風のDiary
2012.6.25.Mon.
重い腰あげてレンタルサーバー探し

ずっと契約しているブロバイダではメモリが足りず、
ホームページ用のメモリの増設もできないので、
トポスのホームページの大部分を
MACのMobile Meのサイトページに移して使っていたのだが、
この6月30日でMobile Meが終了してしまい使えなくなる。

わかってはいたのだけれど(なくなるなんてひどいよなあと思いながら)、
今週中になんとかしないといけない。
と、今日になってやっと重い腰をあげて、
安くて使えそうなレンタルサーバーを探してみた。
1Gほどあれば、とりあえずは十分だし、
いまのところむずかしい機能はほとんどいらない。

最初にブロバイダを契約したのは、1997年のこと。
(パソコン通信をはじめたのは1991年)
この6月でちょうど15年になる。
その頃から、使っている機能はほとんど変わらないが、
その間にネットの世界もずいぶん様変わりをしたものだとあらためて実感。
使えるレンタルサーバーも簡単にサクサクと見つけることができる時代である。
探し始めて1時間ほどで契約もでき(しかもずいぶん安い)、
必要分のデータも無事にそのサーバーに移すことができた。
今後、メインのプロバイダが使いづらくなったときにも、
このサーバーにデータを放り込んでおけばなんとかなる。

しかし、必要に迫られないと重い腰はあがらないのは、
ぼくの基本的な性格だが(明日できることは今日するな)、
先日、これも重い腰をあげて、部屋の片付けをしはじめた。

片付けるというのは、かなりの知力と体力を必要とする。
片付け始めて、しまったと思ったときにはもう後戻りはできない。
狭い部屋に、「ある規準」で置かれていたもののうち
不要な部分を判断して、それを捨てられるようにまとめるというだけで、
その不要な「一部分」をなくすことは、部屋「全体」に圧倒的な影響を及ぼしてしまう。
そして、捨てるという判断力と新たな規準での新たなレイアウトを工夫する力、
そして汗まみれほこりまみれになりながら耐える忍耐力・持続力が必要になる。
その間に何度も訪れる徒労感・・・。

しかし、問う力が新たな視点を生むように、
片付けることで、いかに片付いていないかをあらためて知ることになり、
あえて手を付けなかったところに問題意識を生むことになる。
ということで、今まわりにあふれている本たちもそろそろ
ある規準のもとに整理せざるをえなくなってきているのが、コワイ・・・。

さて、問いはつねに「自分にほんとうに必要なものはなにか」に立ち戻る。
今回のサーバー探しのように、必要に迫られて考えるのもありだが、
自分の身体もふくめ、「私」を囲むさまざまな環境の意味と必要性を
ときおりは検討・整理してみる時間を計画的に持つ必要もありそうである。

しかし、使わないのに捨てられないもののなんと多いこと。
そうしたものを、がしゃがしゃと身にまといながら生きていると、
その身にまとっているものが自分であるように錯覚してしまうことにもなる。
人間、死ぬときに、身にまとっているガラクタを自分だと錯覚してしまうと、
魂はカラダから離れることができなくなる。
カラダが魂にしがみついていると、その影響もあって、
今度は魂も霊にしがみついて離れられなくなる。

そんなこんなで、必要に迫られてはじめて腰をあげるくせを
そろそろなんとかしなければという教訓を
少し痛切に感じたプロバイダ探しだった。