斉須政雄『調理場という戦場』


2002.6.28

 

■斉須政雄『調理場という戦場』
 (朝日出版社/2002.6.20.発行)
 
『海馬/脳は疲れない』と同じく、
「ほぼ日刊イトイ新聞」でその一部が紹介され、
先頃先行販売された「ほぼ日ブックス第2弾2」。
フレンチレストラン「コート・ドール」のオーナー・シェフ、
斉須政雄のこれまでの経験が詰まった勇気のでる一冊。
からだ全体が熱してくるような言葉で書かれている。
ちょっと教育的すぎるかな、というところもあったりするけれど、
この人の言葉は、それを超えて確かな響きを持っている。
読み始めて何度胸が熱くなったことだろうか。
 
本文の最初の章「フランス 一店目」の最初から
ぼくにとってはとても共感できるものだった。
 
         料理の世界に入りたての頃、多くの先輩たちがそうであったように、
        鍋洗いをしていました。お店の中をはいずりまわっていた。
         昔の日本の料理界には、「底辺にいる人だけが雑用をやり、あとの
        みんあは遊んでいる」という伝統がありました。
         でも、何で遊んでいる人が手を貸さないの?
         当時のぼくがそんなことを言ったら袋叩きだったでしょう。だから
        言えなかった。でも、「自分が料理長になったら、そんなことはよそ
        う」とずっと思っていましたね。
         ぼくは、雑用もやるからこそ力を宿すのだと信じていた。下の人を
        蹴落とすために力を宿そうとは思わなかった。若い人を引きあげてや
        れる自分になりたかった。
         だから、今のぼくのお店の「コート・ドール」では、手があいてい
        たら誰でもやれ、ということになっています。
        (P14-15)
 
ぼくは、斉須政雄のような仕事人ではまるでなく、
できれば仕事以外のことのほうに興味があるほうだけれど、
ぼくなりの仕事に対する基本的な姿勢があって、
もし自分が上の立場で仕事をしようとするのならば、
その仕事のなかでもっとも小さな雑用までを
果たして自分ができるのか、余裕があればしようと思うのか、
ということを常に自問することにしている。
 
たとえば、イベントのディレクターをするのであれば、
機材の運搬やら設営やらからする気持ちがあるかどうか、
余裕があればそういうところまで自分でするかどうか。
もし、自分が統轄する立場の仕事のなかで
自分ができない仕事の内容があれば、
それに対する敬意をもってそこから学ぼうとしているかどうか。
そういうこと。
ま、現場のほうが好きで、
あまり人に指図するのが嫌いだという性格でもあるのだけれど。
 
だから逆に、何もできないのに
さも自分のしていることが不本意だというような
態度をとっている人に対しては
けっこう辛辣になったりもする。
半分はいわば大人げないのだけれど(^^;)、
やはり、「それは違う」と思ってしまうのだ。
 
それはともかく、この本を読むと、
料理人の話であるにも関わらず、
そういう自分のことに引きつけて
いろいろ考えをめぐらせてみることになる。
 
で、ぼくは、まあぼくは仕事人でもないから、とか思いながらも、
こういう人がいるということを知ったことが
とてもうれしくなってしまう。
読んでいてここまで熱くなってくる本も珍しいので、
来月には書店でも発売になるそうなので、読んでみられては。
 

 ■風の本棚メニューに戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る