ハイゼンベルクとボーア夫妻が繰り広げる思想劇
マイケル・フレインの『コペンハーゲン』という戯曲が
文庫(ハヤカワ演劇文庫)になっていたので、
それをきっかけに久々、量子力学関係を逍遙している。
量子論が生まれてきた時代を見てみると
ハイゼンベルクが「不確定性原理」を発表したのが1927年。
シュタイナーが亡くなって2年後のことなので、
シュタイナーはアインシュタインの相対論にも、
フロイトやユングなどの精神分析学関係にしても、
なかば皮肉混じりの批判くらいしか残っていないのも
時代的には仕方ないところもあることがあらためて理解される。
アインシュタインは、量子力学を拒否、嫌悪していたけれど、
実際は、結果的に初期の量子力学を前身させるきっかけを
つくったりもしているので面白いところである。
量子力学をめぐる人間模様を見てみると、
(デイヴィッド・リンドリー
『そして世界に不確定性がもたらされた』が面白い)
それぞれの人間の世界観や性格が色濃くでていて、
科学といっても、ひどく人間臭いものであることがよくわかる。
しかし、世界観そのものの変更を迫られるということに対しては、
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」が示しているように、
だれしもそんなにすんなり、というわけにはいかないことがよくわかる。
実際、現代の多くの人たちがもっている世界観というのは、
量子力学が示しているようなものとはひどくかけ離れた
素朴実在論的な信仰に近いものでしかない。
科学、しかりである。
ちょうど、量子力学を社会哲学的な観点に導入した
大澤真幸『量子の社会哲学/革命は過去を救うと猫が言う』(講談社)
という楽しい本もでたところなのだけれど、
量子力学そのものというよりは、
それに示唆された世界観を見ていくことも
著者が次のように意図しているように重要な指針になることもあるように思われる。
私は、本書で、量子力学が、現代社会を理解し、未来社会を構想するための
基本的な指針を与えるような、政治的・倫理的な含意を宿していることを示
してみよう。 |