでる一冊。 からだ全体が熱してくるような言葉で書かれている。 ちょっと教育的すぎるかな、というところもあったりするけれど、 この人の言葉は、それを超えて確かな響きを持っている。 読み始めて何度胸が熱くなったことだろうか。 本文の最初の章「フランス 一店目」の最初から ぼくにとってはとても共感できるものだった。 料理の世界に入りたての頃、多くの先輩たちがそうであったように、 鍋洗いをしていました。お店の中をはいずりまわっていた。 昔の日本の料理界には、「底辺にいる人だけが雑用をやり、あとの みんあは遊んでいる」という伝統がありました。 でも、何で遊んでいる人が手を貸さないの? 当時のぼくがそんなことを言ったら袋叩きだったでしょう。だから 言えなかった。でも、「自分が料理長になったら、そんなことはよそ う」とずっと思っていましたね。 ぼくは、雑用もやるからこそ力を宿すのだと信じていた。下の人を 蹴落とすために力を宿そうとは思わなかった。若い人を引きあげてや れる自分になりたかった。 だから、今のぼくのお店の「コート・ドール」では、手があいてい たら誰でもやれ、ということになっています。 (P14-15) ぼくは、斉須政雄のような仕事人ではまるでなく、 できれば仕事以外のことのほうに興味があるほうだけれど、 ぼくなりの仕事に対する基本的な姿勢があって、 もし自分が上の立場で仕事をしようとするのならば、 その仕事のなかでもっとも小さな雑用までを 果たして自分ができるのか、余裕があればしようと思うのか、 ということを常に自問することにしている。 たとえば、イベントのディレクターをするのであれば、 機材の運搬やら設営やらからする気持ちがあるかどうか、 余裕があればそういうところまで自分でするかどうか。 もし、自分が統轄する立場の仕事のなかで 自分ができない仕事の内容があれば、 それに対する敬意をもってそこから学ぼうとしているかどうか。 そういうこと。 ま、現場のほうが好きで、 あまり人に指図するのが嫌いだという性格でもあるのだけれど。 だから逆に、何もできないのに さも自分のしていることが不本意だというような 態度をとっている人に対しては けっこう辛辣になったりもする。 半分はいわば大人げないのだけれど(^^;)、 やはり、「それは違う」と思ってしまうのだ。 それはともかく、この本を読むと、 料理人の話であるにも関わらず、 そういう自分のことに引きつけて いろいろ考えをめぐらせてみることになる。 で、ぼくは、まあぼくは仕事人でもないから、とか思いながらも、 こういう人がいるということを知ったことが とてもうれしくなってしまう。 読んでいてここまで熱くなってくる本も珍しいので、 来月には書店でも発売になるそうなので、読んでみられては。 |