風のDiary
2011.6.11.Sat.
夜のうちにおはようと言っとこうか

谷川俊太郎の詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の中に
こんなところがあるのをふと思い出した。

  総理大臣ひとりを責めたって無駄さ
  彼は象徴にすらなれやしない
  きみの大阪弁は永遠だけど
  総理大臣はすぐ代わる
  (・・・)
  夜のうちにおはようと言っとこうか

この詩集が刊行されたのは1975年だから
日本の政治では同じようなことが飽きもせず繰り返されてきたようだ。
ある意味日本はずっと幸福だったということかもしれない。
総理大臣はそして政治は大阪弁の永遠に比べれば
代わる代わらないということが戯れ言で済んでいるくらいなのだから。
実際どうでもいい儀式のひとつだから、大震災後の今の時期に、
政治家たちはほかにすることもなく
ルーティーンワークを繰り返すくらいしかやることがない。
特別なことができるとしても、
卒業式のときに君が代を立って歌え、というようなことに
大声を出すくらいのことである。
まるでボランティアを自主的にしないと罰則を設ける・・・
とでもいうようなノリでしかない。

村上春樹がスペインのカタルーニャ国際賞の受賞式のスピーチで、
「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」、
福島第一原発事故は、日本人が体験する2度目の核の被害で
第1回目の核被害とは異なり、今回は「自らの手で過ちを犯した」と語った。
その過ちの原因は「効率」優先の考え方だという。

   この福島第一原発事故は、日本人が体験する2度目の大きな核の被害です。
  しかし、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。どうしてこん
  なことになったのでしょう。答えは簡単です。効率です。我々日本人は、核
  に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。我々は技術力を結集し、持てる
  英知を結集し、社会資本をつぎ込み、原子力発電に代わるエネルギー開発を
  国家レベルで追求すべきだった。損なわれた倫理や規範の再生は、我々の全
  員の仕事になります。皆で力を合わせて、その作業を進めなくてはなりませ
  ん」

このスピーチはYouTubeで見る/聞くこともできる。
http://www.youtube.com/watch?v=ZL-W7tX1Z-Y

私たち日本人は1度目の核の被害に学ぶことができていなかった。
学ぶことができていなかったというのは、大きな過ちでもあった。
そんななかで、政治は「総理大臣ひとりを責め」、問題をすり替えることで
また似たようなことを繰り返そうとしているのかもしれない。
「総理大臣ひとりを責め」るだけではなく、
君が代を歌うときには起立せよというようなことに労力を費やす。
「損なわれた倫理や規範の再生」を罰則で行おうとするわけである。
放っておいて自分で考えさせると悪い子になるから
「すべきこと」を教えて教えたとおりにせよということでもある。

「夜」はまだまだ明けそうにない。
日本国中で、いや世界中で、
今さまざまなパンドラの筺が開いているようにも感じる。
学ぶための事例には事欠かない。

とはいえ「夜明けの歌」のように
夜明けは近いのかもしれない。
今は、夜かもしれないけれど、
夜のうちに学べることをたくさん学んで、
いまのうちに「おはよう」といっておきたい。