風のDiary
2011.3.13.Sun.
「未曾有の災害のときに」学べること

地震と津波のことは、出張先で缶詰の状況で知り、
深夜に出張先から帰りながら、
少しずつ情報を得、呆然としながら、
それでも今自分のしなければならないことをまずは終えてから帰宅した。

そのときに浮かんだのは、次のような石原吉郎の詩だった。

  世界がほろびる日に
  かぜをひくな
  ビールスに気をつけろ
  ベランダに
  ふとんを干しておけ
  ガスの元栓を忘れるな
  電気釜は
  八時に仕掛けておけ

ぼくは今回の地震、津波の影響から遠い安全なところにいて、
可能な情報を得る以外のなにもできない状況にいて、
今のところなにか具体的にできることがあるわけではない。
できることといえば、今しなければならない目の前のことを続けることだけだ。
それ以外にはとりあえずない、まったくない。
まったくない以上、今しなければならないことを、
ちゃんと続けるということこそが、できることなのだ。
現場から遠い安全なところにいる以上、
そして特別な立場でなんらかの関与もなしえない以上、それ以外にはない。

内田樹は今日付のブログ「未曾有の災害のときに」で、
「「安全なところにいるもの」の基本的なふるまいかたについて
自戒をこめて確認し」ている。

それは、(1)寛容、(2)臨機応変、(3)専門家への委託の3つ。
この3つが「被災者に対して確実かつすみやかな支援が届くために
有用かつ必須のこと」であるという。

まず最初の(1)寛容については、
「オールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、
他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、
無能力をなじったりすることは控えるべきだ」ということ。

(2)臨機応変は、
「平時のルールと、非常時のルール」を分けて、
「臨機応変」に対応することが必要であるということ。

(3)専門家への委託は、
「「政治イデオロギー」も「市場原理」も関与すべきではな」く、
「私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべき」だということ。

内田樹の示唆している「基本的なふるまい」以外でいえば、
今起こっているさまざなことから自分が何を学べるかということだろう。
こうしたときにでてくるさまざまな視点のありように、
できるだけ意識的であるということもひとつだろう。
ネットで、「他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、
無能力をなじったりすること」はよく見られることだが、
そういうひとたちの相変わらずの視点からも、
反面教師というだけではなく、そういう人たちの心の闇などについても、
学ぶことができるかもしれない。
また、政治主導の中心的な役割を担っているともいえる、
枝野官房長官の語りなどからもさまざまな態度について学ぶことができる。

自分ではなにもできないとしても、
この非常においてさまざまなレベルで起こっていることを通じて、
社会を動かしている共同体的なものやシステムなどについて、
普通あまり意識しないでいることに目を向けることもできるし、
海外諸国の反応でその海外諸国の姿勢や変化から
さまざまな知見を得ることもできる。

そのほかにもさまざまなことが学べるが
そうしたことすべてを通じて、
「世界がほろび」ようがそうでなかろうが、
自分が自分であることの根底にあるものについて、
そしてそれと世界との関わりについて、
またそれをどのように方向づけるかということについて、
少なからず意識を深めることができる。

今起こっていることは、日本全体にとって「未曾有の災害」であるが、
そうでない場合、つまり一人ひとりにとって個人的に「未曾有の災害」が
起こった場合、自分をどう方向づけるかといことにも
つなげて考えていったほうが真の意味で有益だと思うのだ。

そうしたことをふまえながら、
今回の「未曾有の災害」が、日本全体にとっても、世界全体にとっても、
未来に向けて有益な「今」の取り組みであるよう願わずにはいられない。