note20:
これまでの議論のイメージ的なまとめ:
物質的な相を内的かつ積極的に乗り越えること

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 私たちのこの全体的な考察では、二つの要素がそれぞれの役割を果たしていました。
 その第一のものは、空間的なものすべてのなかに現れている、物質的なものとエーテ
ル的なものとの対極性です。この対極性は純粋にそれ自体として捉えるなら、ここでは
まだ特に物質空間を前提としていません。そうではなく原空間を前提としてます。たと
えば球面は、すべての平面の各々にその極としてのひとつの点を、またすべての点の各
々にひとつの平面を割り当てますが、これは原空間において生じる事柄です。点と平面
との ー 形態的にはまだ決定されていない ー 質的な対極関係が引き起こす根本現
象は、球面を介してその特定の形態を表します。このことを理解するために、私たちは
まだユークリッド空間を思い浮かべる必要はありません。それどころかユークリッド空
間から自由にならなければ ー これはまさに“射影幾何学”によってこそ為し得ること
なのですが ー 私たちはこのことを十全に理解することはできません。
 しかし私たちの全体的考察には、第二のものとして、物質空間の特殊な前提すなわち
ただひとつの無限遠平面が関与していました。この無限遠平面から、球に関して対応す
るただひとつの点、無限遠平面の極としての中心点が生じました。
(P.42)
 物質空間からエーテル空間へ向かいましょう。するとそのとき、“原空間”とかかわっ
ていたものはすべて変化することなく保たれますが、一面的に物質的な空間形態を決定
づけていたものだけは、その反対のものへと転化します。 ー さあ、私たちは、宇宙
平面としての無限遠平面の代わりに、ただひとつの宇宙点を設定することになります。
単純化するために、まずはこの宇宙点を球の中心にあるものと考えましょう。そうすれ
ば私たちは球の理念を、周縁から、すなわち反空間の意味において展開することができ
るようになるはずです。
(P.42)
 私たちが思い浮かべる表象像は、まずはどうしても物質的な空間形態を持ってしまい
ます。空間的な形態や位置を説明する通常のことばは、私たちが生活しているこの空間
に結びついているものだからです。しかしそれでも私たちは、純粋思考のなかで、この
空間に対してまさに反転している空間の理念を展開していかなければなりません。これ
は、表象形態によっておのずと与えられてしまう物質的な相を、私たちが内的かつ積極
的に乗り越えることによってのみ可能になります。
(P.42)

<note20>
◎このnote20では、これまでの考察について、再度理解を確認することが主な内容となっている。
◎これまでの考察の大きな二つの要素とは、「物質的なものとエーテル的なものの対極性」、
もうひとつが「無限遠平面から、球に対して対応するただひとつの点、
無限遠平面の極としての中心点が生じ」ることである。
◎前者に関しては、射影幾何学的な観点からも
「平面と点との対極」ということが重要のポイントとなっていた。
◎後者に関しては、無限遠平面である天球周縁から彫塑的に構成されているともいえる球面が、
「空間の質的反転」をもたらしているということが重要のポイントとなっていた。
◎そして、その無限遠平面の極としての宇宙点を球の中心にあるものととらえることで、
球の理念を反空間的な意味において、天球周縁から展開することができるようになる。
◎この「質的反転」については、内部と外部の単なる反転ではなく、
「点から平面あるいは平面から点への質的な、極ー相反的変換」であるとして
、次のような原注の注釈がある。「質的」であるということに再度注目しておきたい。
地上的物質的な観点から表象可能なユークリッド空間とは「質的」に異なった空間であり、
その空間について思考するときには、思考そのものも質的に転換しなければならない。
「点から平面あるいは平面から点への質的な、極ー相反的変換は、
内部の点を再び外部の点へと転換するだけのいわゆる反転Inversionと同一視されてはならない。
両者とも重要なものではあるが、
前者は、空間の物質的な相からエーテル的な相への移行に際して私たちを導いてくれる、
より本質的なものなのである。
これはまた私たちに、私たちの思考を質的思考へ変換させるよう促す高度な課題を差し出している」
◎以上のことを踏まえながら、「エーテル空間」について新たにさらなる説明を加えていく前に、
ここで、ジョージアダムスは、「エーテル空間」を理解するにあたって、
私たちがいかに通常の物質的な空間イメージを乗り越えることがいかに難しいかを述べ、
その理解のためには、物質的な相を「内的かつ積極的に乗り越えること」が必要であることを強調し、
私たちを励ましている。
◎かなり大ざっぱで必ずしも適切な説明ではなく、
しかも質的転換に関しては言葉で説明し難いところではあるが、
あえてこれまでの全体の議論の内容がイメージしやすいように少し苦しくはあるが説明してみたい。
◎通常の物質的な空間を数学的にイメージしやすいのは、ユークリッド空間であるが、
それはどこまでも拡がる二次元的な無限平面に描かれた図形のイメージである。
それが、非ユークリッド空間になると、曲面、つまり球面などを扱えるようになる。
空間は二次元的ではなく、三次元的な要素が曲率としてそこに加わる。
そこまでは、数式云々を抜きにしてもイメージするのはむずかしくない。
それは、質的な転換ではないからだ。扱う対象のイメージの変化でなんとか対応できる。
目の前に球を置いてそれを観察しながらイメージすることも可能である。
しかし、問題はここからである。
◎まず、こんなイメージからはじめてみる。
ある一点から光が射し、その光がどこまでも二次元的に拡がっている無限遠平面に到達するとする。
その間にある物体を挟むと無限遠平面には対応した影が映る。
ドーナツ型の形であれば、ドーナツ型に映る。
そしてそのドーナツ型を動かすとその動かし方に応じて影の姿が変わり、
ドーナツの穴が見えなくなるようなはさみ方もできる。見えるのはあくまでも映った影だからだ。
しかし、物質的に見れば、映った二次元的な影だけしか見えないが、
その無限遠平面にはそのドーナツそのものがすべて映し出されていると考えることにする。
ある物体は平面へと「収縮」したということができる。
◎そして、今度はそれまでとは逆のイメージをしてみる。
点から平面へ、ではなく、平面から点へである。
その光点そのものを無限遠平面としてみて、点ではなく無限遠にある平面全体から光が射してくる。
その無限遠の光の平面がエーテル空間、反空間、虚空間である。
そしてそれが物質空間において「点」となっていることをイメージする。
物質空間全体が「光」の点になっている。つまり、光の収縮したものとして質的に転換している。
この質的転換を実感としてイメージすることが重要になる。
◎さらに、そのエーテル空間としての光点である無限遠平面が球に接し、
その接点に生じる一点に収縮する、とイメージする。
その点は単なる点ではなく無限遠平面そのもの、エーテル空間そのものである。
その点が無数に生じる、無数の無限遠平面が球に接して、無数の光の点を生成する。
そして、その光の点によって球がまるで生きた彫刻のように生成されてくいるとイメージする。
無数の平面である光が点へと収縮し、それが光の球をつくりだす。
球があってそれを前提に平面が接しているというイメージではなく、光が球を生み出していると。
つまり、その光の彫刻としての球の中心を
すべての無限遠平面を質的に変容させた「宇宙点」としてイメージしてみる。
この宇宙点も、最初から球があってその中心にあるというのではなく、
無限遠平面の光が収縮してつくりだした光の球が
さらにその中心へと収縮したというイメージでの「宇宙点」である。
その宇宙点は、エーテル空間の収縮した中心なのである。