山下柚実『五感生活術』


2002.5.25

 

■山下柚実『五感生活術/眠った「私」を呼び覚ます』
 (文藝春秋・文春文庫240/平成14年4月20日発行)
 
現代人の「五感」は、かつてもっていた豊かさを失い、
歪んできているのではないか、というのが
おそらく著者の最初の問題意識だったようだ。
とくにそれは子どもたちの五感の異変などからもわかる。
ファーストフードで育てられた子ども、
テレビモニターによって歪められる立体的な感覚、
都市の生活環境が必然的に招いている静寂のない生活…。
現代のさまざな生活形態、生活環境がそうさせているのだろう。
そこで、著者はあらためて自分の「五感」を見つめ直し、
それを再生させ豊かにさせるために、
それぞれの感覚のもつ特性やそれが開く世界を検証していく。
 
感覚というテーマはとても興味深いもので、
とみに最近では、視覚優位になりがちな感覚に、
その他の感覚の持つ豊かさを再認識させようという試みが多くなっている。
とくに、「匂い」に関する書物なども最近はよく見かけるようになった。
ある意味ではもっとも原初的でありながら、
それゆえにともすればもっともなおざりにされがちだった感覚。
 
失われなければ意識されないものというのは多い。
五感もそうなのかもしれない。
本書のなかにさまざまに登場する、五感を取り戻すプロジェクトや施設。
おそらく日々ちゃんと意識して五感を働かせようとしているならば、
そうしたものの多くは蛇足でしかないところがあるのだけれど、
それらが求められているということそのものが病であり、
またその病ゆえに、五感が新たな形で意識的に再認識される可能性も
そこにあるのかもしれない。
 
ご存じのようにシュタイナーは十二感覚を示唆し、
それに関して深い洞察を示しているが、
本書を読みながら思ったのは、
たとえばシュタイナーのいうような「超感覚」的なあり方というのは、
現在の自分の「五感」をきちんととらえなおすことなしで、
それをいわばオカルティックに追求するのであれば、
それはまた現代の精神世界的な病なのだろうな、ということだった。
 
自分の外界にひろがるさまざまをちゃんととらえ、
その外界と内界とを豊かに結びつけるための五感。
それらの豊かさを否定して、自己目的化した禁欲を行なったり、
宗教的戒律の命ずるままに感覚を貧しいままにしておいたり、
超感覚を志向することが自分のまわりへの貧しい視線になったりするならば、
それはおそらくどこか病んでいるということなのだろう。
 
もちろん過剰なまでの感覚的な快楽主義を肯定しようとは思わないが、
(おそらくそれは感覚を超える道ではなくそれに溺れる道だから)
感覚の貧しさを肯定することでは、感覚を超える道は
開かれないだろうという気がする。
 
紹介しているはずの肝心の本書の内容からかなり逸脱してきたが、
今の自分の「五感」を再チェックしてみるという意味でも、
本書はさまざまなヒントを提供してくれている。
ここから出発して感覚についてさらにさまざまな視点を
見ていくこともできるだろうと思う。
その上で、シュタイナーの十二感覚についての示唆を検討してみると、
その重要性を再認識することもできるのではないだろうか。
 
 

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