四方田犬彦『大好きな韓国』


2002.6.12

 

■四方田犬彦『大好きな韓国』
 (NHK人間講座2002.6〜7月期テキスト)
 
この4月からNHKラジオのハングル語講座を受講しはじめ、
なんとかいまだに続いているのだけれど、
いまだにハングルはなかなか読みづらいし、
最初に感じた以上に、その発音は難しかったりする。
しかし、やはり言葉を少しでもかじってくると、
その言葉から見えてくるその発想だとかも
わずかながらにしろ伝わってくるものがあったりして、
こういうテキストとかがでたりすると
やはり目を通してみたくなったりする。
 
やはり、韓国/日本でのサッカーのワールドカップの開催は、
こうしたNHK人間講座のテキストにもなったり、
さまざまな韓国関連の書籍もよく出版されるようになったりと、
これまで近くて遠い国だった韓国をずっと近しくしてくれると同時に、
その違いの部分を際だたせてくれるところがある。
 
四方田犬彦は、1970年代末に日本語教師としてはじめて韓国を訪れ、
2000年にソウルの大学で教鞭をとるために韓国に再び滞在した。
このテキストは、そのときに体感した韓国について語ったもの。
 
その20年ほどの間に韓国は大きく変わり、
また日本と韓国の関係も大きく変わってきた。
たとえば、NHKラジオのハングル語講座では、
「韓国では必ずお年寄りに席をゆずります」とはいうものの、
四方田犬彦の話では、そういう慣習もくずれつつあるという。
韓国では、短い間に驚くほどの変化が起こったため、
世代間の断絶もかなり激しいものがあるようである。
しかし、そうした変化にもかかわらず変わらないものも確実にあって、
その変化の部分と変化しないものの両方を見ていかないと、
韓国の今というのは見えてこないんだろうと思う。
 
美容整形に何の抵抗もないというあたりにも、
日本との違いを感じてしまったりもするのだけれど、
韓国は、古代的なありようをそのまま色濃く持っていると同時に、
アメリカのような幼稚性をも同時に持っているような印象があったりもする。
韓国の儒教的色彩といっても、それは韓国風の儒教なのだけれど、
その韓国的儒教をアメリカが採用したら、こんな国になるのかもしれない(^^;)。
 
・・・というような、勝手な印象しかまだ持ち得てないのだけれど、
そういうなかで、やはり見えてくるのは、
今こうしてぼくの生きている日本というところである。
やはり、違いのなかでこそ見えてくるものはある。
 
長い間の相互無理解の歴史を経て、
こうしてようやくぎこちないながらも、
相互にある程度ポジティブな関心を持てるようになっている今、
こうした、今の韓国を伝えてくれるように思える「体験的韓国論」は
そこからさらになにがしかの一歩を踏み出すための
貴重なルポとして興味深いのではないだろうか。
 

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