ルドルフ・シュタイナー

エソテリック講義の内容から
参加者の覚え書き
GA266

佐々木義之 訳


 

秘教講義 ベルリン5-6-1906

 人間は絶えず生きているものを破壊している。彼は呼吸するときに殺す。もし、二酸化炭素を吐き出す人間だけが地上に生きていたとしたら、いかなる生物も地上に存在することができなかっただろう。人間が吐き出すガスは大気を汚染する。それはすべての生き物にとって致命的である。植物は酸素を吐き出し、それによって生あるものの存在を可能にする。
 地球がまだ古い「月」の段階にあったとき、私たちのような人間界は存在しなかった。「月」全体は泥炭湿地のような一種の植物状態にあり、柔らかく、生きていた。今の人間であるところの存在はこの植物-鉱物的な地球から発達してきたのである。この粥状の植物はまた今日の植物と動物を含んでいた。これら二つの間には中間的な領域があり、動物-植物は感覚を有していた。古い「月」の上には、今日の鉱物界よりも高次の植物界、感覚を持った植物である動物-植物界、そして、今日の動物界よりも高く、今日の人間界よりも低い人間-動物界があった。
 この古い「月」の上の生物たちは主として窒素の大気中で生きていた。「月」はそれに取り巻かれていたが、窒素の過剰から消え去った。今でもより植物的な土壌で生きるキノコは、古い「月」上に存在していた動物-植物界の名残である。それらは多くの窒素を含んでいるため、秘教上の発展にとっては好ましくない。
 古い「月」がその大気中から消え去った後、すべては「プララーヤ」を通過し、再び現われ、そして、現在の地球紀が始まった。その後しばらくしてさらなる発展にとって好ましくないあらゆるものが抜け落ち、現在の月が形成された。他の領域は「月」の領域から地上において発展してきた。現在の植物が生じるためには、植物-鉱物界の一部が一段階押し下げられなければならなかった。そして、現在の鉱物界がその固体化と硬化を通して徐々に生じてきた。人間は古い「月」の上では世界を客観的に知覚することはできなかったが、植物-鉱物界が下降し、現在の鉱物界が徐々に形成された今、世界は客観的に見ることができるものとなった。
 今や、それは光を反射することができるようになり、物理的な目によって見ることができる世界が存在するようになった。それが可能となったのはひとえにその固体化によるものである。光の創造についての聖書の物語が言及しているのはこれである。望遠鏡で見ることができるすべての天体は鉱物段階にまで固体化している。しかし、私たちが鉱物的に見ることができるよりもはるかに多くの天体が存在する。
 植物は鉱物世界から生きているだけではなく、鉱物領域によって反射される光からも生きている。そして、ちょうど植物がこの光から生きるように、人間や動物は植物が吐き出す酸素によって生きている。古い「月」上の動物-植物は一方では一段階下り、他方では一段階上昇した。動物が植物の酸素で生きることができるのはこのためである。物理的な酸素は、別様には、植物の中でエーテル体として生きているものである。
 人間-動物もまた二つの領域、二つの性に分かれた。この分離は、当初はまだ物理的なものである人間的な愛を生じさせた。人間はこの愛によって神々の領域へと自らを上昇させることができる。彼らは、ちょうど人間と動物が植物から発散される酸素で生きるように、そして、植物が鉱物領域から反射される光で生きるように、人間の物理的な愛で生きたのである。神々が常食とする飲み物や食べ物とは男女の愛である。人間の上昇は物理的な愛の克服、呼吸過程の制御、そして、クンダリーニ(性的な昇華)の光の開発を通して行われる。最初は、物理的な愛の克服である。以前は性別がなかった人間が二つの性に分かれたのは、人間の中で知性が発達するために必要であったからである。人間はより高次の精神的な本性とより低次の動物的なものへと分裂した。人間が彼自身の内的な魂の力を通してその物理的な愛の力を克服し、より高次の、より精神的な力へと変容させるとき、それはひとつの上昇となる。第二に、より高次の発達を願う人は、彼が植物から取り込む力を諦めなければならない。人間はその呼吸過程を通して植物が吐き出す賦活的な酸素を使い果たす。呼吸過程のリズム化と内的な魂の働きを通して呼吸はより純粋なものとなり、それによって、人間はより少ない二酸化炭素を吐き出すようになる。そのとき、彼の周囲の空気がそれほど速く使い果たされることも、それほど多くの酸素あるいは必須元素が他の生き物たちから取り上げられることもなくなる。これをできるだけ達成するため、インドのヨギたちは洞窟に引きこもり、そこで、彼らはできるだけ少ない酸素を呼吸する。彼らがそれを行うことができるのは、彼らの呼吸が魂の働きによって非常に純粋になっていることで、外の空気を取り込むことなしに長く生きることができるからである。人は精神化されればされるほど、より長く彼自身の空気中で生きることができ、より少ない二酸化炭素を吐き出すようになる。唯物主義者の呼吸は理想主義者のそれよりもはるかに多くの空気をだめにする。現代の唯物主義者は新鮮な空気の絶え間ない供給なしには生きることができない。田舎の人は彼の自然との生活を通して一定のリズムをその生活の中にもたらす。それによって、彼が吐き出す空気はより良いものとなるのに対して、都会の空気は人々の不道徳によって毒に満ちたものとなる。植物は純粋な空気、酸素を流出する。彼らは純粋無垢で欲望がない。人が植物に囲まれているときに心地よく感じるのはそのためである。しかし、新鮮な空気を絶え間なく供給することは、実際、秘教的な発達にとっては好ましくない影響がある。何故なら、それによってあまりにも多くの生命を植物から取り上げるからである。神秘学徒はその呼吸過程をコントロールすることを学ぶことによって、呼吸からもたらされる破壊的なプロセスに関与しない瞬間をもつことができるようになる。第三に、人は鉱物界が反射する光を投げ返すことを学ぶ。彼はクンダリーニの光を開発し、それを世界の中へと放射する。それによって、光を―人間界の光を-それに投げ返すのである。人間は自分の有機体の中にいかに重要な道具を有しているかを知らずにいる。彼は彼自身を知っている以上にその他の世界を知っている。実際、彼はすばらしい能力を発達させることができるのである。
 人は自分自身の内にひとつの器官を有している。それは彼が息を吸い込むときに空気で満たされ、吐き出すときにその空気を失う。それは吸入に際してその細部の枝に到るまで外の空気で満たされる。しかし、私たちの周囲の空気には精神が生きている。人は息を吸い込むとき精神を取り込み、そして、吐き出すとき、彼の中に生きる精神のいくばくかをその吐き出す空気に込める。リズム化され、精神に満たされた呼吸を通して、その精神は彼の中で、そして、外の世界の中でも展開する。精神的な人間の成長は呼吸を通して促進される。最も重要なのは人がその吐き出した息の中に込める精神である。精神は思考によって構築される。人間はその精神を構築し、彼が呼気とともに付与するすべての思考を通してそれを流出させる。人間は空気を吸い込むための器官をずっと所有していたわけではない。古い「月」上では、存在たちは空気の代わりに火を呼吸していた。ちょうど私たちが酸素を吸い込み、そして、吐き出すように、彼らは火を吸い込み、冷たさを吐き出していたのである。未来の人間はもはや空気を呼吸しない。ちょうど人が、外からの空気の流れ込みを通して、彼の熱器官である心臓を血液循環によって養い、彼の熱を準備するように、将来的には、彼は内的な空気器官を有し、それを通して現在我々が大気中から取り込んでいるものを彼の有機体に供給するようになるだろう。人間は彼自身の熱を準備するが、それは古い「月」上ではそこにいる存在たちによって環境中から直接取り込まれていたものである。人間は消耗した空気を彼の内部で精製することができるようになるだろう。将来的には、彼はもはや外的な空気中で生きることはなくなるだろう。ちょうど我々が古い「月」上では熱を吸い込み、今は空気を吸いこんでいるように、「木星」上では光を吸い込み、光の中で生きるようになるだろう。
 物理的な愛の克服あるいはアストラル体の発達と霊我への変容、動物界を気高くすること・・・叡智
 呼吸のリズム化あるいはエーテル体の発達と生命霊への変容、植物界の上昇・・・美
 クンダリーニの放射あるいは肉体の発達と霊人への変容、鉱物界の上昇・・・力
 このすべてが生じたとき、次の周期までに鉱物界は一種の植物界へと移行し、後者は動物界へと移行する、等々。