風のDiary
2011.12.15.Thu
困ってるひと・絶賛生存中

大野更紗×糸井重里「健全な好奇心は病に負けない」が連載されている。
http://www.1101.com/komatteruhito/2011-12-02.html

大野更紗は、上智大学大学院在学中に
ビルマ(ミャンマー)難民に出会い、NGOでの活動に没頭。
大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系のきわめて珍しい難病を発病。
検査、入院治療を経て、療養中。
その「闘病記」(『困ってるひと』ポプラ社 2011.06.16発行)が、
激しく、深刻な内容にも関わらず、エンタメ的な語りで話題を呼んでいるらしい。
ということを、「ほぼ日」の連載で初めて知り、早速読んでみたが、なるほど。

その「なるほど」を言葉にするのはむずかしい。
「病」をしっかりと受けとめてはいるが、諦念というのではない。
野生力に加えて、知的なユーモアに裏打ちされた筆力の絶妙さもあって、
「エンタメ闘病記」という形容がされたりもするが、
「エンタメ」といってしまうとどこか違和感がある。
明るい内容だとは決して決していえないが、
闇を不思議なかたちで変容させるような光がそこには満ちている。

糸井重里は「健全な好奇心」という表現をしている。
あまりにも、というかどこまでもまっすぐな姿勢は「健全な」だろうし、
なにごとにも徹底して調べる姿勢などを「好奇心」ということもできるだろうが、
それだけでは表現しきれないないものがたくさんある。
深く響いてきた言葉のひとつに、
著者が使っている、「絶賛生存中」という自己紹介がある。
これだけの困難に見舞われながら、である。

ぼくは「絶賛生存」できているだろうか。
少々の困難で「絶賛」などは吹き飛ぶだろうし、
「生存」にしても、そこまで深く「生存」しようと思っているかどうか。
もしぼくが同じような病気になったら、
おそらくここまで「病院」や「人」や「システム」やらと
格闘することはないし、できないと思う。
そのかわりに、なぜそういう状態になっているのかについて、
同じ「困っている人」にはなったとしても、
自分自身のあり方そのもののほうに深く入り込むほうを選んだだろう。
そしておそらくは「絶賛生存」という道のほうには進まなかった。
そしてこういう「エンタメ闘病記」を残そうとも思わなかっただろう。
ぼくにとっての「健全な好奇心」は今のように
神秘学的な世界観の探求のほうに向かっていくことになったはずだ。

大野更紗はそういう道ではなく、「絶賛生存」のほうに向かっている。
ぼくにおそらくは欠如しがちなのかもしれない「絶賛生存」の道。
しかし生きていることそのものが「絶賛」であることなくしては、
神秘学的な世界観そのものがどこか脆弱になってしまいかねないところがある。
「絶賛生存中」といえるだけのしなやかな強さを持ちたいと切に思う。