風のDiary
2011.4.14.Thu.
夜明けの歌

夜闇がどこまでも続くように思われたとしても、
夜明けはかならずやってくる・・・。

東京事変の『夜明けの歌』が、
今回の震災への思いを込めて、
YouTubeで公開されている。
http://www.youtube.com/user/EMIMusicJapan?v=Qj_OGCbqplU

『夜明けの歌』は昭和39年(1964年)、
岩谷 時子・作詞、いずみたく・作曲、岸洋子の歌でヒットした名曲。

東京事変のサイトで、椎名林檎が
次のようなメッセージを寄せている。

   昭和53年生まれのわたしの耳へ、この作品が "肉声のうたとして鳴った"
  ことなど一度としてございませんでした。ただ、幼いころ繰り返し眺めた
  唄本のなかにこの譜面があったのです。うちでは、楽器を鳴らせる時間を
  短く限られて居りましたから、無言で音符を眺める時間のほうが遥かに長
  かったものです。こうして秘密裏に記憶された作品が思い出されるまでに、
  わたしは或る大きな悲しみを味わうのでした。
   さっき、いつもの仲間と一緒に演奏しました。だけど「大勢のかたにい
  まいちど口ずさんで戴きたい」と言うほうが、いまのほんとうです。突然
  の災いに生命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げて。それでも生
  きている今日のわたしたちに、 こっそり贈り物をくださっていた作家のお
  二人へ胸一杯の敬意を込めて。

昭和39年といえば、東京オリンピックの年。
その頃、テレビっ子のぼくにはリアルタイムで
いわば "肉声のうたとして鳴"っていたはずだ。

ぼくは小さなころからなぜか
ずっと深いところに
悲しみをたたえて生きていたところがあって、
昭和39年といえば小学校1年生だったろうぼくは、
あえてことばにすれば
「悲しみの夜明けはくるのだろうか」
といったことを感じていたことを少しだけ覚えている。

YouTubeに登録されている『夜明けの歌』には、
オリジナルの岸洋子をはじめ、
佐良直美、菅原陽一といった方の歌ったものや、
白血病で亡くなった本田美奈子が
闘病中にボイスレコーダーに残したという
最後の歌声などがあった。
本田美奈子が入院していた同じ病院に、
『夜明けの歌』を作詞した岩谷 時子も入院していて、
無菌室にいた本田美奈子はボイスレコーダーを使って
お見舞いをしていたという。

『夜明けの歌』とほぼ同時代に流行った
坂本九の歌っていた『上を向いて歩こう』、
『見上げてごらん夜の星を』も
サントリーグループからのメッセージということで
「希望の歌のバトンリレー」ということで
いろんな方がリレーで歌を歌っているCMもあって、胸を熱くさせる。
http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html
http://www.youtube.com/watch?v=cewOjd2DxK4

夜の闇のなかにいても、
空には星が輝いているし、やがて夜は明ける。
どうしても下を向いてしまいそうなときでも、
顔をあげて誇り高く歩いて行こう。
そんなメッセージを伝えようとしているのだろう。

私たちは今、いわば井戸の底の闇の中にいて、
そこからどこに行けるのかと不安をかかえているのだろう。
しかし井戸の底だからこそ、昼間でも星は見ることができるし、
じっとそこからさまざまなことを黙考することもできる。

こんななかでも、相変わらず足の引っ張り合いをしようとする政治家や
空き巣狙い、買い占め屋などもいるわけだが、
いまこうしたところにいなければ見ることのできないものを
しっかりと見るチャンスでもある。

「夜明け」は、日本全体の問題であり、
また世界全体へと広がる問題でもあり、
そしてなにより私たち一人ひとりの意識の夜明けでもある、
そんな可能性を秘めている「夜明け」でもあるはずだ。

「悲しみの夜明けはくるのだろうか」
そんなことを半世紀近く感じ続けていたぼくだが、
ここ数年来、ようやくそうした「悲しみ」が融けはじめていたのだが、
皮肉なことに、そんな矢先の今回の震災である。
まるでぼくのなかの悲しみが外にでてしまっおうとしているかのように・・・。

世界は転生を繰り返している私たちすべてが
to beとしてあらしめている現象であるということもできる。
ということはこれからの世界もまた
私たちがto beとしてあらしめなければならない。
私たちの思いが行いがことばがこれからどんな姿をとっていくか。
暗い夜が明けたときにその姿が明らかになっていくことだろう。

美しい夜明けになりますように。